2025年4月30日水曜日

スティーブンスの日本旅行記-③

 スティーブンスの日本旅行記-③

長い綱で馬を先導する男たち。馬も牛も、男たちと同じように草鞋を履いている。

日本人が旅に出る際は、新しい草鞋を一足用意する。これは道の状態にもよるが、10マイルから20マイル旅ができる。履き古したら、どの村でも数セントで簡単に草鞋が買える。馬や牛の草鞋も同様であるが、通例は予備の草鞋を数足用意している。

峠の頂上は、尾根を貫く切り通しになっており、狭い段々畑や畑に沿って九十九折の道を日見川へと下っていく。滑らかで固い道が小川に沿って続き、ときおり石橋や木橋を渡る。内陸部に伸びる河口を過ぎ、小さな村の矢上に到着した。

日本の食堂は、どこもきれいで清潔感があり、 茶色の木工品は床から天井まで磨かれている。小上がりの端に腰を下ろすと女給が近づいてきた。 彼女はひざまずき、額を床につけて挨拶した。礼儀正しさは実に魅力的で、 もし鉄漿がなければ、 笑顔はきっと魅力的だったであろう。この国では、お歯黒は既婚と未婚の区別をあらわしている。 結婚すると歯は黒く染められ、それまでは小さな白い歯が並んでいて、それなりに魅惑的だが、このお歯黒は西洋人の心には全く不快なものになる。

日本の旅館では、魚と飯が最も簡単に手に入る食べ物であり、しばしば唯一のメニューとなっている。日本酒またはライスビールは、日本人の食事に含まれているのが普通だが、平均的なヨーロッパ人旅行者は、最初の飲み物をお茶だけにしている。日本酒は、徳利で提供される。酒を温めるために徳利を沸騰したお湯に数分間入れるが、日本人はそれを温めて飲む。酒はビールというより蒸留酒に近い。米から造られる純然たるアルコール飲料で、おすすめできる。最初は少々違和感があるが、ヨーロッパ人の口にも合うようになる。

矢上から最初の数マイルは、やや荒れた土地で、通常は良好な道路が通っているが、現在は大規模な補修工事中である。時折、道は切通で尾根を抜けるが、両側の茶色の法面は、シダや様々な色合いのつる植物があり美しい。岩や 竹林、趣のある小さな村、 農家が入り混じる風景は、まさに日本的である。

街道沿いの茶屋ではどこも素敵な着物を着て、にこやかに微笑む女給たちが魅力的である。彼女たちは店から 出てきて、通りすがりの旅人に休憩やお茶や軽食を勧める。彼女たちの接客は、愛嬌のある笑顔と丁寧なお辞儀、そして 「おはよー」(日本語の「お元気ですか?」)という明るい挨拶だ。茶屋に立ち寄る と、小さな女の子たちが「おままごと」 をするのと同じくらいの小さな急須 と、それに合うような茶碗が、漆塗りの盆に載せられ、愛嬌のある優雅さで客の前 に置かれる。店の前には、柿、菓子、ケーキ、そして様々な軽食が、食欲をそそる ように並べられている。どんなに些細な買い物 でも、その何倍もの価値がある親切さと礼儀 正しさで報われる。

日が暮れる頃、やや大きな街の大村に着き、魅力的な宿屋に泊まることにした。半ヨーロッパ風の服を着た若者が、私にちょっとした手助けをさせてもらえる機会に喜びを感じているようだった。二階の部屋を割り当てられ、私が横になれるように座布団を置いてくれた。礼儀正しい仲居が、入る時も出る時も額を床につけて挨拶する。お茶、お菓子、炭の入った小さな火鉢、痰壺など置かれた。これらのサービスは心地よく、私が腰を下ろすと、主人と妻と娘が皆でやって来て、最も上品なやり方で挨拶した。

他の東洋諸国で経験したような挨拶や敬意の表し方にもかかわらず、ヒンドゥー教徒が偶像の前でひれ伏すように、自分の前で頭を下げる光景には、やはり感銘を受けずにはいられない。


158頁

「アウティング」誌 
第12巻 4月~9月 1888年(合本版)
自転車世界一周 トーマス・スティーブンス著
(アウティング誌特派員)




2025年4月29日火曜日

ヴェロシペードの楽譜

 ヴェロシペードの楽譜

これもヴェロシペードの楽譜

ゲイ・ベロシペード

 作詞:ジオ・クーパー 編曲:ハリー・ミラー

出版社 J.L. ピーターズ 出版社所在地 ニューヨーク

出版日 1868年


楽譜の表紙
ゲイ・ベロシペード
1868年

楽譜の一部

以前にアップした楽譜表紙
1869年

2025年4月28日月曜日

スティーブンスの日本旅行記-②

 スティーブンスの日本旅行記-②

日本の紙幣(10円、5円、1円、50銭、20銭、10銭)と、道端の茶屋でお茶や果物を買うための銅銭を用意して、11月23日火曜日の朝、私は美しい日本を横浜まで800マイルの旅に出発する。 F大尉とアメリカ領事のB氏がホテルまで見送りに来てくれた。夜に雨が降ったので、道路は少しぬかるんでいた。長崎の整然とした通りを抜け、曲がりくねった道に行き、木々や花の趣のあるデザインで飾られた丘陵の墓地を通り過ぎ、日本人の不思議そうな視線と好奇心に満ちた声に追われながら走った。長崎は、海岸沿いの丘陵地帯の麓に位置し、長崎の市街地を出てすぐに登りになる日見峠へ。峠には良い道路が整備され、旅行者や農産物を運ぶ人々から通行料を徴収するための料金所が設置されている。

料金所のおばさんは、私が料金所を通り過ぎて急な坂を登っていくと、微笑んで私に頭を下げていた。

しかし、日本の通行料や道路に関する私の経験不足により、その礼儀正しさは役に立たなかった。

数枚の小さなコインと引き換えに、日本語の文字が書かれた木製の通行切符を受け取った。これはさらに上の料金所へのパスポートになると思ったが、その後、それが往復切符であることを知った。料金所のおばさんは、当然のことながら、私がまた長崎に戻るだろうと考えたのである。

峠では、米、飼料、薪、そして様々な農産物を積んだ小さな馬や牛が、菅笠をかぶり、赤い丹前を着た人足たちが曳いていた。


145頁
図のキャプション
「日本語の文字が書かれた木製の通行切符をもらう」

明治中期の日見峠 
長崎大学付属図書館所蔵 

2025年4月27日日曜日

書籍案内

 書籍案内

「文学ニュース」1887年5月号

「サイクリング」ベリー子爵とジョセフ・ペネル著 1887年 初版

ロンドン ロングマンズ・グリーン・アンド・カンパニー

「Cycling」 by Bury Viscount K C M G and Hillier G Lacy (Author)

 1 Jan. 1887


133頁
「文学ニュース」1887年5月号 
サイクリング本の案内

2025年4月26日土曜日

スティーブンスの日本旅行記--①

 スティーブンスの日本旅行記-①

アウティング誌でたどるトーマス・スティ-ブンスの日本旅行を、これから何回かに分けて紹介する。

既にこのブログでもトーマス・スティ-ブンスの日本旅行はたびたび取り上げている。恐らくほとんどが重複する内容と思われるが、このアウティング誌が原典であるから無駄ではないと考えている。

「アウティング」誌 第12巻 4月~9月 1888年(合本版)


144頁

表題
「アウティング」誌 第12巻 4月~9月 1888年(合本版)

自転車世界一周 トーマス・スティーブンス著(アウティング誌特派員)

日本を通る(ダルマ自転車で日本を走る)
中国での自転車旅行体験がもうすぐ終わろうとしている。
中国当局は私を船で贛江(かんこう)から揚子江まで送ることに決めた。私は荷物の配達のように都市から都市へと運ばれて行った。
数マイル下流で、約20隻の軍用ジャンク船の艦隊を追い越した。それは、非常に斬新で興味深い光景であった。
それぞれの旗や、たなびくペナントがたくさん飾られていた。ジャンク船は、現代の戦争においては、水に浮く大樽と同様に全く役に立たないだろう。しかし、それらは、勇敢な光景を見せている。
これらのジャンク船は、中国の海域では船の色に合わせたユニフォームを着た14人の漕ぎ手によって操船される。漕ぎ手たちが、長くて扱いにくい、オールを見事に息の合った動きで漕いでいる。彼らの制服は、オールを漕ぐたびに袖がはためいていた。
私の乗る小型サンパン(平底舟)は一日中この華やかな船団に同行し、その船を目撃することができた。
小さな街では、数人の兵士と役人たちが岸辺に集まり、旗を立て、銅鑼を激しく打ち鳴らし、そして歌う。爆竹を鳴らし、艦隊の先頭の船は、この騒々しい賛辞に対して礼砲を放つ。大量の爆竹がパチパチと音を立てて鳴り響き、銅鑼が鳴り、砲弾が炸裂し、艦隊の大砲から発射される爆音が山々に響き渡る。
正午過ぎに通った街では、さらに 15 隻のジャンク船が並んでいた。艦隊が通過すると、これらの船舶は同時に礼砲する。爆竹の音とたくさんの銅鑼の音が響き渡る中、20隻の艦隊も同様の賛辞を返し、乗組員たちも歓声をあげた。15 人が行列に加わり、何百もの鮮やかな色の旗と、演劇的な衣装を着た漕ぎ手たちによって、それは美しい光景となる。午後4時頃、その日の目的地である上海に近づいているとき、出迎えたのは、旗の豪華さと絵のように美しい2隻の船だ。旗と乗組員の服装は紫色が主流であった。

2週間の冒険的な川下りと、自転車で数日かけて陸路を走った後、当局は私を、イギリス領事館の手に引き渡した。そこは、イギリスの条約港の一つである。この港から私は河船に乗って上海に行き、それから日本に渡る。そこでははるかに良い道路とより良い待遇が私を待っている。

(上海から横浜丸で長崎へ)

2025年4月25日金曜日

交通回顧展

 交通回顧展

下の写真は1914年にリヨンで開催された国際博覧会での交通回顧展

リヨンで行われた「交通回顧展」では、乗り物の先史時代の雰囲気を漂わせる1885年製ド・ディオン・ブートン製蒸気三輪車などが展示された。


1914年、リヨンで開催された国際博覧会

同上

2025年4月24日木曜日

ブリティン誌

 ブリティン誌

下はオーストラリアの「ブリティン」(ニュース速報)誌 1884年4月5日発行

達磨自転車の広告あり、

1884年の特別クラブ自転車

すべての競争相手より先を行く。

当社の自転車は、製造されたどのマシンよりも最大の販売実績を誇り、最高の満足度を提供する。

弊社の価格は安価である。

当社の規約は最も簡単で、ビジネスエンパワーメントシステムは、完璧な顧客満足度を保証する。

手紙か電話で照会を。

ジェームズ・マーティン・アンド・カンパニー

389 ジョージ ストリート、シドニー (ロイヤル ホテルの向かい側)


15頁
「ブリティン」誌 1884年4月5日発行

表紙
「ブリティン」(ニュース速報)誌
1884年4月5日発行
The bulletin. - National Library of Australia

2025年4月23日水曜日

フランク・レンツ関連

 フランク・レンツ関連

昨日は自転車でフランク・レンツが宿泊し、初めて混浴を体験した旅館があった場所の再調査。

2025年4月22日(火)曇り

明治~昭和初期に国府津駅前にあった蔦屋旅館の現地調査へ。

何度か現場を訪ねているが、まだよくわからなかった。本日、どうやら場所の特定ができた。

以前に調査した場所から更に100mほど東側にそれらしき面影を残す場所があった。地図と当時の写真を手掛かりに検討したところ、この場所で間違いないと判断した。御影石の門柱が決め手となった。

註、蔦屋旅館は当時国府津では有名な旅館。この蔦屋旅館に明治25年11 月20日、アメリカ人サイクリストのフランク・レンツが宿泊し、初めて混浴を体験した旅館である。

フランク・レンツの日本旅行記は下記を参照。

レンツの日本自転車旅行


蔦屋旅館の入り口と思われる

門柱に注目

昭和12年の絵葉書

石垣にも歴史を感じる

大日本職業別明細図 昭和12年版

国府津駅の壁画


帰路はいつもの天神さんのナギと牛神様を参拝する


2025年4月22日火曜日

アメリカン・イーグル関連

 アメリカン・イーグル関連

先日、下の写真がメタにアップされた。
コメントによると、
この写真は、ドン・アダムスの本「アンティーク自転車の蒐集と復元」からで、この3台のレプリカ・イーグルはゲイリー・ウッドワード氏によって製作された。
とある。
ゲイリー・ウッドワード氏の名前は懐かしい。
1991年7月1日に彼の邸宅を訪問したからである。そして大いに歓待してくれた。
当時、 59 才のウッドワード氏はフォード社のエンジニアで、マツダ自動車の関係で広島にも来ている。

「アンティーク自転車の蒐集と復元」

ドナルド・アダムスの本

オットーダイシクルに乗る
ゲイリー・ウッドワード氏
1991年7月1日撮影

いただいた名刺

2025年4月21日月曜日

ハーパーズ・ウィークリー

 ハーパーズ・ウィークリー

これもハーパーズ・ウィークリー誌から、1868年9月5日発行

若きパリジャンは今まさにヴェロシペード(自転車)に夢中だ。そして、これらのマシンは今や、この大都市の目抜き通りで迷惑行為となっている。これは 2 つの車輪が付いたマシンで、乗り手はその車輪の上に座って、足でペダルをこぐ。我々がヨットやドライブに出かけるのと同じように、男たちはヴェロシペードに乗って出かける。・・・


挿絵を拡大

571頁
図、ヴェロシペードでパリを走る
ハーパーズ・ウィークリー
1868年9月5日発行

デジタル・ライブラリー(更新)

  日本自転車史研究会デジタル・ライブラリー 

現在、日本自転車史研究会では会報などに掲載された投稿記事のデジタル化を進めている。

今後、デジタル編集が終わったものから逐次ネットにUPを予定。

(他のサイトからの記事もあり)

「99、自転車年表」を更新

 2025年4月21日現在、

1、知られざる銀輪の”わだち 大津幸雄

2、日本の自転車史と鑑札 高橋 勇

3、歴史を大事にしたい 今井彬彦

4、カレンダーに見る山王とロン・キッチンそして鳥山新一 渋谷良二

5、ドライジーネとミショー型の歴史 小林恵三

6、梶野仁之助伝(改訂版) 大津幸雄

7、日本の自転車史・その疑問点(改訂版) 大津幸雄

8、日本における自転車の製造・ 販売の始め 齊藤俊彦

9、自転車の歴史探訪 大津幸雄

10、「自転車学」の提唱 佐野裕二

11、日本のオーディナリー型自転車の歴史 大津幸雄

12、資料で読む中村春吉 大津幸雄

13、NCTCの分派 渋谷良二

14、自転車産業技術の変遷に関する一考察 渡邉喜久

15、「第三フランス通信」について 渋谷良二

16、彦根藩士「人力自走車」創製の記録 大須賀和美

17、自転車全書 松居松葉

18、ロンドン・ペダリング 大津幸雄

19、アンチック自転車 高橋 勇

20、創立20周年を迎えて 石原政雄

21、日本の自転車製造業の歴史 大津幸雄

22、パリの古本屋をたずねて 瀧川美佐緒

23、初めてのサイクリング 大津幸雄 

24、日本の自転車灯火 梶原利夫

25、オーディナリー自転車について 大津幸雄

26、江戸中期の自転車「陸舩車」  真船高年

27、日本の自転車の歴史(遺稿) 佐野裕二

28、History of The Ordinary in Japan Yukio Ootsu

29、歴史は繰返す”スポークの折損より 井上重則

30、お寺にあったダルマ自転車 大津幸雄

31、旅と自転車史 植原 郭

32、日本輪友会について 大津幸雄

33、自転車発展の途をたどる 高木六弥

34、日本自転車史の脇役たち 高橋 達

35、自転車はどこを走ればよいのか? 大津幸雄

36、Around the world on a bicycle  ThomasStevens

37、自轉車利用論 金澤来藏

38、Bicycles & tricycles  Archibald Sharp

39、Across Asia on aBicycle Allen and Sachtleben

40、各地の自転車小史 須賀繁雄

1The Modern Bicycle  Charles Spencer

2Round the World on a Wheel John Foster Fraser

43、自転車発明の始祖に思う 奈良重幸

44、自転車術 渡辺修二郎

45、名古屋デザイン博の自転車イベント 大津幸雄

46、「 自転車」のスポーツ史的考察 奈良重幸

47、日本の自転車製造業の歴史(改訂版) 大津幸雄

48、遠いフィンドレー 大津幸雄

49、ドライジーネの原書コピー 八神史郎

50、郵便と自転車 斧 隆夫

51、自転車史研究ノート 稲垣正浩

52、明治12年と自転車 齊藤俊彦

53、人力飛行の夢を追って 稲垣正浩

54、明治末の鳥取における自転車競走 大熊広明

55、ジャパンパンチ・ワーグマン 高橋 勇

56、ニュースレター・バックナンバー 大津幸雄

57、娯楽俱楽部 民友社

58、日本の自転車製造業の歴史(改訂新版) 大津幸雄

59、郵便と自転車 大津幸雄

60、明治期の埼玉における自転車事情 佐竹慎太郎

61、名車 "Rene・HERSE" 上野修一

62、スティーブンスの自転車世界一周 大津幸雄

63、簡易写真術 扶桑商会

64、1985年版資料目録 日本自転車史研究会

65、Velocipedes  Bicycles and Tricycles  1869 Velox

66、日本で最初の自転車旅行 大津幸雄

67,輪界追憶録 佐藤半山遺稿

68、輪界追憶録について 高橋 達

69,佐藤半山の遺稿 高橋 達

70、スティーブンスの日本での旅程 大津幸雄

71、アメリカン・スターについて 大津幸雄

72、堺の自転車 堺輪業協会

73、外装変速機のすべて 前田鉄工所

74、簡易自転車修繕法 佐藤喜四郎

75、ホルストマンの日本滞在記 大津幸雄

76、フランク・レンツとビクター号 大津幸雄

77、陸奔車の中川泉三  大津幸雄

78、正田門弥の千里行車について 大津幸雄

79、ヴェロシペードの時代 大津幸雄

80、ラントーン(RANTOONE)について 大津幸雄

81、「提督の物語」のヴェロシペード 大津幸雄

82、ヴェロシペードの時代(増補版) 大津幸雄

83、「ジャパン・パンチの自転車」-1 真船高年

84、自転車の復権 大津幸雄

85、千里行車と陸奔舟車の駆動方式 大津幸雄

86、自転車の切手について 大津幸雄

87、日本最初のサイクリング? 小林恵三

88、やはり明治の自転車リロイ号 大津幸雄

89、ジャパン・パンチの自転車 -2 真船高年

90、ジャパン・パンチの自転車 続編 真船高年

91、埴 亀齢の三輪車 大津幸雄

92、郵便と自転車の出会い 大津幸雄

93、足柄・箱根サイクリング 大津幸雄

94、南アルプススーパー林道サイクリング 渋谷良二

95、世附サイクリング 大津幸雄

96、第1回ポリージャポン 大津幸雄

97、門弥が先か? 大津幸雄

98、ラレーの思い出 山中唯裕

99、自転車年表 大津幸雄

100、サンビームのレストア記録 小池一介

101、リンゲのボーンシェーカー 大津幸雄

102、日本自転車史 大津幸雄

103、会報「自轉車」創刊号 日本自転車史研究会

104、自転車の起源はどこにあるのか 小池一介

105、モトゥス 陸奔舟車  日本自転車史研究会

106、レンツの日本自転車旅行 大津幸雄 編


2025年4月20日日曜日

ハーパーズ・ウィークリー

 ハーパーズ・ウィークリー

下の挿絵はハーパーズ・ウィークリーの有名な木版画。自転車史関連の書籍には必ずと言ってよいほど転載されている。

「ハーパーズ・ウィークリー」誌、1868年12月19日発行


812頁(合本版)
上、パリでのヴェロシペードによる女性レース
下、アメリカン・ヴェロシペード


表紙
ハーパース・ウィクリー
1868年12月19日発行(合本版)

2025年4月18日金曜日

トーマス・スティーブンス自転車ライド

トーマス・スティーブンス自転車ライド

 141周年記念トーマス・スティーブンス自転車ライド

 2025年4月26日、ハンコック、MDで開催。

1884年4月22日、ダルマ自転車でサンフランシスコを出発し、世界旅行の旅へ。

トーマス・スティーブンスは、世界一周を自転車で旅した最初のサイクリスト。 彼の冒険は自転車に乗る魅力を世界に喧伝した。

イベントの詳細:

•日時:2025年4月26日(土)

•開始時間:午前9時

•場所:ハンコックパーク&ライド駐車場

新規ライダーでも経験者でも、舗装されたトレイルを往復2時間走る。

ライドの後は、Buddy Lou'sで宴会もあり。


トーマス・スティーブンス
「自転車世界一周」の挿絵

トーマス・スティーブンス関連

 トーマス・スティーブンス関連

「文学ニュース」1887年7月 第8巻 第7号で、「自転車世界一周」 トーマス・スティ-ブンス著を紹介。

「自転車世界一周」の第1巻は、サンフランシスコを出発し、テヘランまで。

彼の旅行での観察眼とその記述、さらに185点におよぶ挿絵を掲載。

本書は500頁を超える大冒険の記録である。 


「自転車世界一周」の挿絵

2025年4月17日木曜日

ヴェロシペードの歌集

ヴェロシペードの歌集

 下は「ヴェロシペードの歌集」リトグラフ楽譜:トーマス・シンクレア、ヴェロシペードセット、フィラデルフィア出版 1869年

「Bicycles Songsheet」 Nlithograph Sheet Music Cover by Thomas Sinclair for The Velocipede Set Published at Philadelphia 1869


表紙

楽譜

2025年4月16日水曜日

輪界12号

  輪界12号

明治42年(1909年)8月25日発行

目次、
社說 p1~1
論說 p2~9
成功と勉强  大隈重信 p2~4
米一石の資本より東洋の大實業家大財產家となりし實例 齋藤生 p4~7
家庭と自轉車 駒塚橋人 p7~9
文苑 p10~15
私語  士材野人 p10~15
雜錄 p15~43
自轉車婦人談 p15~22
競走及遠乘會記事 p23~29
商店巡り p30~34
東京自轉車商同業者組合の創立 p37~43

表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ

宮田製作所
自動旋盤を買い入れ

目次

ラーヂ会社幹部と会合
岡崎久次郎

ラーヂ会社の景

宮田製作所 米国から自動旋盤を導入

2025年4月15日火曜日

トーマス・スティーブンス関連

  トーマス・スティーブンス関連

アウティング誌を眺めていたら、下のスケッチ画が目にとまる。
トーマス・スティーブンスの「自転車世界一周」(Around the World on a Bicycle)は何度も眺めているが、このスケッチ画は初めて見る気がする。

この画の説明書きには簡単に「特徴的な山の近くに」とあるが、この山が富士山のようでもあり、急峻な別な山にも思えてくる。手前の建物も日本風ではない。だが浜辺に浮かぶ舟は和舟であり艪も正確に描かれている。やはりこの画の場所は静岡から東海道を三島方面に向かうところの風景と思われる。

「本文を見ると、1886 年 12 月 4 日の土曜日に日本の主要な都市のひとつである岡山に着く、私はのんびりと自転車を走らせながらこの街を見物した。 
長崎を離れて以来、日本人を除いて誰も私の前を横切った外国人はいなかった。ここでも同様であると思っていた。 
しかし、嬉しい驚きが私を待っていた。商店街の大通りを行くと一つの角に 2 人のアメリカ人宣教師が現れたからである。  
自己紹介をしたら彼らはキャリー氏とローランド氏であった。そして、宣教師の3家族もこの街に住んでいることを私に教えてくれた。・・・ 」

237頁

表題
アウティング誌 合本版 第12巻
1888年4月~9月号
Outing : an IIlustrated Monthly Magazine of Recreation 

2025年4月14日月曜日

輪界11号

  輪界11号

明治42年(1909年)7月25日発行

目次、
社說 p1~1
論說 p2~10
町田大佐の自働車談 p2~5
石井式水上自轉車發明談 p6~7
廣井博士談 p7~8
虛僞の手形とは如何なるものなるや 金峯仙人 p8~10
文苑 p11~18
五月雨  蘇雲愚夫 p11~15
大森より  生田硯川 p15~18
雜錄 p20~42
交通の發逹 p20~30
競爭會外遠乘會記事 p31~32
商店廻り p33~36
輪界雜話 p36~38
鈴の音 p39~42

表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ

名古屋競争会
優勝者 佐藤彦吉

目次

33頁
石川商会 廃業について

2025年4月13日日曜日

各種三輪車 - 5

 各種三輪車 - 5

「三輪車愛好家の年鑑とハンドブック」1883年より

The tricyclists' indispensable annual and handbook; a guide to the pastime, and complete cyclopaedia on the subject

by Sturmey, Henry Publication date 1883


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ラッカー三輪車など

以下は三輪車のリスト

価格、サイズ、重量、車幅、駆動方式の一覧表

279頁
二人乗り アポロ他

280頁
二人乗り
チェイルズモア、コベントリー、プレミアなど

281頁
一人乗り
コロンビア、ビクターロータリーなど

282頁
ロイヤルメール、オーロラ、カンブリアンなど

283頁
ランブラー、ラッヂ、ロイヤルサルボ2など

284頁
ミノタウロス、ロイヤルサルボ1など

285頁
コベントリーゼファー、ロイヤルロブロイなど

286頁
リーダー、ラピッド、ロイヤルメール2など

287頁
カンブリアン1、エンプレス、エンセンシャルなど

288頁
アラスカ、コジェント、エキスプレスなど

289頁
エキスプレススペシャルなど
手動式三輪車


290頁
子供用二人乗り
子供用一人乗り