1886年(明治19年)11月20日付け改進新聞の連載小説「新粧之佳人」に安全型自転車の挿絵があります。
明治20年以前に日本国内で発行された印刷物で、安全型自転車が載っているのはたいへん珍しいことです。
安全型(セーフティー型)自転車の起源については、いろいろな説がありますが、一般的には1884年のローバー号であるといわれています。開発者は、イギリスのジェームス・スターレーの甥であるジョン・ケンプ・スターレー(1854-1901)です。ローバー号が量産されるようになるのは、1896年頃からなので、この挿絵の安全型自転車は極めて早いことになります。絵師が洋書か何かを見て描いたのでしょうか。
この連載小説は翌年の5月15日に「一顰一笑 新粧之佳人」須藤光暉(南翠外史)著で単行本として発行されましたが、残念ながらこの挿絵は掲載されませんでした。ダルマ型自転車の画が一枚載っているだけです。
この挿絵を描いたのは、橋本(揚州)周延 (はしもと ちかのぶ 1838~1912)です。彼は、当初、歌川国芳の門人でしたが、後に豊原国周門下になっています。鹿鳴館の官廷官女や大奥など美人画を得意としました。
資料提供:松島靖幸氏
なお、『新粧之佳人』は、グーグルの書籍検索から全文をダウンロードできます。