馬関から東京まで無銭により長距離サイクリングをした中村春吉は、いよいよ世界へ旅立つことになりました。それは翌年の2月におとずれました。
雑誌「輪友」第5号、明治35年3月10日発行に次のようにあります。
世界周遊者の見送り
世界周遊の自転車乗り中村春吉は去る2月22日正午横浜出帆の汽船丹波丸にていよいよ香港へ向け出発したければ那珂会長はわざわざ東京より来り、曽我部幹事長と共に本船まで見送りたり
明治35年2月22日に横浜を発ったとありますが、押川春浪編述「中村春吉自転車世界無銭旅行」(明治42年8月14日博文館発行)では、
汽船は日本郵船会社の丹波丸、時は明治35年2月25日の午後1時、いよいよ無銭冒険自転車世界一周の目的を抱いて、日本横浜港を出発することになりました。
とあり、3日のズレがあります。馬関出発の日付でも明治34年11月15日と明治34年11月14日と1日ズレています。それぞれどちらが正しいのか今となっては分かりませんが、とりあえず私は明治35年2月22日横浜港出発と明治35年11月14日馬関出発を採用したいと思います。理由は単にそれらが記述されている資料の古い年月からです。