リー・フランシス
リー・フランシスのカタログ、1900年版の表紙
リー・フランシス・サイクル コベントリー
日本自転車史研究会のブログ Copyright © Yukio Ootsu
自転車のパイオニア
ホイールマン: 自転車、オートバイ、自動車のパイオニア
ロバート・M・キーティング 2014年10月15日発行
ロバート・M・キーティングの物語である。 1862年、マサチューセッツ州スプリングフィールドで貧しいアイルランド移民の家庭に生まれた彼は、父親が突然亡くなったときまだ13歳だった。機械工学の才能に恵まれた早熟の少年だったキーティングは、22歳で最初の特許を申請し、28歳で自分の自転車会社を設立し、32歳で最先端の革新的な自転車のラインを設置した。
彼は野球に興味を持ち、メジャーリーグで短期間プレーし、野球のゴム製ホームプレートの特許を取得。 1901年初頭、キーティングはインディアン社やハーレーダビッドソン社よりも先に画期的なオートバイを開発、販売し、後に両社を特許侵害で訴えて勝訴した。彼の会社は 1898 年から自動車の製造も開始し、電気自動車とガソリン自動車の両方を生産した。 59歳で亡くなった時点で、キーティングは自転車やオートバイのデザインからランチチェア、トイレの最新式水洗装置に至るまで、49件の特許を保有していた。
1953年のツール
下の写真は、1953年のツールドフランスで総合優勝したルイゾン・ボベ(Louison Bobet、1925 - 1983)が第18ステージのイゾアール峠を走る場面。
ルイゾン・ボベは、フランス、サンメーン・ルグラン出身の自転車競技選手。ツール・ド・フランス史上初の総合3連覇を達成した。
ボベは第18ステージの難所、イゾアール峠で一気にスパートをかけそのまま区間優勝を果たすと、前ステージまで総合首位だったジャン・マレジャックからマイヨを奪い、さらに第20ステージの山岳・個人タイムトライアルでも圧勝した。
自転車1世紀の歴史
コレクションとマニフェストで自転車1世紀の歴史を語る。
国立塩博物館
2025年2月22日 土曜日 16時から
予約なしで入場料無料
自転車世界漫遊
日本力行会の会員である大久保素公(25才)は、1914年(大正3)2月20日に自転車世界一周の旅に出発した。
当日は午前9時から皇居前広場で二重橋を拝しながら、日本力行会のメンバーやその他の関係者、それに野次馬を含めた大勢の人々が集まり、壮行会が行われた。大久保は集まった聴衆を前に、自転車世界一周の抱負と決意表明をした。その後、主催者を代表して会長から旅の無事と成功を祈念する挨拶があった。報道陣のインタビューもあり、最後に集まった人々全員が万歳三唱。壮行会の終了後、自転車に乗った彼は勇ましく皇居前を出発した。背中には、日本語と英語で「自転車世界漫遊」と書かれた旗がひらめいた。
清輪 第1号
「清輪」清輪社 創刊号 1905年(明治38年)3月10日発行
ニューサイ - 7
月刊雑誌「ニューサイクリング」第7号 1963年10月1日発行より、
海上用ヴェロシペード
「English Mechanic and Mirror of Science and Arts」 FEB. 19, 1869.
1869年2月19日 金曜日発行
海上用ヴェロシペードとその構造
詳細は478頁に掲載
駆動装置及びブレーキ
カナダ特許庁の記録
1895年1月31日 47920番 自転車等の駆動装置及びブレーキ機構
ビルガー・リュンストルム、スウェーデン、ストックホルム、1895年1月16日
ヴェロシペード関連書籍
「ヴェロシペード:その歴史、種類、実践」
著者: JT ゴダード 1869年発行
J. T. Goddard
フレンチ・ヴェロシペード
これもフレンチ・ヴェロシペード・カンパニーの広告
「 English Mechanic and Mirror of Science and Arts」 FEB. 12, 1869.
A. DAVIS & CO. 14、 ストランド