2009年4月14日火曜日

ラシクル

 このチラシは、発行年がどこにも書いていないので分かりませんが、恐らく明治36年頃のものと思われます。
 明治36年8月28日付けの大阪毎日新聞の広告にもアイバージョンソンとラシクルがあり、東洋総代理店角自転車商会とあります。
 このチラシをみますと角自転車商会は、全国に3店舗あったことが分かります。本店は大阪市本町一丁目、東京支店は東京市神田三崎町二ノ三、九州支店は筑前博多蔵本町とあります。
 またラシクルはアメリカのメジャーテーラーと日本の石井大三郎選手が乗用していたとも書いてありま す。
 メジャーテーラーは、アメリカの黒人選手でマーシャル・ウォルター・テイラー(1878年11月26日-1932年6月21日)です。通称、メジャーテーラーと呼ばれていました。1899年の世界選手権大会の1マイル・トラック競技でみごと優勝した選手です。人種差別の激しい時代の中で活躍した選手でした。
 石井大三郎選手は、東西の横綱級の一流選手の一人で、東の鶴田勝三、西の石井大三郎とも言われていました。 角自転車商会の所謂お抱え選手の一人です。
 ラシクルは、オハイオ州ミドルタウンにありましたマイアミ・サイクル&製造会社の銘柄車です。製造年は1894年~1918年です。
アイバー・ジョンソンは、マサチューセッツ州フィッチバーグのアイバー・ジョンソンズ・アームズ&サイクル・ワークスの銘柄車で、1896年~1918年まで製造されました。アイバー・ジョンソンは、イギリスのBSA同様兵器も製造していた会社でした。

2009年4月13日月曜日

競輪

  この「サイクルファン」は、小倉で競輪が発祥してまもない1949年4月3日の発行です。
 第1回西宮市主催 西宮競輪予想表とあります。
 自転車の銘柄を見ますと時代を感じさせる名前が並んでいます。

サンスター、白菊、日帝、マルシン、BBB、333、ウガイ、富士フェザー、プリミア、富士、エバレスト、ミツウロコなどが見えます。

 競輪は、地方財政の寄与、戦災都市復興及び自転車産業振興を目的として開催されるようになりました。法律も整備され「自転車競技法」は、昭和23年7月に国会で可決成立しました。
 第1回の競輪は1948年(昭和23)11月20日~23日に北九州の小倉で開催されました。なぜ小倉かといいますとちょうどこの年の10月に福岡県で第3回の国民体育大会が開催され整備された競技場をそのまま利用することができたからです。

三菱十字号

  戦後まもなく航空機の技術者であつた本庄季郎技師が製作した三菱十字号は精緻な強度計算からうまれた自転車でした。
 十字号のコンセプトは次のような考えから発想されました。

一、戦時中大量に航空機用材として生産されたアルミニューム合金材を平和産業に転用し、これを有効に利用する。
一、すでに定着したダイヤモンド型フレームはもはや改良の余地がないのか。
一、鋼材の溶接作業にかわり、できるだけプレス作業を利用する。(航空機のプレス作業用機械が遊休中のため)
一、機能を向上させながら工作の合理化、簡便化さらには材料の節約など。
一、分解、組立、手入、取扱の簡易化。
一、精密な構造及び強度計算による安全率の確保。特にアルミ軽合金材の撓みを考慮する。

 こうして、三菱十字号は1947年(昭和22)に生産を開始しました。その後、Ⅰ型からⅣ型まで進化して行きました。 
 1950年6月に勃発した朝鮮戦争の特需景気とともに三菱は本来の重工業へと戻って行き、十字号の生産も中止となりました。

写真提供:自転車文化センター この三菱十字号はⅠ型です。

参考資料:
雑誌「自然」3号 1947年発行(自転車の強度 本庄季郎)

「三菱重工業技術部報告」第62号 1947年 同技術部発行

2009年4月12日日曜日

モハン号

 このブログでも前に取り上げましたが、モハン号について少し書いてみたいと思います。
 鳥山新一氏の書いた本や雑誌の記事にありますモハン号の写真を拡大鏡でよく見ますと、同じものではないことが分かります。モハン号の特徴としましては、チェーンホイールの伝達構造と折畳小径車であることです。特にこのチェーンホイールの位置は若干ずれていますが左右それぞれに付いていることです。細部の構造は写真でよく分かりませんが、ギヤ比による変速か、或はギヤ比の拡張のために左右にそれぞれ付いているのではないかと思われます。
 この仕組みなどは書いてありませんが、雑誌「工芸ニュース」所収の文中に簡単ですが次のようにあります。

唯戦後一時騒がれた折畳式の自転車は8年ごろ前輪14in、後輪16inのモハン号(図8)が鈴木商会から市販され、後に改良型をだしたが筆者も長年2種類共使用した。

 どうやらモハン号のⅡ型とその改良型の2種類を鳥山氏は所有していたようです。旧型(Ⅰ型)は婦人車をそのまま小さくした形と図8の注書きにあります。ですからモハン号は全部で3種類製造販売されたことになります。 
 昭和8年から昭和9年頃にかけて鈴木商会で製作されたようです。鈴木商会の履歴や所在地はいまのところ不明です。

参考資料:
「すばらしい自転車」鳥山新一著(日本放送出版協会版、1975年01月発行

「工芸ニュース」5月号 第23号 昭和30年5月5日発行
 (わが国自転車のデザインとその変遷 鳥山新一)

当ブログ 2009年3月5日 コンパクト自転車

スイツ工業

 スイツ工業とはあまり聞かないメーカーです。銘柄車は、国立号 スイツ号です。写真を見るかぎりかなり大きな工場に見えます。東京の国立に工場があったのでしょうか。詳しいことはこれから調べたいと思います。このメーカーは「平成16年度 日本で製作・販売された自転車のブランド名に関する調査報告書(黎明期から昭和30年代まで」(平成17年3月発行)にも載っていません。
 1936年といえばスイス・チューリヒの世界選手権の個人ロードで、出宮順一選手が7位と大健闘した年です。

2009年4月11日土曜日

セレリフェール

 この写真は雑誌「モーター」(大正9年11月号 第88号)の表紙に掲載されているものです。
 そしてキャプションには次のように書いてあります。

この写真中に見える二輪車は世界最初の自転車にして何人が作ったか製作者は不明であるが1720年時代に製作されたることだけは明かである。現にフランスのバーヤータン・クラマンテン博物館に珍物として蔵したる。

 ドイツのカール・フォン・ドライス男爵が考案したドライジーネは1817年ですから、それよりも古いことになります。どこから1720年という年号が出てきたのか分かりませんが、極めて怪しげな年代設定です。それに写真にある自転車もこれまた怪しげな自転車です。時々似たような自転車を本や雑誌で見ますが、恐らくドライジーネを模倣して木馬のように動物の顔を先端につけた玩具的乗物の一種ではないでしょうか、以前セレリフェール(現在、この説はジャック・スレーによって否定されています)と呼ばれていた自転車の一つだと思います。

オーウェン・ピラミッド

  私がはじめてエーバイク(A-bike)を見たのは2年ぐらい前でした。国道1号線の歩道をエーバイクに乗った一人の男性がゆっくりと走っていました。
 デザインはたしかにユニークですが、長距離走行には向かないと思いました。このエーバイクのデザインですが何処かで見たような形でした。最近たまたま雑誌を整理していましたら、上掲のイラストが目にとまりました。車輪径は極端に違いますが、何となく似ているように思います。
 エーバイクは、2006年7月ごろ英国の発明家でありますサー・クライブ・シンクレア氏が開発した新型のフォールディングバイク(折りたたみ自転車)です。重量も約5.7kgという超軽量化を実現しています。所謂ちょい乗りにはもってこいの自転車だと思います。私も1台欲しくなりましたが、まだ手に入れていません。
 オーウェンの自転車は1896年に製造されました。名前はオーウェン・ピラミッドといいます。この会社は1878年の創業で1898年ごろまで製造したようです。他の銘柄にはオーウェンブラックビューティーやオーウェンなどがあり、オーウェン製造会社の工場はコネチカット州のニューロンドンにありました。
 私が見るところ、Aーバイクよりもむしろこのオーウェン・ピラミッドの方がよほどAーバイクの命名に適していると思います。