清輪 第1号
「清輪」清輪社 創刊号 1905年(明治38年)3月10日発行
表紙
目次
明治30年11月3日 向島松島園
明治桜輪会のメンバー
註、明治桜輪会は、劇場の明治座を中心に組織されたもので、河原崎權之助が主唱者だった。河原崎は「とかく柔弱に流れやすい俳優は体育にはとくに意を注がねばならない。自転車に乗って郊外に出て新鮮な空気を注入することは妙を得たもので、この見地から倶楽部を起したわけだ」と話していた。市川左団次君は結成当初から熱心な共鳴者であった。
「輪界追憶録」 佐藤半山 遺稿より
24頁
◆小田原の小峰
梅は老樹臥龍の概なきも梅林の名には叛かず段々になりて林をなすさま面白く此地は平生東京あたりより氣候十五度位も暖かきためか梅はいつも他所に比して早く既に三四分の蕾を破りたりとあれば本月第一第二の日曜日頃最も見頃なるべし汽車も自轉車は無賃輸送になりたれ
26頁
29頁
30頁
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宮田製作所
註、自転車の図をよく見るとオバーマン・ホイール・カンパニーのヴィクター号である。
上の図を拡大
梶野製の自転車の図
まったく同じ図が使用されている
明治36年10月5日「輪友」第24号
「電信配達と自轉車」
東京中央電信局受付配達課長
八木鍾次郎 著