スティーブンスの日本旅行記-⑰
好奇心旺盛な野次馬がその訓練を見守っている。未熟な騎兵新兵が小さな馬に乗ると、馬は跳ねたり、噛んだり、足で蹴ったりする。兵士が投げ飛ばされるたびに見物人たちは笑い声をあげる。男も馬も小柄だが、ずんぐりとして使いやすそうに見える。騎兵隊の制服は青に黄色の縁取りが施されている。砲兵隊は整然としている。馬は小柄ながらも力強く、まさに過酷な作戦にふさわしい馬だ。
広島の北は丘陵地帯で、道は渓流を上り、また渓流を下る。この山岳地帯では、ベンガルの俊足の郵便配達員に匹敵するような配達員に出会う。日本の郵便配達員は、腰巻きと白と青の綿チェックの薄着という点で、より自然体だ。郵便袋は竹の棒に括り付けられている。軽快な足取りで跳ねながら、「ホー、ホー!」と音楽的な声で叫び、人々に道を空けるよう促す。この声は、春に南からの暖かい北へ急いでいる老いた小ガモ、つまり野生のガチョウの鳴き声に非常によく似ている。
これらの山々に囲まれた土地で、勤勉な日本人がわずか数エーカーの耕作地を確保するためにどれほどの労力を費やしてきたかには、驚嘆するしかない。堤防を築き、川の流れを狭めることで、残りの川床を畑や庭園に作り変えた。山々の間、主に山と海岸の間には、数平方マイルの平地が広がり、土地の面積に比べて不釣り合いなほどの人口を支えている。しかし、海岸に住む人々の多くは、瀬戸内海の青い海で生計を立てている。魚は米と並んで、日本の主食である。
今日の旅の終わりには、天候は一変し、かなり寒くなってきた。こうして私は、寒い時期に、木の骨組みと半透明の障子でできた家で、日本人がどうやって暖をとっているのか、その謎に直面することになった。床に開いた穴に炭の入った火鉢を置き、その上に木枠を載せ、掛け布団をかけて暖をとっている。(掘り炬燵)そのやり方の秘訣は、このフレームの下に体を入れ、肩周りをしっかりと覆い、内部の温かい空気が逃げないようにすることである。このユニークな構造の利点は、頭部を涼しく保ちながら、必要に応じて体を温めることができる。
日本の宿屋での一夜の体験は、他の夜とほとんど変わらない。人々が一様に感じよく礼儀正しい国では、その日の旅は順調で楽しく、何事もなく終わることが多いものである。時折、良好な道路、田んぼ、山の景色が続く日々の単調さを和らげるような小さな出来事が起こるが、たいていはそれなりに楽しいものである。その瞬間は楽しいものだが、日記に残すほど重要なことではない。村の食堂で夕食について話し合っているときに起きた出来事も、このようなものであった。ちょうどその時、一人の修行僧がやって来て、壱銭分のサツマイモを購入した。私自身の勘定に数銭上乗せするだけで、彼の質素な注文は、魚、米、酒のたっぷりとした食事に変わった。老托鉢僧が私に惜しみない感謝と優雅なお辞儀という形で与えてくれたものほど、金銭に見合うだけの豊かな見返りを、かつて得たことがない。老僧と私が一緒に宿屋に入るという奇妙な光景を、群衆も同じように感嘆と賛同の笑みで見守っていた。
今日は肌寒い日で、時折雪がちらつく。人々は背中を丸めて鼻を青くし、いかにも寒そうにしている。しかし、彼らはただ滑稽なほど陰気なだけで、この寒さと雪にひどく腹を立てているわけではない。茶屋の風上には藁葺きの防風柵が設けられ、通行人が茶屋の火鉢の周りに集まっては、おしゃべりをしたり煙草を吸ったりして立ち止まる姿が目立つ。
日本では男女問わず、誰もがタバコを吸う。この国で広く使われているパイプは、長さ約15センチの小さな真鍮の筒で、先端を上に折り曲げた(雁首)ものである。この先端の火皿にタバコをひとつまみ入れる。数回吸い込み、火鉢の縁で雁首を軽く叩いて吸殻を出すと、満足するまで何度も煙管の火皿にタバコを詰める。宿屋や茶屋で給仕をする女たちは、服の袖の大きなポケットにタバコを忍ばせているし、煙管は帯やガードルに差し込んだり、髪の後ろに挟んだりしていることもある。