明治29年12月26日に行われた国府津~横浜間の自転車レースの出場選手はすべて外国人でした。そして、たった4名の選手で争われました。自転車レースは、この時期まだ、日本人にはなじみの薄いものでした。
以下は、12月30日付けの万朝報の記事です。
自転車競走 去る二十六日国府津より横浜迄凡そ十里間の懸賞自転車競争会あり此競争には内外人の別なく総ての自転車使用者は加はるを得る筈にて賞金は一等五十弗二等二十五弗の定めなりし当日の競争者は僅かに横浜在留の外人スコット、エートン、モールス及びマクゴワンの四人にて午前十時半一斉に国府津を出発したるにスコットとマクゴワンの両人早くも抜きんでて戸塚迄は負けず劣らず走りしが此処にてマクゴワンの自転車は鎖切れたればやむを得ず中止しスコット容易く先着を占めて第一等賞を得たるが其時間は二時七分にして第二着はエートン是を占め二時十一分十五秒を費やしたり
なお、この日に沿道の警備にあたった警察官の記録も残っています。
12月26日 晴 前10時国府津発自転車競走アルニ付、東海道取締ノ為メ9時発シ中島ニ到リ、八百仙ニ依リ一吹ス、歳暮トシテ床由ヨリ鱒一尾貰ヒタリ(石上憲定「自渉録」より)
資料提供:松島靖幸氏