ミニチュア・プラモデルの自転車レーサー
ツール・ド・フランス - プジョー
1970年代のミニチュア
何個かあったがこれが一つ残っていた。
1975年と77年にツール・ド・フランスで総合優勝したプジョーチームの ベルナール・テヴネを思い出す。
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
ミニチュア・プラモデルの自転車レーサー
ツール・ド・フランス - プジョー
1970年代のミニチュア
何個かあったがこれが一つ残っていた。
1975年と77年にツール・ド・フランスで総合優勝したプジョーチームの ベルナール・テヴネを思い出す。
On The Wheel 第6号
「オン・ザ・ホイール」On The Wheel 第6号、12月 1998年・1月号 1999年
クラシック サイクリストのための雑誌
On The Wheel 第5号
「オン・ザ・ホイール」On The Wheel 第5号、10 月・11 月号 1998年
クラシック サイクリストのための雑誌
第 9 回国際自転車歴史会議
ゲイブ・コンラッド
今年の 8 月にカナダのオタワに爆弾が投下されていたら、自転車の歴史に深刻な打撃を与えていたであろう。8 月 19、20、21 日には、世界で最も尊敬されている自転車史家の多くが、国立科学技術博物館が主催する第9回国際自転車歴史会議に集まった。
オタワは、今年の会議の開催地として素晴らしい選択であった。この会議は、過去数年間、イギリスのケンブリッジ、スコットランドのグラスゴー、ニューヨーク州バッファローなどで開催されてきた。
オタワは自転車に優しいというよりは、自転車に夢中な街である。ラッシュアワーのひどい交通渋滞がなければ、この地域では自転車が主な交通手段だと思う。自転車専用レーン、地域全体に設置された無数の自転車ラック、市街地と郊外の170キロメートルを超える舗装された自転車道があり、自転車通勤やレクリエーションとしてのサイクリングは楽しいものである。
Velorama、Velocation、Bonne Randonnee などの会社では、レンタル自転車やガイド付きツアーを提供している。妻と私は自分の自転車を持ってきたため、レンタル代理店の 1 つから無料のルートマップを受け取り、セルフガイド ツアーに参加した。オタワにはサイクリストや自転車道がたくさんあるので、流れに身を任せて街全体を見て回るのは簡単である。また、オタワのトレイル システムは、セルフガイドでもツアー リーダー付きでもツアーには最適である。トレイルは、国会議事堂、マーケット スクエア、いくつかの素晴らしい博物館やギャラリーなど、街の主要な観光名所だけでなく、ガティノー国立公園やリーミー湖考古学遺跡などの郊外の観光名所にもつながっている。・・・
ディスク・ホイール - 2
100年後のディスク・ホイール自転車、その進化は、
ディスク・ホイール
ディスク ホイール付きの古い自転車
ディスク ホイールは、スポークではなく、側面が固いホイールである。ディスク ホイールはスポーク ホイールよりも重いが、空気抵抗が少なく、自転車に乗る人の速度を大幅に上げることができる。横風で問題を引き起こす可能性があるため、通常は前輪には使用しない。また、坂道では重量が重いため、通常は丘陵地帯では使用は避ける。
註、1890年代にディスク・ホイールとは、驚きである。
偉大なるローディーたち
偉大なるローディーたち 完全無欠保存版: ロードバイクに情熱を注いだ、すべてのローディーに捧ぐ Mook – July 1, 2000
On The Wheel 第4号
「オン・ザ・ホイール」On The Wheel 第4号、8 月・9 月号 1998年
クラシック サイクリストのための雑誌
サイクル誌-1957
サイクル誌 1957年1月発行より
六十余年前のクラブ・ラン
ーサイクル創世紀— (その七)
久留梅士
そう無精していないで、時には旧式の オーディナリー車をお目にかけるのもよかろうとの、今井編集長の仰せにしたがって、至って古物のガタクリ車「だるま型」をまた走らせることにしました。
慶応大学塾史編纂所に秘蔵される「道庁途説」と名づける冊子があります。これは明治初年に塾生が見聞したことを何くれとなく書き記した寄せ書き帳ですが 、その明治十二年三月廿四日と推定されるところに、
芝山内に於て自転車店開き殊之外流行し方々に出店する由線香一本の間二銭半日二十銭一日三十銭に而貸渡し運動には至て宜敷ものに而当塾の生徒中乗り人が多きと云風聞
とあります。この「創世紀」の第一回に引用した当時の新聞記事にも「線香一本二銭で自転車を借り、赤羽から大森まで走り」とあるのは正にこの店のことでしょう。赤羽は王子区赤羽ではなく芝公園外れの赤羽橋、線香一本二銭の料金も一致しています。筆者は折花攀柳の道に暗くお線香代なるものを知りませんが、大休の当りはつきましょう。「武江年表」 の明治三年の項に「自転車といふは今年松本町辺の者より始しが行れず」とある松本町も赤羽橋の畔りですから、どうもあの辺はサイクルに縁がある。一つ赤羽橋から始走してメモリアル・ランでもやろうじゃありませんか。
自転車熟はその後一寸下火になつて、 明治十八年ごろからまた流行り出しました。・・・
註、折花攀柳(せっかはんりゅう)は、中国の古典から生まれた四字熟語。字面通りには「花を折り、柳の木によじ登る」という意味だが、比喩的に、遊里(遊郭)で芸者や遊女と遊ぶことを指す。
On The Wheel 第3号
No. 3 - 1998年6月15日発行
クラシック サイクリストのための雑誌
V-CC 302号
ニュースと見解 ベテラン サイクル クラブのニュースレター
1955年に Southern Veteran-Cycle Club として設立
第302号 2004年8月/9月
2004年 IVCA ラリー 5月19日~23日
イベントは、ノイジードラー湖の西側にあるルスト(オーストリア)で5日間にわたって開催された。この大きな湖は長さ30kmで、湖の下流でハンガリーと国境を接している。
このラリーは、2日間がレースに充てられるという点で異例であった。イベント プロモーション会社が主催したため、テレビ用の撮影が盛んに行われ、開会式や表彰式では豪華な賞品が用意されるなど、これまでのイベントとは異なっていた。
イベントへの登録は水曜日に行われたが、旧友と会うのもその日の大きな部分を占めていた。イベントには2つのグループが参加し、1つはミュンヘンから、もう1つはトリエステからスタートした。
ソリッド タイヤのマシンは数台しかエントリーしておらず、オリジナルのオーディナリーは20台未満であった。レースに重点が置かれていたため、空気入りタイヤのスポーツ マシンが多数参加した。
木曜日はセンチュリー ライドだったが、それに加えて、サイクル・ジャンブル、IVCA の年次総会も行われた。
わが国自転車産業の構造分析-2-
磯部浩一 明治学院論叢 1959年
一、まえがき
二、部品工業の基本的構造
三、若干の代表的品工業の実態
四、外註・下請について
五、自転車生産における集中の状況――日本とイギリス
六、むすび
On The Wheel 第2号
クラシック サイクリストのための雑誌
1998年4月号
ニューサイ 創刊号
No. 1 1963. Vol. 1/1
ニュー サイクリング
サイクリング界の二軍? 『少年団の誕生』 ………………編集部……………(21)
『自転車のことなら何でも揃う通信販売・マヌフランスの話』 (8)
学校のクラブ『女子高校生ばかりのクラブ』 県立浦和第一女高の場合・・・・(12)
自転車百科事典『エンサイクロペジアヤポニカ」久留梅士………………(24)
初心者のために
サイクリング・メモ (1) 「サイクリングクラブのこと」 (29)
サイクリング・メモ (2) 「冬の服装」 どんなことに気をつけるか・・・ (30)
サイクリング・メモ (3) 「冬の間にすること」 整理や次のプランのこと・・・・
エッセイ 『季節のエッセイ/月と虫の話』…荒井隆夫………………(54)
或るクラブの活動 『レースの好きな仲間』 伊熊牧治………………(42)
28インチ・ドイツ製自転車を駆ったN君の手記『北京の日に』高橋長敏………………(48)6) 『サイクリング協会ってこんなところ』 事務局メモから・・・・・・・菊島英子・・(16)
「私の自転車旅行」…………………………佐古勝文………………(56)
『アマゾンジャングル』南米便り (世界界一周旅行のうちの一部) T・ヴェンツイナー (32)
「尾頭峠を越える』………久保井 力………………(54)
『室戸岬をまわる」……………榧橋 大………………(60)
「新製品ガイド」 (66)
「協会とクラブのページ」(68)
「パニアバッグ」 (読者サロン) (70)
編集後記………(72)
On The Wheel 創刊号
No. 1 - 1998年2月
年賀葉書コレクション
下の年賀はがきは、40年以上前に大変お世話になった小栗さんからいただいたもの。
浜松では当時一番腕の良い自転車職人であった。故障したスターメー・アーチャー社製内装ハブギアの修理も完璧に直してくれた。
当時のメモより、
或日、小栗自転車店を訪れた。店主は小栗幸平さんと言って、この時すでに83歳のご高齢であった。まず驚いたことは店の佇まいで、一般の自転車ショップのイメージからまったくかけ離れた店であった。店内に新品の自転車が置かれていないこと、床は土間であった。天井から古いフレームが何本も下がっていたり、中古の自転車が数台置いてあった程度。修理用の大きな作業台には万力があり、土間には確かフイゴのようなもがあった。昔の鍛冶屋のことは知らないが、たぶんそのイメージに近い店である。・・・