嘉蔵の箱車
このブログでも既に取り上げているが、嘉蔵の箱車について再度触れる。
以下の記事は、
司馬 遼太郎「花神」 (上) (新潮文庫) (p.173) 新潮社より、
嘉蔵はその間、家にひきこもりきりであった。黒船はみたことがない。まして船舶用機関などみたこともなく、一般の蒸気機関というものについても想像の手がかりもないのである。が、嘉蔵は、考えぬいた。ただ考えるだけでなく、かれの想像力をからくりもって一個の機械をこしらえてみた。
これを十五日目に、町年寄の市郎左衛門のもとにとどけた。市郎左衛門はすぐ藩庁へかけつけた。それを松根図書と桑折左衛門のふたりの家老がみて、驚嘆した。
高さ二尺五寸、横一尺、奥行七寸ほどのほそながい箱のようなものに車輪が四つついている。その箱のなかが機械室で、大小の歯車がいくつとなくかみあっており、そのうちの心棒を一回転させると車輪が三回転するというしくみになっていた。 こころみに松根図書が心棒をまわすと、・・・。
上の記事からではさっぱりその構造は分からない。高さ76㎝、横30㎝、奥行き21㎝の箱型の四輪車の模型。駆動部は大小の歯車がいくつかかみあっていて、その心棒を1回転させると車輪が3回転する仕組みになっている。
いづれにしても、嘉蔵はこの駆動方式の模型を基に国産の蒸気船を幕末に製作している。