◎第1回 安芸灘とびしま海道オレンジライド2010
中村春吉の故郷である広島県呉市で、12月5日(日)に開催されます。
中村春吉は明治4年に広島県豊田郡豊町御手洗(現、呉市)で生まれました。市内にある御手洗天満宮には彼の記念碑もあります。
サイクリングイベントの詳細は下記にあります。
http://tobishimaride.com/index.html
◎「坂の上の雲」と自転車
NHK総合で「坂の上の雲」の放送案内の番組として、各5分間、下記の日時に放送されます。この中で自転車文化センターの谷田貝学芸員により明治の女性サイクリストである女子嗜輪会について解説します。
放送日は次の通りです。
10月23日(土)午後4時25分~4時30分
11月26日(金)午後10時45分~10時50分
◎「明治時代に日本人が造った自転車」展
自転車文化センターでは、平成22年10月16日(土)~平成23年1月23日(日)に標記イベントを開催中です。
内容は、明治時代に自転車を造った日本人、特に竹内寅次郎、鈴木三元、梶野仁之助、宮田栄助の4人にスポットをあて、紹介しています。
その他、明治時代に製作された実物の自転車や動画による日本の自転車の歴史 、錦絵(複写)など関係資料の展示です。
2010年10月21日木曜日
2010年8月16日月曜日
特殊工具
新潟在住のドン・スペデン(Don Speden)さんのブログ(High wheeling in Japan)を見ていましたら、オーディナリーのソリッドタイヤをリムに装着する工具を解説した動画がありました。以前、ザ・ホイールメン(The Wheelmen)の大会でアメリカへ行ったときに、同じような装着工具を利用し実際に修理をする過程を見ました。この動画を見て懐かしく思いました。その大会のスワップミートで記念にその工具を買ってきました。下の写真がそれです。使っていないので錆だらけになっています。この工具にはいろいろな形状のものがあります。動画でも2種類が出てきます。
参考図書
参考図書
Collecting and Restoring Antique Bicycles P.295-307
The Whitney. Building a Highwheel Bicycle P.84
2010年8月14日土曜日
PEDAL DAY
●「PEDAL DAY」代々木公園で開催
日時: 8月18日(水)13:00 – 23:00 (雨天中止)
会場:代々木公園ステージ、ステージ前、広場
自転車の夏祭り!です。
http://www.cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/
●「PACIFIC PEDAL LIFE DESIGN アジアーパシフィックの自転車生活デザイン展」開催中
実車の展示では次のような自転車があります。
Swiss Army Bike「Armee」 軍用自転車 1940年頃
モゼールの練習用自転車 ファニーバイク 1984年 自転車文化センター所蔵
ラーヂ号 競走用自転車 ラッジ 1907年頃 自転車文化センター所蔵
ポーターシルク 小径折畳車 片倉自転車工業 1960年
プジョー軍用車 折畳車 1897年頃 自転車文化センター所蔵
三菱十字号 旧三菱重工業津工場 1927年 サイクルギャラリー・ヤガミ自転車資料館所蔵
その他、多数の実車を展示。
日時: 8月18日(水)13:00 – 23:00 (雨天中止)
会場:代々木公園ステージ、ステージ前、広場
自転車の夏祭り!です。
http://www.cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/
●「PACIFIC PEDAL LIFE DESIGN アジアーパシフィックの自転車生活デザイン展」開催中
実車の展示では次のような自転車があります。
Swiss Army Bike「Armee」 軍用自転車 1940年頃
モゼールの練習用自転車 ファニーバイク 1984年 自転車文化センター所蔵
ラーヂ号 競走用自転車 ラッジ 1907年頃 自転車文化センター所蔵
ポーターシルク 小径折畳車 片倉自転車工業 1960年
プジョー軍用車 折畳車 1897年頃 自転車文化センター所蔵
三菱十字号 旧三菱重工業津工場 1927年 サイクルギャラリー・ヤガミ自転車資料館所蔵
その他、多数の実車を展示。
2010年6月9日水曜日
フランク・G・レンツの本
発行が遅れていましたフランク・G・レンツの本ですが、やっと今月になって米国で発売されたようです。
この情報はM氏から寄せられものです。
本の題名は”ロストサイクリスト”(秘話:自転車世界一周旅行者フランク・レンツの悲劇)です。
著者はデビッド・V・ハーリイー。
日本での発売は9月頃になるようです。
関連記事は、下記にあります。
当ブログ:
2009年2月12日(木)レンツの本
2009年2月9日(月)フランク・G・レンツの本
2010年4月1日木曜日
自転車は中国が最初?
イタリヤ、ドイツ、ロシア、そして日本など最初に自転車を発明したのは我が国と、主張する学者や研究者がいる。
すでに自転車はドイツのドライス男爵が発明したドライジーネが元祖ということで決着している。
先ごろまた、中国が最初に自転車を発明したという説が出てきた。それも、2,500年前の春秋戦国時代までさかのぼる。
その自転車の製作者は魯の工匠、公輸盤であるという。根拠とする資料等は不明だが、そのレプリカ三輪車の写真がファイスブックに掲載された。
見ての通り、高さが2メートル程もある大きな木製の三輪車で、クランク・ペダルと大小二つの歯車により駆動する。ハンドルもあるから方向は自由に変えられる。
話題としては面白いが、いずれにしても人騒がせな自転車である。
出典:関連サイト
METRO
厳選!中国情報ステーション
すでに自転車はドイツのドライス男爵が発明したドライジーネが元祖ということで決着している。
先ごろまた、中国が最初に自転車を発明したという説が出てきた。それも、2,500年前の春秋戦国時代までさかのぼる。
その自転車の製作者は魯の工匠、公輸盤であるという。根拠とする資料等は不明だが、そのレプリカ三輪車の写真がファイスブックに掲載された。
見ての通り、高さが2メートル程もある大きな木製の三輪車で、クランク・ペダルと大小二つの歯車により駆動する。ハンドルもあるから方向は自由に変えられる。
話題としては面白いが、いずれにしても人騒がせな自転車である。
出典:関連サイト
METRO
厳選!中国情報ステーション
2009年8月20日木曜日
中村春吉(11)
日本を出発した中村春吉の自転車世界無銭旅行の行程は、次のとおりです。
日付が若干資料により2,3日ずれていますが、これは彼の記憶違いか印刷ミス等ではないでしょうか。
例えば先にも書きましたが押川春浪の冒険小説では、横浜港の出発日は明治35年2月25日ですが、雑誌「輪友」第5号では明治35年2月22日になっています。
なお目的の都市への到着日と出発日の日付が書かれていない箇所が多々あり、詳細な行程はわかりません。
1902年(明治35)02月25日 横浜港を汽船”丹波丸”にて出発
1902年(明治35)02月27日 下関に寄港
1902年(明治35)02月28日 下関港を出発して上海に向かう
1902年(明治35)03月03日 上海到着、一時上陸して市街地を見学する
1902年(明治35)03月08日 香港到着、東洋館に宿泊、豪州行きを考えていたが諦めて再び丹波丸に乗船してシンガポールへ向かう、シンガポール到着後陸路自転車でラングーンに向かうが急峻な山稜に阻まれ断念、またシンガポールに引き返す
1902年(明治35)03月18日 英国汽船ツー・バンド・ファナー号でシンガポールを出発し、ラングーンへ向かう、ラングーンからは陸路自転車でカルカッタに向かう、
1902年(明治35)04月01日 カルカッタ到着、ブッダガヤへ向かう
1902年(明治35)04月02日 ボードワン到着、翌日ラジャバンドへ向かう
1902年(明治35)04月04日 カツラガハー到着
1902年(明治35)04月16日 ブッダンガヤ(ブッダガヤ)に到着し二日滞在する、その後ガンジス河の支流クドロー河の岸に達し、水牛の背に跨り渡河する、砂漠を横断しマンキポールという町へ、その後ミルザポール~アロハバッド~ジャバポール~ボンベイ~アグラー~タヂ~デレー~ボンベイへ
1902年(明治35)10月10日 イタリアの汽船に乗船しボンベイ(ムンバイ)を出発~アデンへ
1902年(明治35)10月16日 アデン到着
1902年(明治35)10月17日 アデン出発
1902年(明治35)10月20日 スエズ到着
1902年(明治35)10月28日 ポーセット(ポートサイド)出発
1902年(明治35)10月30日 イタリアのナープル(ナポリ?)到着
1902年(明治35)11月01日 ローマ村到着~ローマへ
1902年(明治35)11月09日 ローマを出発しゼノア(ジェノヴァ)へ、途中スペンヂャからアルプス越え~キャプレー
1902年(明治35)11月15日 ジェノヴァ到着~マルセイユからリヨンまでは汽車に乗る~パリへ
1903年(明治36)01月07日 ロンドン到着~リヴァプールへ
1903年(明治36)01月22日 汽船ブレーデン号でリヴァプール出発しボストンに向かう~時化に遭い1ヶ月間大西洋を漂流
1903年(明治36)02月21日 無事ボストン到着~ニューヨーク~フィラデルフィア~ワシントン~シカゴ~北米大陸を横断しサンフランシスコへ
1903年(明治36)04月10日 サンフランシスコ到着~汽船香港丸で日本へ
1903年(明治36)04月30日 ハワイ寄航
1903年(明治36)05月10日 横浜港到着
日付が若干資料により2,3日ずれていますが、これは彼の記憶違いか印刷ミス等ではないでしょうか。
例えば先にも書きましたが押川春浪の冒険小説では、横浜港の出発日は明治35年2月25日ですが、雑誌「輪友」第5号では明治35年2月22日になっています。
なお目的の都市への到着日と出発日の日付が書かれていない箇所が多々あり、詳細な行程はわかりません。
1902年(明治35)02月25日 横浜港を汽船”丹波丸”にて出発
1902年(明治35)02月27日 下関に寄港
1902年(明治35)02月28日 下関港を出発して上海に向かう
1902年(明治35)03月03日 上海到着、一時上陸して市街地を見学する
1902年(明治35)03月08日 香港到着、東洋館に宿泊、豪州行きを考えていたが諦めて再び丹波丸に乗船してシンガポールへ向かう、シンガポール到着後陸路自転車でラングーンに向かうが急峻な山稜に阻まれ断念、またシンガポールに引き返す
1902年(明治35)03月18日 英国汽船ツー・バンド・ファナー号でシンガポールを出発し、ラングーンへ向かう、ラングーンからは陸路自転車でカルカッタに向かう、
1902年(明治35)04月01日 カルカッタ到着、ブッダガヤへ向かう
1902年(明治35)04月02日 ボードワン到着、翌日ラジャバンドへ向かう
1902年(明治35)04月04日 カツラガハー到着
1902年(明治35)04月16日 ブッダンガヤ(ブッダガヤ)に到着し二日滞在する、その後ガンジス河の支流クドロー河の岸に達し、水牛の背に跨り渡河する、砂漠を横断しマンキポールという町へ、その後ミルザポール~アロハバッド~ジャバポール~ボンベイ~アグラー~タヂ~デレー~ボンベイへ
1902年(明治35)10月10日 イタリアの汽船に乗船しボンベイ(ムンバイ)を出発~アデンへ
1902年(明治35)10月16日 アデン到着
1902年(明治35)10月17日 アデン出発
1902年(明治35)10月20日 スエズ到着
1902年(明治35)10月28日 ポーセット(ポートサイド)出発
1902年(明治35)10月30日 イタリアのナープル(ナポリ?)到着
1902年(明治35)11月01日 ローマ村到着~ローマへ
1902年(明治35)11月09日 ローマを出発しゼノア(ジェノヴァ)へ、途中スペンヂャからアルプス越え~キャプレー
1902年(明治35)11月15日 ジェノヴァ到着~マルセイユからリヨンまでは汽車に乗る~パリへ
1903年(明治36)01月07日 ロンドン到着~リヴァプールへ
1903年(明治36)01月22日 汽船ブレーデン号でリヴァプール出発しボストンに向かう~時化に遭い1ヶ月間大西洋を漂流
1903年(明治36)02月21日 無事ボストン到着~ニューヨーク~フィラデルフィア~ワシントン~シカゴ~北米大陸を横断しサンフランシスコへ
1903年(明治36)04月10日 サンフランシスコ到着~汽船香港丸で日本へ
1903年(明治36)04月30日 ハワイ寄航
1903年(明治36)05月10日 横浜港到着
2009年5月30日土曜日
中村春吉(10)
明治35年2月22日、汽船丹波丸にて横浜を出向した中村春吉は、同年の3月15日に香港に到着しています。
香港在住の日本人である梅谷正人氏の世話になり、領事館などを訪ねています。領事館での話によるとオーストラリア政府は規則を変更して東洋人の上陸を禁じることになった由で、彼はオーストラリア行を諦めシンガポールへ向かうことになりました。
その後の消息は、明治35年5月16日頃にカルカッタに到着しています。
以上の記録は、雑誌「輪友」第6号及び第8号に載っています。
押川春浪編述「中村春吉自転車世界無銭旅行」(明治42年8月14日博文館発行)には、明治35年2月27日下関着、3月3日上海着、3月8日香港着などとありますが、小説ゆえかそれとも記憶違いか、実際とは若干のずれがあるようです。
自転車での走行の記録も極めて不鮮明です。印度まだは殆んど船での移動のように思われます。当時の治安や道路状況を考えれば、当然の結果なのでしょう。
香港在住の日本人である梅谷正人氏の世話になり、領事館などを訪ねています。領事館での話によるとオーストラリア政府は規則を変更して東洋人の上陸を禁じることになった由で、彼はオーストラリア行を諦めシンガポールへ向かうことになりました。
その後の消息は、明治35年5月16日頃にカルカッタに到着しています。
以上の記録は、雑誌「輪友」第6号及び第8号に載っています。
押川春浪編述「中村春吉自転車世界無銭旅行」(明治42年8月14日博文館発行)には、明治35年2月27日下関着、3月3日上海着、3月8日香港着などとありますが、小説ゆえかそれとも記憶違いか、実際とは若干のずれがあるようです。
自転車での走行の記録も極めて不鮮明です。印度まだは殆んど船での移動のように思われます。当時の治安や道路状況を考えれば、当然の結果なのでしょう。
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