出宮順一さんの長男である尚さんらが父親の遺品が詰まった大きな海外遠征用のトランクを出し、その中から日の丸のユニーホームなどを取り出しながら語ってくれた話は興味を引くものであった。
尚さんがまだ誕生してまのない頃に父親は戦地に赴いたことになり、恐らく母親の三代さんから、物心のついた時期にいろいろ父親のことを聴いたはずである。その時に自転車店で働いていたことも聞かされたはずで、現に店の前で自転車を修理する写真も残っている。順一さんのお父さんが、自転車店を営業していたことも語られていたが、たしか父親の名前は紹介されなかったと思う。
そこで、どのあたりで自転車店を営業していたか、調べたところ、昭和12年発行の全国輪界興信名鑑に岡山県の浅口郡勇崎に出宮平吉自転車店が載っていた。恐らくこの店ではないかと思われる。勇崎は現在倉敷市の一部で玉島勇崎という名前が残っている。地図で見ると瀬戸内海に地域の一部が面していて、東側には高梁川が瀬戸内海に注いでいる。さらにその東側には瀬戸大橋がかかり、それを渡れば四国の亀山や坂出は近い。玉島勇崎は岡山でも地の利の良い場所に位置する。
出宮順一さんの生年月日も知りたかったが、そこまで深く調査されなかったようである。NHKの番組「ファミリーヒストリー」であればかなり細部まで明らかになったと思われるが番組の性格上そこまでの調査はなかったようである。
出宮順一選手については、以前からもっと知りたいことが多くあったが、この番組を機に郷土の博物館あたりで調べていただければと思う。現在はネットの時代である。ぜひ調べた事柄などを公開していただきたい。
この番組で一番興味を持ったのは、下の写真である。自転車店の店先で自転車を修理している順一さんの笑顔である。まさか将来、自分が戦火に消える運命になるとは。
いずれにしても出宮順一選手が残した1936年の世界選手権男子個人ロードレースの記録は80年以上経た現在でもそれを越える選手と記録が出ていない。それほど偉大な選手であったと言える。