2024年10月31日木曜日

ホビーホース

 ホビーホース

下の資料は、「ロンドン マガジン」イラスト入り 月刊誌。

編集者: リチャード ブリンズリー ノウルズ

第 1 巻 1853年発行

THE ILLUSTRATED LONDON MAGAZINE:

A MONTHLY JOURNAL,

EDITED BY RICHARD BRINSLEY KNOWLES

VOL. I. 1853.

註、下の記事の内容は葬儀の行列であろうか、「ホビーホース」という文字が見えたので、参考までに載せる。

このホビーホースは、それとも仮装の木馬かもしれない。


表紙

125頁

スタッブスはこう述べている。「それから彼らは、ホビーホース、ドラゴン、そして悪ふざけをして、笛吹きや太鼓奏者とともに、悪魔の踊りに合わせて打ち鳴らす。この異教徒の一団は教会の墓地に向かって行進し、笛吹きは演奏し、太鼓奏者は雷鳴を響かせ、切り株は踊り、鐘は鳴り、ハンカチは狂人のように頭の上ではためき、ホビーホースや他の怪物は群衆の中で小競り合いをする。・・・」

2024年10月30日水曜日

自転車の世界 - 3

  自転車の世界 - 3

これもTHE WHEEL WORLD誌から、

註、下にあるホビーホースの風刺画が載っていた。

このイラストの左端の道しるべには、To John o' Groats(最果てと云う意味も)と書いてある。

ジョン・オ・グローツは、スコットランドのハイランド地方にある村。グレートブリテン島で最も北に位置する村ということから、観光客に人気がある。近くには同島最北端のダン岬もある。


247頁
THE WHEEL WORLD
1880年

ジョン・オ・グローツ スコットランド
Googleストリートビューより

2024年10月29日火曜日

少年世界

 少年世界

「少年世界」 第5巻 第5号 名著普及会 1899年2月15日発行

自轉車談 (器械談)

京都 淺田空花

其一 緒言

馬車、腕車、荷車、さては電車、行きつ戻りつ、漂人の数限りなく、来往絡繹、混々難々たる中に今一つ新たに道路の眺めを添たるものあり、自轉車これなり。茲、七八年前迄は横濱、神戸、若くは長崎あたりの居留地を舞臺とし僅かにこれ等の邊隅に割拠して行路の耳目を驚かすに過ぎざりしもの、今は大に然らず、京、大阪は云はずもあれ、苟しくも紳士あり、玉突場あり、若しくは玉突場様のものの組織さるる所には殆んど其影を止めざるなく、近く京都に於ては近畿の同乗者三百餘名を招待して、大競走會を開き、平和神宮社頭、 京洛の山河を震動せしむるもの勢、實に凄まじきものありき。東京に於てもこれと数日を隔てて京濱乗手數百人を叫合して、壯大なる競走會を催ふしたりと聞く。・・・


41頁
少年世界
国会図書館所蔵資料
以下同じ

42頁

43頁

44頁

表紙
明治32年2月15日発行

2024年10月28日月曜日

自転車の世界 - 2

 自転車の世界 - 2

これもTHE WHEEL WORLD誌から、

註、下のような奇妙で滑稽なイラストが載っていた。

このコスチュームで乗れるのか?


149頁
「ヤバイ!」
THE WHEEL WORLD
1880年

2024年10月27日日曜日

自転車の世界

 自転車の世界

雑誌「ホイール ワールド」

自転車と三輪車のイラスト入り月刊スポーツ雑誌

編集:ヒリアーとハリー・エザリントン、レイシー

第 1 巻

ロンドン:H. エザリントン、152、フリート ストリート、E.C. 1880年発行

THE WHEEL WORLD.

A BICYCLING & TRICYCLING ILLUSTRATED Monthly Magazine of Sport.

EDITED BY HILLIER AND HARRY ETHERINGTON. LACY

VOLUME I

LONDON: H. ETHERINGTON, 152, FLEET STREET, E.C. 1880.

自転車に関する批評など

スペシャル クラブ バイシクル

コベントリー マシニスト カンパニーの「スパイダー」マシンで自転車に乗り始めたサイクリストが何人いるか?

ライダーたちは自分のお気に入りのマシンが、この有名な会社が製造した「コベントリー」または「ジェントルマンズ」だったと云う。この会社は早くから活動し、軽量のレース用及びロードスター マシンを製造した。常に大規模な経営を行ってきたため、彼らのマシンは文字通り世界中で見られる。・・・


212頁
雑誌「ホイール ワールド」
1880年発行

表紙

2024年10月26日土曜日

自転車と新聞配達

 自転車と新聞配達

下の新聞記事の広告は、自転車で新聞配達をした時期を知るうえでの一つの資料である。

郵便配達や軍隊での利用も明治25年頃からであり、国産のダルマ自転車が鉄砲鍛冶や刀鍛冶或いは人力車の製造業者が製作を始めた時期でもある。

この画を見るとミショー型ヴェロシペードが描かれているが、この形状の自転車が最初に使われたと断定することは早計と思われる。むしろこの時期に多く登場する小型の国産ダルマ自転車であったに相違ない。(下の資料を参照)

註、この広告主の北尾新聞舗は明治10年頃から新聞や書籍の取次ぎをしていた店である。

新聞配達のエリアを考えた場合は、やはり徒歩での配達が主流だったはずである。


明治25年8月9日付け東京朝日新聞の広告

太平新楽譜 : 明治開化風俗画帖
明治20年
国会図書館所蔵資料

明治自転車文化展(昭和59年3月9日~4月1日)
に展示された各種の国産ダルマ自転車
日本自転車史研究会所蔵写真

以下は北尾新聞舗の資料
團團珍聞
明治13年9月18日付け
国会図書館所蔵資料
以下同じ

團團珍聞の表紙

ハマー写真館

 ハマー写真館

下の写真は、オーストラリアのアデレードにあったハマー写真館で1883年に撮影されたと云われている。

写真館を経営していた、ウィリアム ヘンリー ハマー(1845 年頃 - 1919 年 1 月 12 日)は、コーンウォール州セント オーステルで生まれ、1880 年に南オーストラリアに移住し、アデレードのランドル ストリート 172 番地に写真スタジオを設立。

註、当時はオーストラリアの都市でもペニー・ファージング(penny-farthing)に乗ることが流行っていた。


サイクリスト
ハマー写真館で撮影

ランドル ストリート アデレード
Googleストリートビューより

2024年10月25日金曜日

テステ自転車

 テステ自転車

テステ自転車は、大正初期に多く輸入され販売された自転車である。下の「石川県輪界史」には明治41年頃とあるが、やや早い気がする。

テステ自転車は、各種の資料を見ると大正初期に集中している。


16頁
「石川県輪界史」
 石川県輪界史編集委員会 編
 1977年8月発行
国会図書館所蔵資料
以下同じ

貿易通報 (7月號)(62)
大阪商業会議所 1912年7月発行
明治45年

英國海軍省逓信省御用 テステ自轉車
絕對保證、番號鋳込 正價金拾九円五拾錢
大阪上福島北二 角自轉車商會


「官報」 1915年03月12日
 大正4年

第一號「パーソン」自轉車 十五輛 第二號「テステ」自轉車  十五輛 
以上入札保證金各自各號見積額百分ノ五以上(円未満切上ク)、入札者ハ滿二年以來其業從事シ且ツ 明治四十一年五月遞信省令第二十四號ノ資格ヲ備フルヲ要ス
右購買ス入札望ノ者ハ入札前日マデニ當局経理部二就入札人心得書、仕様書、見本及契約書案等熟覽ノ上本月十九日午前十一時マデニ入札保證金納入同十一時三十分限入札書差出スベシ即時同部ニ於テ開礼ス
此契約ハ西部遞信局長坂野鐵次耶擔任ス 大正四年三月十二日
西部遞信局

2024年10月24日木曜日

ボーイズ・ライフ

ボーイズ・ライフ 

雑誌「ボーイズ・ライフ」1911年創刊

ボーイスカウト・オブ・アメリカ公認雑誌

ボーイスカウトの少年向きの内容。アウトドアの知恵やスポーツの話題など。

BOYS' LIFE

BOYS AND BOY SCOUTS MAGAZINE

註、この雑誌を眺めていると時々自転車の情報や広告を散見する。


35頁
タイヤの広告
「Boys' Life」 1912年7月号

ペンシルバニア ラバー カンパニー、ペンシルバニア州ジャネット
これらの保証付きタイヤは、自転車を安全にするだけでなく、メンテナンス費用も安くする。

創刊号の表紙
1911年3月1日発行
創立 50 周年を記念してボーイズ ライフが発行した第 1 巻第 1 号の雑誌
Published Twice a Month by GEORGE S. BARTON & CO., 7 Water Street, Boston, Mass.Vol. I. No. 1.March 1, 1911

2024年10月23日水曜日

デジタル・ライブラリー(更新)

  日本自転車史研究会デジタル・ライブラリー 

現在、日本自転車史研究会では会報などに掲載された投稿記事のデジタル化を進めている。

今後、デジタル編集が終わったものから逐次ネットにUPを予定。

(他のサイトからの記事もあり)

 「106、レンツの日本自転車旅行」一部写真を追加及び変更。

2024年10月23日現在、

1、知られざる銀輪の”わだち 大津幸雄

2、日本の自転車史と鑑札 高橋 勇

3、歴史を大事にしたい 今井彬彦

4、カレンダーに見る山王とロン・キッチンそして鳥山新一 渋谷良二

5、ドライジーネとミショー型の歴史 小林恵三

6、梶野仁之助伝(改訂版) 大津幸雄

7、日本の自転車史・その疑問点(改訂版) 大津幸雄

8、日本における自転車の製造・ 販売の始め 齊藤俊彦

9、自転車の歴史探訪 大津幸雄

10、「自転車学」の提唱 佐野裕二

11、日本のオーディナリー型自転車の歴史 大津幸雄

12、資料で読む中村春吉 大津幸雄

13、NCTCの分派 渋谷良二

14、自転車産業技術の変遷に関する一考察 渡邉喜久

15、「第三フランス通信」について 渋谷良二

16、彦根藩士「人力自走車」創製の記録 大須賀和美

17、自転車全書 松居松葉

18、ロンドン・ペダリング 大津幸雄

19、アンチック自転車 高橋 勇

20、創立20周年を迎えて 石原政雄

21、日本の自転車製造業の歴史 大津幸雄

22、パリの古本屋をたずねて 瀧川美佐緒

23、初めてのサイクリング 大津幸雄 

24、日本の自転車灯火 梶原利夫

25、オーディナリー自転車について 大津幸雄

26、江戸中期の自転車「陸舩車」  真船高年

27、日本の自転車の歴史(遺稿) 佐野裕二

28、History of The Ordinary in Japan Yukio Ootsu

29、歴史は繰返す”スポークの折損より 井上重則

30、お寺にあったダルマ自転車 大津幸雄

31、旅と自転車史 植原 郭

32、日本輪友会について 大津幸雄

33、自転車発展の途をたどる 高木六弥

34、日本自転車史の脇役たち 高橋 達

35、自転車はどこを走ればよいのか? 大津幸雄

36、Around the world on a bicycle  ThomasStevens

37、自轉車利用論 金澤来藏

38、Bicycles & tricycles  Archibald Sharp

39、Across Asia on aBicycle Allen and Sachtleben

40、各地の自転車小史 須賀繁雄

1The Modern Bicycle  Charles Spencer

2Round the World on a Wheel John Foster Fraser

43、自転車発明の始祖に思う 奈良重幸

44、自転車術 渡辺修二郎

45、名古屋デザイン博の自転車イベント 大津幸雄

46、「 自転車」のスポーツ史的考察 奈良重幸

47、日本の自転車製造業の歴史(改訂版) 大津幸雄

48、遠いフィンドレー 大津幸雄

49、ドライジーネの原書コピー 八神史郎

50、郵便と自転車 斧 隆夫

51、自転車史研究ノート 稲垣正浩

52、明治12年と自転車 齊藤俊彦

53、人力飛行の夢を追って 稲垣正浩

54、明治末の鳥取における自転車競走 大熊広明

55、ジャパンパンチ・ワーグマン 高橋 勇

56、ニュースレター・バックナンバー 大津幸雄

57、娯楽俱楽部 民友社

58、日本の自転車製造業の歴史(改訂新版) 大津幸雄

59、郵便と自転車 大津幸雄

60、明治期の埼玉における自転車事情 佐竹慎太郎

61、名車 "Rene・HERSE" 上野修一

62、スティーブンスの自転車世界一周 大津幸雄

63、簡易写真術 扶桑商会

64、1985年版資料目録 日本自転車史研究会

65、Velocipedes  Bicycles and Tricycles  1869 Velox

66、日本で最初の自転車旅行 大津幸雄

67,輪界追憶録 佐藤半山遺稿

68、輪界追憶録について 高橋 達

69,佐藤半山の遺稿 高橋 達

70、スティーブンスの日本での旅程 大津幸雄

71、アメリカン・スターについて 大津幸雄

72、堺の自転車 堺輪業協会

73、外装変速機のすべて 前田鉄工所

74、簡易自転車修繕法 佐藤喜四郎

75、ホルストマンの日本滞在記 大津幸雄

76、フランク・レンツとビクター号 大津幸雄

77、陸奔車の中川泉三  大津幸雄

78、正田門弥の千里行車について 大津幸雄

79、ヴェロシペードの時代 大津幸雄

80、ラントーン(RANTOONE)について 大津幸雄

81、「提督の物語」のヴェロシペード 大津幸雄

82、ヴェロシペードの時代(増補版) 大津幸雄

83、「ジャパン・パンチの自転車」-1 真船高年

84、自転車の復権 大津幸雄

85、千里行車と陸奔舟車の駆動方式 大津幸雄

86、自転車の切手について 大津幸雄

87、日本最初のサイクリング? 小林恵三

88、やはり明治の自転車リロイ号 大津幸雄

89、ジャパン・パンチの自転車 -2 真船高年

90、ジャパン・パンチの自転車 続編 真船高年

91、埴 亀齢の三輪車 大津幸雄

92、郵便と自転車の出会い 大津幸雄

93、足柄・箱根サイクリング 大津幸雄

94、南アルプススーパー林道サイクリング 渋谷良二

95、世附サイクリング 大津幸雄

96、第1回ポリージャポン 大津幸雄

97、門弥が先か? 大津幸雄

98、ラレーの思い出 山中唯裕

99、自転車年表 大津幸雄

100、サンビームのレストア記録 小池一介

101、リンゲのボーンシェーカー 大津幸雄

102、日本自転車史 大津幸雄

103、会報「自轉車」創刊号 日本自転車史研究会

104、自転車の起源はどこにあるのか 小池一介

105、モトゥス 陸奔舟車  日本自転車史研究会

106、レンツの日本自転車旅行 大津幸雄 編


2024年10月22日火曜日

舩車童子

 舩車童子

自転車とは直接関係はないが、先ごろ摩利支天の図を調べていたら下記の資料が出てきた。

参考まで。

註、近年、船車童子は交通安全の神様として信仰されている。


「新纂仏像図鑑」
 天之巻 国訳秘密儀軌編纂局 編 昭和6年発行
国会図書館所蔵資料
以下同じ

仏像図彙 舩車童子
明治33年版

198頁
船車童子
仏像大系 1 
国書刊行会 編 1983年発行


「船車童子」 せんしやどうじ
船車童子は、また光明童子と名づけ、本地は薬上菩薩なり、童子形 にして傍に車を置き、右手をもって河より船をひき、左手に宝珠を捧ぐ、印相は外獅子印なり。


2024年10月21日月曜日

箱根旧街道

箱根旧街道

久しぶりに箱根へ。

目的は明治25年11月21日にフランク・レンツが辿った箱根旧街道の調査。

下の図の場所が何処か分からないため。

「ついに頂上に辿り着いた」

それらしき場所を探したが結果はやはり分からず。
下の写真は候補地。

湖畔の賽の河原

元箱根の墓地 興福院

サイクリング誌

 サイクリング誌

下の資料は英国サイクリング誌の表紙

サイクリング誌 第34巻 第870号 1907年9月18日発行

編集者:

ウォルター・グローブス G A.C.アームストロング"。

テンプル・プレス株式会社

Cycling Magazine, No. 870. Vol. XXXIV.SEPTEMBER 18, 1907.

Walter Groves G A.C.Armstrong".

Proprietors: TEMPLE PRESS, LTD.


サイクリング誌の表紙
挿絵はお馴染みのフランク・パターソンのペン画

2024年10月20日日曜日

石野自転車店

 石野自転車店

「全国製造卸商名鑑」 昭和10年度版

石川縣 卸商之部

金澤市石浦町五十五

石野自轉車店 明治二十六年創業 


写真でみる石川の百年 石川県写真師会 1967年発行

現在の石野自転車店
Googleストリートビューより

全国製造卸商名鑑 昭和10年度版

4頁
大金沢繁昌記
 北国日報社事業部 昭和10発行

石野の自轉車奮闘史
當地方輪界の元祖として有名な金澤市石浦町石野義延氏(五九)の經營する石野自轉車店は、先代義延氏が明治廿六年米人牧師ウイン氏に勧められて直接米國から輸入したのがスタートである。商機に敏な先代は世間の嘲笑を事ともせず自轉車の普及に努力したもので如何に利用者が稀であつたかは、道路に初めて車輪の跡を見た人が曰く「之は誰々の自轉車が通った跡だ」と云つた當時の逸話でも偲ばれる。斯くの如き苦難の道を経て我が石野自轉車店の聲價は全國にあまねく、磐石の基礎は出来たのである。當主義延氏は石川縣自轉車同業組合長を八年も勤められて斯界に隠然たる勢力を有し、且長男一郎氏(二五)の新進気鋭の俊敏と相俟つて前途益々多幸なるものがある。同店が本縣特產品として全國的に目下賣出してゐるゴム輪の車輛に就て石野氏は次の如く自信ありげに語つた。ゴム輪の車輛にリヤカーの車輌から考案し、スポークを木製にして車輛を作りました處非常に受けたものですから爾来一日として改革の手を休めた事はありません。(寫真は石野義延氏)

2024年10月19日土曜日

後輪駆動

 後輪駆動

「バイシクル・デザイン」より

「BICYCLE DESIGN」

An Illustrated History

by TONY HADLAND AND HANS-ERHARD LESSING


73頁

74頁


後輪駆動の自転車
ペダルを踏む前輪が乗り手の脚に触れ、カーブを曲がるときにペダルから滑り落ちることから、前輪ではなく後輪を駆動する方が良いアイデアであることは明らかであった。どこにでもある足踏みミシン、特にロッドを使ってクランクシャフトを回転させる 2つの足踏みミシンの変種がモデルとなった (Merki 2009、48)。
K. J. Winslow という発明家が、自転車用の最初の後輪駆動を考案した (1868年の英国特許 258)。足踏みは後輪のドラムからコードを巻き出し、インドゴム製のバネで引き戻す。 (ここでも、特に断りのない限り、そのようなマシンは製造されなかったものと仮定)別の発明家、サンテティエンヌのクロード・モンターニュは、フレームにピボットを取り付け、ダブルレバーとロッドを使用して後輪を駆動できるようにした(1868年のフランス特許82,885)。ニューヨークの馬車製造業者カルバン・ウィッティは、ラルマンの特許を取得し、半年後にロッドで操作する自転車の特許を取得した(1869年の米国特許87,999)。特許の図面では、乗り手が膝を引き上げる必要があったが、これは単なる概略である。ニューヨークのベンジャミン・ローソンは、ステアリングコラムにリンクピボットを取り付けたが、そのためには前輪のサイズを小さくする必要があった(1869年の米国特許90,563)。 T. ボーンの特許は、ペイトン&ペイトン社がバーミンガムで改良型自転車を製造する際に使用された(1869年の英国特許 1,871)。1869年10月30日の The Ironmonger 紙に掲載された広告では 6 つの利点が宣伝されたが、パリの自転車よりも乗り心地がはるかに悪かったことが判明した(Radford 2010)。シュトゥットガルトのヨハン・フリードリヒ・トレフツは、ハンガーにペダルクランクを取り付け、ロッドを介して後輪の車軸にある 2つのクランクを駆動する方式を考案した(ヴュルテンベルク特許、1870 年)。女性向けの私立体育館を経営していたトレフツは、チリに移住した際に特許を失効させた(Lessing 1995)。この特許図面は、1870年3月5日の Illustrirte Zeitung 紙に掲載され広く知られるようになった。
1871年、トリノのナント駐在イタリア領事エミール・ヴィアレンゴ・ド・フォルヴィルは、次の特許を取得した。・・・

2024年10月18日金曜日

金物商雑誌

 金物商雑誌

以下の資料は金物商の雑誌より、

「金物商」1869 年 7 月 31 日発行

THE IRONMONGER. JULY 31, 1869.

JAMES CARRUTHERS and CO., 14, ΚΕΝΤΟN STREET, BRUNSWICK SQUARE,

ロンドン、W.C.、

自転車および三輪車の製造業者および輸入業者

このリストを業界に提出するにあたり、品質と価格の両面で当社のヴェロシペードが市場のどのヴェロシペードよりも優れていると確信している。当社はこの国に自転車を導入した最初の企業の 1つであり、可能な限り低コストで最高の製品を提供する努力を惜しまない。さらに、最高のフランス製および米国製のマシンをメーカー価格で供給できることも付け加える。

以下の自転車と三輪車(番号 1から7)は、当社で製造した最も需要の高い自転車と三輪車である。


551頁
THE IRONMONGER
JULY 31, 1869

2024年10月17日木曜日

列車振動記錄計

列車振動記錄計

 「特殊研究物品」 第4號 鐵道省經理局購買第三課 1924年発行

型體 No. 17 Cycle Velocipede

單價 金参百五拾八圓

納入濟

試用箇所 仙鐵經理課

226、列車振動記錄計(Railway Oscillation Recoder)

列車振動記錄計は列車に設備し列車の上下動水平動速度を計る可搬式の計器で有ります

製作者 英國 Crockers 氏

單價金四百参拾圓

納期 納入濟

試用箇所 官房研究所大井試驗室、門、札

96頁
国会図書館所蔵資料


参考
鉄道自転車
C. N. TEETOR. RAILWAY VELOCIPEDE.
No. 569,683.
Patented Oct. 20, 1896.

2024年10月16日水曜日

世界イラスト百科

世界イラスト百科

 「世界イラスト百科」 ウイリアム・サナーズ 編 グラフィック社 1979年6月25日発行

これらの図を眺めるているだけでも楽しい。

註、607頁の左下、図はダンディーホースとなっているが、どう見てもヴェロシペードである。


594、595頁
国会図書館所蔵資料
以下同じ

606、607頁

2024年10月15日火曜日

ヴェロシペード関連

 ヴェロシペード関連

「ダイヤモンドリーダーズ」  教授用参考書 №2 岡田明達 著 金港堂 大正12年発行

-velocipede 最初 1818年頃の velocipede は兩足にて地面を交互に蹴りて進ませたり。其後1869 年頃に至り足にて車を回転せしめたり。"bone-shaker”佛人 Pierre Lallementが1865年佛國にて特許権を得たるものにして velocipede に改良を加へたるもの。挿絵參照。—“push-bike” 足にて進ます自轉車(motor- bicycle に対し) (bike bicycle), thrown into the shade = eclipsed; overshadowed.

註、ピエール・ラルマンは、1866年に米国で特許を取得。


18頁
国会図書館所蔵資料
以下は

19頁

ピエール・ラルマンの特許状

2024年10月14日月曜日

ヴェロシペード関連

 ヴェロシペード関連

下記の資料にヴェロシペードの図が掲載されていた。

ドライジーネやミショー型とも相違した曖昧な図である。明治22年頃はまだ国産のダルマ自転車も希薄な時代であった。

「絵合当物智恵すすめ」 下 寝坊散人 著 明治22年発行

ヴェロシペード
自轉車
国会図書館所蔵資料

2024年10月13日日曜日

幼年玉手函

 幼年玉手函

「幼年玉手函」 第九編 大橋新太郎編 博文館 明治27年9月1日発行

註、この資料から三輪車から二輪車への移行期の状況を垣間見ることが出来る。

明治20年頃までは三輪車が主流の時代であった。そして二輪車と云っても、まだこの時期は国産のダルマ自転車であり、初心者は直ぐに乗ることができなかった。


表紙
国会図書館所蔵資料

94、95頁

・・・その自転車屋の門口に辿り着く。
「叔母さん自転車を一つ貸しておくれな。」
と申込むと、四十五六の色の黒い内儀が頓狂な声で、
「おや、いらっしゃい!」
と立出でながら、
「自転車はどれにしますね?」
問はれて丁稚はと息詰り、 
「そうさ・・・・。」
と眼を白黒して、壁際にいくつとなく立掛けてあった、二輪車の一番低そうなのを指して、
「叔母さん、これは何程だえ?」
「これかい。これは半時間二銭の、一時間三錢。」
と答へながら、流石は商賣柄の事とて、丁稚の逡巡するのを早くも見て取って、
「小僧さん、お前さんは此迄に何慮か外で乗った事があるのかえ?」
問われて、こればかりはまさか嘘も吐けない、乗れば直に露顕に及ぶからと小僧は力無く無く、
「今日が始めてよ。」
と何気なく切抜けやうとすると、内儀は忽ち大口を聞いて、
「始めて? 始めてで何して二輸車に乗れるもんかね。誰でも皆な三輪車から始めるのさ。これが可い、これにおし。」
と独りで定めながら、土間の奥の方に一つ離して置いてあった三輪車を引出し、・・・


96、97頁

奥付