梶野が日本で最初にセーフティー型自転車を製造したのはほぼ間違いないと思われますが、その詳細については殆んど分かっていません。断片的な資料があるのみです。
次の記事もその一つです。
日本で自転車を一番初めに造ったのは横浜高島町の梶野自転車合名会社であるが、空気入りの自転車を製造しはじめたのは確か明治二十五、六年の頃だと考える。私もその頃同社に特に一台を注文して試乗した事もあるが併し遂に好結果を得なかった。其後彼是れ四年程後にまたまた梶野自転車合名会社の手に於いて金日本、銀日本等の自転車が製造された。是は主に舶来の原料を以て唯だ其組立てを梶野でやったと云う位に止まって居ったが、之も矢張り余り思わしくない結果に終わったのである。(明治35年5月8日発行の雑誌「輪友」より)
梶野といえども、国産自転車製造の当時の状況はこの程度のものであったようです。国産といっても殆んどの部品は外国製品が使用され、単に組み立てた所謂アッセンブル方式による製造だったのです。宮田の創業時(明治26年)もこのような状況でした。
梶野の創業は明治12年と伝えられていますが、当初(明治21年~明治26年頃)はコロンビアやビクターなどのアメリカ車を輸入販売していました。創業期から明治20年までの状況は殆んど分かりませんが、恐らく木製のミショー型か三輪車を製造していたものと思われます。