2025年3月5日水曜日

清輪 第5号

 清輪 第2巻 第5号

1905年(明治38年)7月15日発行

口繪
輪界名士の遠乘會 (川崎大師境內撮影)
選手鬼兒島善四郞君凖選手高橋廣作君 (再揭)
輪界 p1~20
權關雜誌の活用に就いて  淸水淸輪 p1~5
自動車談  JS生 p6~9
革新に就いて 小里霞峰 p9~10
自轉車營業者諸君に吿く 牧野白山 p10~11
自轉車百態(下)   宮崎米輪 p11~12
各地輪士のハイカラ調べ  櫻蔭輪士 p12~15
明治櫻輪會のお噂  野木のしのぶ p15~19
きゝかき p21~26
元祿のはなし p21~23
新世帶贈品會 p23~23
英獨の婦人を手本にせよ p23~24
婦人髷の流行形
流行の栞 p26~34
夏衣裳 (三越、白木吳兩服店) p26~29
流行靴 (鞆繪屋) p32~32
髮飾り (白牡丹) p30~31
流行の髮刈形其他拾數件
文苑 p50~62
小說(源氏車)花子 p50~54
淸輪歌俳詩壇 p54~58
短章文華 p59~60
輪界時報 p34~44
はがき集 數拾件 p45~49

表紙
国会図書館所蔵資料
以下同じ

目次

口絵
鬼兒島善四郞、高橋廣作

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34、35頁
可惜選手毛利 正君

36、37頁

38、39頁

經歷と輪談 選手毛利正君談
私の経歴を申して格別お話する程の事もありませんが私の自轉車に乗り始めたのは彼の日清戦争の頃からでした。併し其時分は借り車で時々一時間借りて来ては乗って居ったのですが、自分の車として持つやうになったのは三十年の三月からでございます。其時分に倶樂部の設けられてあったのは大日本双輪俱樂部、東京バイシクル倶楽部、それから銀輪倶樂部と云ふのがありました。私は一体倶楽部などに加盟するのが大好きでして、夫れに樂みといふものは獨りで楽むより人と一緒に大勢で楽む方が偸快が深ふございます。又私のやうな者は皆さんの中に入って居りましたら自然に得る所もあろうかと存じますのでその倶楽部にも皆な加入して居りました。それで私が初めて競走に出ましたのは忘れもしません三十一年の一月の元日の事です。銀輪倶楽部で新年宴會を兼ねて競走會を催した時でして、場所は上野の不忍の周囲でございました。・・・