清輪 第4号
清輪 第2巻 第4号
1905年(明治38年)6月15日発行
目次、
自轉車撰手加福武太郞君 久保田安藏君 口繪
三越吳服店流行模樣及び元祿大模樣 寫眞版
社說 p1~2
自轉車と女性 p1~2
輪界 p2~28
自轉車の効力 p2~4
自轉車商組合に就いて p8~11
贈吉田銈二郞君書 p4~7
輪友タイム會の遠乘會 p12~19
旭號の採用に付て p11~12
自轉車百態 p19~21
鎌倉輪遊 p21~28
きゝかき p28~33
亞米利加談 松平正直 p28~31
專賣特許 p31~32
露國人の接吻癖 p32~33
流行の栞 p33~39
夏衣裳 (三越、白木吳服店) p35~37
流行履物 (香取や) p38~39
今年の團扇 p39~39
地方流行 p39~39
文苑 p50~58
小說國民兵 p50~54
俳壇 p54~56
小品文 p56~57
短章文華 p57~58
時報 p40~49
はがき集 數十件 p58~59
表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ
口絵
加福武太郞、久保田安藏、鬼兒島善四郞
目次
11頁
旭號の採用に付て
12頁
和製旭號の採用に就て
某局員談話
当局で新式の和製自轉車を、電報配達用に使ひましたのは、昨年の十月、此旭號が始めてで御座います。而して此旭號を買入ます迄には、他に二三の和製車について、検査を致しましたが、何れも余り面白くありませんでしたので、彼れか之かと種々取調べました結果、一番最後に分解揄査をしましたのが、此旭號でありました。デ精査の結果が、前の二三種のものより宜しかったので、乃ち之を採用することとなったので御座います。今茲に試験の折認めました處の、卑見を申上げますれば、本車は材料の多くが、日本製でありまして螺旋の調子や塗、渡金等も可なり良く、夫から工合も先づ結構と見受けました。夫から各部分に就きましての調評を下しますれば
タイヤ はG&J で宜いし
チエン は和製であります、
リーム は先づ良い方でせう、
アックス 之はクリーブ形で良い
スポーク 和製であります
サドルヘッド 少し長い方です
ハンドルポスト 少し短いやうだが通常
以上は、最初解剖検査に於ける處見であつて、唯年十一月の始めから使用しました。四月の二十日迄の内
使用日數約 百三十六日間
使用回數約 二千七百五十回
使用延丁程約 八萬七千八百餘丁
一日平均使用回数約 二十回
一日平均仝延丁程約 六百四十五丁
斯いふ成積で御座います。而して此先如何いふ結果になりませうか、又如何位の年数を保ちますかといふことは、何れ又取調べました上、追而御報告申すことに致しましょう。
44頁
自動車旅行家の奇答 など