水上自轉車
「輪界」第11号 輪界雑誌社 1909年(明治42年)7月25日発行
名家の論説
水上自転車 発明談
「石山式水上航行器」の発明者である、埼玉県熊谷町48番地の平民・石山善太郎氏が、このたび当局の特許を取得した「水上自転車」について語った内容は以下の通り。
▲石山氏の経歴
石山氏は今年26歳になる青年で、熊谷町に生まれた。幼少期は熊谷小学校に学び、明治32年に熊谷中学校へ進学。同校を卒業した後は、主に商業で身を立てようと考えて上京し、早稲田大学商科で学ぶ。しかし、途中でやむを得ない事情があり郷里に戻って引きこもっていた。
一方、彼の厳格な父・新蔵氏は幼い頃から発明を好んでおり、家事一切を妻や家族に任せて、もっぱら様々な発明に心を砕いていた。これまでにも成功させた発明は少なくなかったと云う。新蔵氏は明治17~18年頃から「水上航行器」を発明しようと心掛け、色々と苦心していた。しかし、不幸にも最新の科学的素養がなかったため、この発明(理論化や地盤固め)を息子の善太郎氏に依頼した。
ところが、善太郎氏も中学校こそ卒業しているものの、工芸や科学に関する専門的な素養はなかったため、それ以来、独学でこれらの研究に従事した。専念し苦心した結果、ようやく一昨年の末になって、おおむね理論に合致する考案がまとまったため、再びこれを持って上京した。
▲実験の困難
石山氏はこの発明を友人たちにも固く秘密にし、「成功した暁に発表しよう」と考えていた。というのも、この実験は非常に難しく、もし世間に気づかれるようなことがあれば、せっかくの苦心が他人に横取りされてしまう恐れがあったからである。
また、自分自身は製図などに熟練していなかったため、やむを得ず一人の友人に頼んで図面を引いてもらう。そして、芝浦製作所の理事である石川角造氏が経営する「芝区三田四国町
特許模型製作所」を訪れ、石川氏に事情を打ち明けて模型の製作を依頼した。
しかし、どのような事情があったのか、石川氏は依頼を引き受けてから半年が過ぎても製作を完成させなかった。そのため、前年(明治40年)の夏に特許を取得しようと楽しみにしていた計画も水の泡となり、石山氏は焦りと不安から何度も催促を行う。そうしてようやく、昨年(明治41年)10月頃に、不完全ながらもなんとか製作が完了した。
▲実験の結果
芝浦製作所で製造されたその機器を使って品川湾で実験を行った。その結果、製作所での作りが雑だったために2~3の欠点はあったものの、理論上においては完全に成功を収めることができた。そのため、すぐに特許局へ申請して特許を求めたところ、幸いにも特許を取得することができた。
▲価格と製造
石山氏は熊谷町に自身の製造工場を持っているわけではないため、この水上自転車をすぐに製造・販売することは難しい。氏は現在、別の一生懸命な大発明に心を砕いている最中でもあるため、この水上自転車の特許権を(他社へ)譲渡したいという考えを持っていた。なお、製造費については、全部を鋼鉄製にした場合、130円から180円程度で製作できる見込みだという。
註、石山式水上航行器(石山式水上自転車)は、明治末期(明治41〜42年頃)に埼玉県熊谷町の発明家・石山善太郎が考案した水上自転車型の航行器具で、特許申請まで行われたものの、構造が複雑で実用化には至らなかった。現存図面は未確認で、一次史料は雑誌『輪界』(明治42年7月25日発行)の記事が現在のところ唯一の詳細な情報源である。

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