2009年5月5日火曜日

中村春吉(5)

 馬関を出発した中村春吉のその後の足取りを追ってみますと。
(雑誌「輪友」第3号、明治35年1月1日発行 中村春吉氏直話より)

明治34年11月15日12時に下関を出発し、18時40分に三田尻に着。その後、久賀郡の知人宅で一泊。(久賀郡で二泊か?)

明治34年11月17日8時に久賀郡を出発して、広島に向かう。13時に広島着。大手町の鳥飼繁三郎の家で自転車のベルを修理してもらう。それから赤谷という人から空気入れのポンプを入手。この日は深越村の大下龍之進の家に泊る。

明治34年11月18日7時30分深越村の大下龍之進宅を出発。生まれ故郷の御手洗へ向かう。その途中の四日市西條というところに急坂があり、向こうから牛飼いが牛を牽いてのぼってくる。ベルを鳴らしたところ牛が驚いて暴れ出し、自転車にぶつかる。その瞬間に泥除けがはずれ、車輪に巻き込まれたため横転する。田圃の中に投げ出されて顔面を打つ。痛さをこらえながら再び自転車に乗って出発する。竹原町の警察署に寄り、旅の話などをする。それから写真屋を尋ね記念の写真を撮ってもらう。明神の鼻から便船に乗船し御手洗へ向かう。故郷の御手洗で10日程滞在する。

明治34年11月27日7時30分御手洗を出発し尾道へ。尾道では十四日町の鉄砲屋児玉という人の家に泊る。

明治34年11月28日早朝、尾道を発つ。福山の親類を尋ねる。その後、岡山に向け出発する。途中、笠岡の手前で犬にほえられる。空砲を撃って追っ払うがなかなか逃げない。全部で4発撃ってやっと追い払うことができた。ところが近くの家から人が出てきて、鉄砲の弾が当ったという。空砲だと言うと、砂が顔に命中した勘弁できぬと騒ぐ、そこで笠岡の警察署に同道して事情を説明する。その男は警官に説得され帰る。その騒動の後、署長と歓談し、昼飯をご馳走になる。13時30分、警察署を出発する。岡山には17時に着く。その晩は、双輪会で歓迎会を催してくれた。このクラブに一泊する。

明治34年11月29日早朝、自転車の損傷箇所を修理する。11時40分に双輪会のメンバーに謝意を述べ、出発して姫路に向かう。19時30分姫路着。大工町の須貝潜の英語学校を訪ね一泊を請う。当初断られたが理解され、泊めてもらうことになった。その学校の生徒や教師の前で、2時間ほど英語でいろいろな話をする。

明治34年11月30日7時20分、須貝氏や学校の人々に謝意と別れをつげ出発、神戸に向かう。途中、猟犬を連れた猟師とトラブルがあったが、無事に神戸へ着く。元町の長尾商店で夏用の帽子をもらう。その後、橋本商会を尋ねる。店の小僧とトラブル。外国帰りの少年で英語で応対したため。当初、日本語ができないことを知らなかったため、生意気な小僧と中村は判断した。橋本商会では昼飯をご馳走になる。13時に橋本商会を出発。14時30分に大阪着。大阪朝日新聞社に立ち寄り、自転車世界旅行の話をする。橋本商会大阪出張所にも寄る。20時に難波の親戚の家に行き、泊る。

つづく