2023年12月26日火曜日

鈴木三元(すずきみつもと)

 鈴木三元(すずきみつもと)

「ふくしまの一世紀」福島民友新聞社編集局 昭和51年10月21日発行

この本を眺めていたら鈴木三元について書かれている部分があったので紹介する。

この本が出版された頃は、まだ「三元車」の認知度はそれほど高くなかった。

それが一躍この三元車を有名にしたのはなんといっても自転車文化センターが昭和59年の春に開催した「明治自転車文化展」であった。

しかし、この文化展の三元車の評価は思わぬ方向へ行ってしました感がある。

それは、本来の三元車と異なるイギリスのシンガー三輪車の模倣としか思えない代物。それにこの三元車が本当に鈴木三元が製作したのかもいまだに疑問である。


「ふくしまの一世紀」
国会図書館所蔵資料

人気よぶ自転車競走
江戸っ子びっくり
”骨ゆすり” 明治の人は、自転車のことをこう呼んだ。当初の自転車は、
荷車と同じ鉄輪を使っていたので、走るとガタビシ骨身にこたえたからだ。
 明治十四年、上野で開かれた第二回内国勧業博覧会に、二人乗りの自転車が登場して江戸っ子たちを驚かせた。むりもない。自転車がようやく普及しはじめたころのこと。しかも、東北の伊達郡というところから、十六歳の少年が三日間で走ってきたと聞いて、二度びっくりした。 福島から東京まで、歩いて半月近くかかった時代である。
 この二人乗り自転車を発明したのは、伊達郡半田村(現桑折町)の鈴木三元(すずきみつもと)で「三元車」(さんげんしゃ)として発表した。十六歳の少年は三元の孫で、のちの三世三元。