2013年2月13日水曜日

自転車通信使

この画は、「風俗画報」明治26年(1893)6月10日発行に掲載されているもので、明治25年10月に宇都宮で実施された陸軍特別大演習の模様を描いたものです。絵師は、研齋永年。画の右上には、「瀧ノ原ノ南方壬生街道之西側ニ於ル南軍ノ砲兵並ニ自転車通信使」と書かれています。最初の3文字が不鮮明でよく分かりませんが「瀧ノ原」と推定しました。
 壬生街道とは、壬生通り(みぶどおり)または壬生道と呼ばれ、日光街道小山宿(喜沢追分)から壬生宿及び鹿沼宿を経て日光街道今市宿へ至る道です。現在は、小山~楡木間を壬生道と呼んでいます。楡木宿から今市宿間は日光例幣使街道と同じ道です。
 陸軍の特別大演習は、近衛、第一、第二の3個師団の参加の下に宇都宮近郊の「平出が原」(後に御幸ヶ原)で行われ、明治天皇を迎えて盛大に挙行されました。日本で最初の陸軍大演習でした。南軍を指揮した司令官は、長州の佐久間左馬太で、これに対峙する北軍の司令官は、土佐の山地元治でした。
 この時、初めて自転車も伝令用として採用されました。