自転車大尉として知られていた梅津元晴は、雑誌「自転車」にたびたび登場して自転車談議をしています。これもその一つで、ジェラール折畳自転車について詳しく解説しています。(雑誌「自転車」明治37年7月1日発行)
彼は、軍人を中心に組織された自転車クラブ「勇輪義会」のメンバーの一人で、このクラブ結成にあたり尽力しました。国家に一大事あらば自転車をもって国にご奉公することを目的として明治34年に組織されました。当時この会に共鳴する人達が全国にいまして、盛岡、仙台、福島、水戸、土浦、結城、鹿沼、横浜、徳島など各地に支部がつくられ、会員数は400名を超えていました。会長は、海軍少将の新井有貫、副会長は陸軍戸山学校の鵜沢総司少佐でした。
自転車軍事教練のテキスト「自転車指針」(厚生堂、明治35年)の著書でもあります。なお、明治34年4月1日発行の雑誌「自転車」で、自転車十傑(部門別の博識家で)の一人にも選ばれています。