2024年10月13日日曜日

幼年玉手函

 幼年玉手函

「幼年玉手函」 第九編 大橋新太郎編 博文館 明治27年9月1日発行

註、この資料から三輪車から二輪車への移行期の状況を垣間見ることが出来る。

明治20年頃までは三輪車が主流の時代であった。そして二輪車と云っても、まだこの時期は国産のダルマ自転車であり、初心者は直ぐに乗ることができなかった。


表紙
国会図書館所蔵資料

94、95頁

・・・その自転車屋の門口に辿り着く。
「叔母さん自転車を一つ貸しておくれな。」
と申込むと、四十五六の色の黒い内儀が頓狂な声で、
「おや、いらっしゃい!」
と立出でながら、
「自転車はどれにしますね?」
問はれて丁稚はと息詰り、 
「そうさ・・・・。」
と眼を白黒して、壁際にいくつとなく立掛けてあった、二輪車の一番低そうなのを指して、
「叔母さん、これは何程だえ?」
「これかい。これは半時間二銭の、一時間三錢。」
と答へながら、流石は商賣柄の事とて、丁稚の逡巡するのを早くも見て取って、
「小僧さん、お前さんは此迄に何慮か外で乗った事があるのかえ?」
問われて、こればかりはまさか嘘も吐けない、乗れば直に露顕に及ぶからと小僧は力無く無く、
「今日が始めてよ。」
と何気なく切抜けやうとすると、内儀は忽ち大口を聞いて、
「始めて? 始めてで何して二輸車に乗れるもんかね。誰でも皆な三輪車から始めるのさ。これが可い、これにおし。」
と独りで定めながら、土間の奥の方に一つ離して置いてあった三輪車を引出し、・・・


96、97頁

奥付