2009年5月8日金曜日

中村春吉(7)

 馬関を出発した中村春吉のその後の足取り(その3)

明治34年12月8日、朝8時に浜松を発ち、天竜川の橋に着く。ここの渡守は無銭では通させぬということになり、仕方なく小夜の中山経由で静岡に向かった。何という名前の旅館か忘れましたが、こころよく無銭で泊めてくれた。

明治34年12月9日、7時30分に宿を発ち、なにごとも無く沼津に着く。松本和平という大きな旅舎へ行き、宿泊を依頼したらすぐに快諾してくれた。

明治34年12月10日、朝警察署を尋ねる。署長さんから無銭では手紙を出すのも不自由するだろうと言って、切手をいただく。また宿屋に戻り、箱根のくだりで使用する自転車の背負子を作る。9時20分に宿を発ち、箱根を上る。箱根を越すときに一滴の水もなくなり苦労する。茶店に着き渇きを癒す。下り坂は自転車を背負って下る。ところがその途中空腹に耐えられなくなり、一軒の茅屋を尋ねる。無銭旅行を説明したところ、こころよく食事を提供してくれた。この親切な人は、神奈川県足柄下郡湯本村字須雲川の安藤寅吉という人だった。元気になったところで、湯本へ下る。福住という旅館を訪ね宿泊を依頼したら、主人は留守で、取込んでいるからという理由で断られる。しかたなく駐在所を尋ねる。ところが後から追ってきた福住旅館の若者が来て、いま主人が帰って来て、なぜ断ったと叱られ、おつれもうしてこいということで来たという。しかし、婚礼があり取込中のことだからと私は辞退した。そして、小田原へ向けて湯本を発つ。小田原に着いたのは22時頃になっていた。旅館片野屋を尋ねて宿泊を依頼したところ、混雑しているのにもかかわらずこころよく歓待してくれた。

明治34年12月11日8時に旅館を発ち、無事に神奈川に着く。自転車の油がきれたので、近くの貸し自転車屋に立ち寄り油をさしてもらう。東京に向かう途中で平岡宗之助という人に会って同行する。13時に双輪商会の練習所に到着する。この旅行の経験で8時から16時までに25里走ることは容易と分かる。そして長途の旅には必要の物以外は携帯しないことである。

終わり

 この自転車無銭旅行の旅は、明治34年11月15日12時に下関を出発して、明治34年12月11日13時に東京に到着しています。この長い助走期間と準備があればこそ世界一周も成功することができたのではないでしょうか。

注、如何いう訳か明治34年12月8日の天竜川から1日ずれてきています。中村春吉氏直話ではこの日は7日になっています。錯誤と思われます。

(雑誌「輪友」第3号、明治35年1月1日発行 中村春吉氏直話より)