2025年3月8日土曜日

ヴェローナ・エロイカ

 ヴェローナ・エロイカ 2025

ヴィンテージ サイクリング イベント

2025年5月18日

40キロ、90キロのコース、ガルダ湖のサイクリングロード


イベント ポスター
LA SFACCIATA
18 MAGGIO 2025

ラ・スファッチャータは、単なる歴史的な自転車レースではない。過去への旅であり、自転車の繁栄時代と同じように、努力、汗、満足感で醸成される本物の雰囲気に浸る機会である。景色の美しい道を自転車で走り、地元の代表的な産物を味わい、イタリア全土から集まった他の愛好家と情熱を分かち合うイベントである。


2025年3月7日金曜日

清輪 第6号

 清輪 第2巻 第6号

1905年(明治38年)8月15日発行

目次、
輪士の最も御歡待すべき貴賓 淸水卓 p1~1
戰後の經營と淸輪の發展 小里霞峰 p2~5
婦人に自轉車の乘用を勸む 淸輪 p5~8
近古自轉車乘逸話 p8~10
列强國民と發明 伊藤義一 p10~13
如蓮談片 p13~14
自轉車と小兒 多香子 p14~18
戰地に於ける自轉車の應急修繕  自轉車兵 p18~21
自轉車百態 たま子 p21~22
旅ごろも(一)  淸輪 p22~26
時報 p26~32
きゝがき p34~38
文苑 p39~48
流行の栞 p48~53
ハガキ集 p54~56

表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ

26、27頁

26、27頁
自轉車長距離競走
仙市の輪友が發起に係る長距離競走は去る七月廿三日午前五時出發同地河北新聞社前を起點とし白石警察署前を終點として往復約七十哩の競走を行ひぬ、白石の順序は左記の如し、
第一着 六時二十五分 菅野 文作氏
第二着 同 上 溝江清茂氏
第三着 六時三十六分 黑田榮之助氏
第四着 六時三十七分 武山 良治氏
第五着 六時三十八分 黒田榮藏氏
第六着 六時三十九分 吉田 惣助氏
右等先着の人々は夫々白石署から證明を得て、流るる汗を拭ひも敢へず、直ぐに取って返へし、長町停車場前の決勝點に帰着した人々は、左の六氏と注せられた、
第一着 八時二十分 菅野文作氏(ピアス)
第二着 八時廿五分 武山 良治氏(ピアス)
第三着  同上   黒田榮藏氏(デートン)
第四着 八時卅六分 吉田 惣助氏(ピアス) ・・・

28、29頁

30、31頁

32頁

奥付

広告
ピアス號、スネル號
石川商会

2025年3月6日木曜日

ファウスト・コッピ

ファウスト・コッピ

下はファウスト・コッピが1949年のツールで活躍した時の有名な写真である。

アンジェロ・ファウスト・コッピ(Angelo Fausto Coppi、1919-1960)は、1949年にツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアで総合優勝。史上初の「ダブルツール」を達成した。この時期が彼の全盛期であった。


ファウスト・コッピ
1949年、ツール・ド・フランス

2025年3月5日水曜日

清輪 第5号

 清輪 第2巻 第5号

1905年(明治38年)7月15日発行

口繪
輪界名士の遠乘會 (川崎大師境內撮影)
選手鬼兒島善四郞君凖選手高橋廣作君 (再揭)
輪界 p1~20
權關雜誌の活用に就いて  淸水淸輪 p1~5
自動車談  JS生 p6~9
革新に就いて 小里霞峰 p9~10
自轉車營業者諸君に吿く 牧野白山 p10~11
自轉車百態(下)   宮崎米輪 p11~12
各地輪士のハイカラ調べ  櫻蔭輪士 p12~15
明治櫻輪會のお噂  野木のしのぶ p15~19
きゝかき p21~26
元祿のはなし p21~23
新世帶贈品會 p23~23
英獨の婦人を手本にせよ p23~24
婦人髷の流行形
流行の栞 p26~34
夏衣裳 (三越、白木吳兩服店) p26~29
流行靴 (鞆繪屋) p32~32
髮飾り (白牡丹) p30~31
流行の髮刈形其他拾數件
文苑 p50~62
小說(源氏車)花子 p50~54
淸輪歌俳詩壇 p54~58
短章文華 p59~60
輪界時報 p34~44
はがき集 數拾件 p45~49

表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ

目次

口絵
鬼兒島善四郞、高橋廣作

広告

34、35頁
可惜選手毛利 正君

36、37頁

38、39頁

經歷と輪談 選手毛利正君談
私の経歴を申して格別お話する程の事もありませんが私の自轉車に乗り始めたのは彼の日清戦争の頃からでした。併し其時分は借り車で時々一時間借りて来ては乗って居ったのですが、自分の車として持つやうになったのは三十年の三月からでございます。其時分に倶樂部の設けられてあったのは大日本双輪俱樂部、東京バイシクル倶楽部、それから銀輪倶樂部と云ふのがありました。私は一体倶楽部などに加盟するのが大好きでして、夫れに樂みといふものは獨りで楽むより人と一緒に大勢で楽む方が偸快が深ふございます。又私のやうな者は皆さんの中に入って居りましたら自然に得る所もあろうかと存じますのでその倶楽部にも皆な加入して居りました。それで私が初めて競走に出ましたのは忘れもしません三十一年の一月の元日の事です。銀輪倶楽部で新年宴會を兼ねて競走會を催した時でして、場所は上野の不忍の周囲でございました。・・・

2025年3月4日火曜日

ゼニス・ バイカー

 ゼニス・バイカー

下の図は、1905年頃のゼニス ・バイカー

Zenith Bi-Car

ゼニスは、1903年にロンドンのフィンズベリーパークでW・G・バウワーズによって設立されたイギリスのオートバイ及び自動車メーカー。
ゼニスの最初のオートバイは 1903 年の「Bi-Car」で、トゥーリーの Bi-Car 設計に基づいており、ゼニスはこれを自社生産のために購入した。 Bi-Car は、ハブセンターステアリングと、エンジン (ドイツの Fafnir 製) を中央に固定した低床シャーシを備えたユニークなデザインであった。

Zenith Bi-Car
価格は43ギニー、2速ギヤ付きは50ギニー

2025年3月3日月曜日

清輪 第4号

 清輪 第4号

清輪 第2巻 第4号

1905年(明治38年)6月15日発行
目次、
自轉車撰手加福武太郞君 久保田安藏君 口繪
三越吳服店流行模樣及び元祿大模樣 寫眞版
社說 p1~2
自轉車と女性 p1~2
輪界 p2~28
自轉車の効力 p2~4
自轉車商組合に就いて p8~11
贈吉田銈二郞君書 p4~7
輪友タイム會の遠乘會 p12~19
旭號の採用に付て p11~12
自轉車百態 p19~21
鎌倉輪遊 p21~28
きゝかき p28~33
亞米利加談 松平正直 p28~31
專賣特許 p31~32
露國人の接吻癖 p32~33
流行の栞 p33~39
夏衣裳 (三越、白木吳服店) p35~37
流行履物 (香取や) p38~39
今年の團扇 p39~39
地方流行 p39~39
文苑 p50~58
小說國民兵 p50~54
俳壇 p54~56
小品文 p56~57
短章文華 p57~58
時報 p40~49
はがき集 數十件 p58~59

表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ

口絵
加福武太郞、久保田安藏、鬼兒島善四郞

目次

11頁
旭號の採用に付て

12頁

和製旭號の採用に就て
某局員談話
当局で新式の和製自轉車を、電報配達用に使ひましたのは、昨年の十月、此旭號が始めてで御座います。而して此旭號を買入ます迄には、他に二三の和製車について、検査を致しましたが、何れも余り面白くありませんでしたので、彼れか之かと種々取調べました結果、一番最後に分解揄査をしましたのが、此旭號でありました。デ精査の結果が、前の二三種のものより宜しかったので、乃ち之を採用することとなったので御座います。今茲に試験の折認めました處の、卑見を申上げますれば、本車は材料の多くが、日本製でありまして螺旋の調子や塗、渡金等も可なり良く、夫から工合も先づ結構と見受けました。夫から各部分に就きましての調評を下しますれば
タイヤ はG&J で宜いし
チエン は和製であります、
リーム は先づ良い方でせう、
アックス 之はクリーブ形で良い
スポーク 和製であります
サドルヘッド 少し長い方です
ハンドルポスト 少し短いやうだが通常
以上は、最初解剖検査に於ける處見であつて、唯年十一月の始めから使用しました。四月の二十日迄の内
使用日數約 百三十六日間
使用回數約 二千七百五十回
使用延丁程約 八萬七千八百餘丁
一日平均使用回数約 二十回
一日平均仝延丁程約 六百四十五丁
斯いふ成積で御座います。而して此先如何いふ結果になりませうか、又如何位の年数を保ちますかといふことは、何れ又取調べました上、追而御報告申すことに致しましょう。


44頁
自動車旅行家の奇答 など

2025年3月2日日曜日

ニューサイ - 8

 ニューサイ - 8

月刊雑誌「ニューサイクリング」第8号 1964年1月1日発行より、

目次
夜叉神峠野呂川林道を行く
第5回国立公園大会参加記
北九州一周ツーリング
三年かかった房総半島一周 (最終)
サイクリングレポート
富士五湖周遊記
伊豆半島横断記
ツーリング・エッセイ 映画 8ミリその他
レースエッセイ オリンピックへの期待
社会人ロードレース参加記と感想
外国カタログ紹介
ゲーラン (フランス・完成車)
マファック(フランス・ブレーキ)
新製品紹介
交換案内
サイクリング東西南北
パニアーバッグ


表紙

ブリヂストン・スーパースピード1型

目次

ケンコー・レコードエース

ホルクス RS6

スギノ鉄工所

前田鉄工所

フランス・ゲーランのカタログ

2025年3月1日土曜日

清輪 第3号

 清輪 第3号

清輪 第2巻 第3号
1905年(明治38年)5月15日発行
目次、
口繪
出征仁藤安太郞君祝送會撮影
各倶樂部に吿ぐ 社說 p1~4
輪界名士の報酬 櫻蔭輪士 p4~7
如何にして輪界の旺盛を見ん 頑哲迷夫 p8~11
仁藤安太郞君の入營を送る 記者 p11~13
ペルリの紀念碑 來馬琢道 p13~16
入社の辭 木下蹄石 ; 須藤靄山 p16~18
三田輪友倶樂部に寄す 淸水淸輪 p19~23
俳優と自轉車 木下蹄石 p23~24
自轉車百態 かげらふ p24~26
明治櫻輪會の春季總會 記者 p27~29
鎌倉輪遊(中)   淸輪 p29~38
風流大尉手塚葮邨氏の近翰 p38~40
無瓢錄  山本秀輪 p40~42
初見參 須藤靄山 p42~42
外報 (サイクリスト結婚) p43~44
時報 數十件 p44~54
ハガキ集 數十件 p54~56
文苑文華短章 p57~60
和歌
俳欄
自轉車媒介 p61~6

表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ

口絵

目次

55頁
◎石川縣の堀岡芳雲君此程自轉車趣味論てふ著書を爲して大に自轉車の趣味を解釋すると云ふこと清輪君から聴いたが其後稿を了って發行の手運に立到ったか伺いたいものだ(賛成輪士)

註、「自転車趣味論」堀岡芳雲 著を調べたが確認できず。石川県人には当時熱心な自転車愛好家が多数いたことは知られている。

雑誌『愛輪』は、石川県金沢市の金澤愛輪クラブが発行したもので、創刊は、明治36年10月10日である。しかし、残念ながら現在のところ、原本は一冊も発見されていない。

62、63頁
広告便覧

64頁

以下は参考資料
「輪友」第27号 明治37年1月1日発行