先般、司馬遼太郎の「酔って候」(文春文庫)を読んでいましたら、ちょっと気になる文章がありました。
225ページに、
「旦那は、その箱をしさいに見た。高さ二尺五寸、横一尺、深さ七寸ほどの箱で、箱には車輪が四つついていた。箱の内部には轆轤から着想した大小の歯車がいくつかついている。その中の心棒を一回転させると、車輪が三回転するという仕掛けで、旦那がこころみに心棒のはしをつまんでまわすと、歯車がさあっと走り出した。」
宇和島藩でも黒船をつくろうということになり、城下の裡町四丁目、平兵衛店という裏借家に住む平人の嘉蔵に長者の清家市郎左衛門から話が持ち込まれたのでした。そこで、何でも器用に作る嘉蔵が黒船を動かす模型のような動力を製作したのです。嘉永七年(安政元年・1854年)頃の話のようです。
これも陸船車の一つのように思われました。