それでは、日帝工業(株)という名称は何時ごろから使われるようになったのか、依然として謎である。恐らく戦後すぐか、その前後ではないかと思う。
私の知人であった元日帝工業(株)の社員であった八神史郎氏は昭和24年に入社している。確か15年ぐらいは日帝工業(株)に在籍したはずで、ここの貿易部門を担当していたと聞いている。以前、日本自転車史研究会に寄稿した「日本の自転車貿易の歴史」に次のような記載がある。
私は名古屋市熱田区に生れ、熱田中学(五中)を卒業し、旧制名外専専修科を経て昭和24年4月、日帝工業(株)に入社。その後日帝を退社し、八神商会設立。自転車の輸出の仕事に携わって以来足掛け45年。八神商会は昨年丁度満30周年を迎えました。(1994年5月15日発行「自転車」76号 日本自転車史研究会)
退社の理由は、日帝工業(株)の倒産(昭和38年)であった。昭和34年の伊勢湾台風で工場が甚大な被害をうけたからといわれている。それ以外にも倒産の理由はあったかと思われるが、この台風の被害が最大の痛手であったに相違ない。
八神さんに日帝工業(株)のことをもっと聞いておけばよかったと、今になって後悔している。
八神さんはアンティーク自転車のコレクターとしても有名で、私設の博物館を持っていた。2013年12月には「世界の自転車ミュージアム: サイクル・ギャラリー・ヤガミの名品たち 」という本を上梓している。
話を日帝工業(株)の起業の時期に戻すが、今の段階では調査不充分で分からないと言いたい。今後も、引き続き探査したいと思っている。
このようなことは、どうでもよいかもしれないが、世の中の大半はこのように、どうでもよいことで動いている。
本の孫引きやネットからのいい加減な情報でもよいのだが、できるだけ真実に近づけたいと思う。一次資料もよく吟味しないと誤りが多い。歴史のほとんどが半分ウソといっても過言でないかもしれない。後世の人がどうにでも脚色できるからである。一度活字になると、これが真実になり定着してしまう。やはりどうでもよいのであろうか。
このようなことは、どうでもよいかもしれないが、世の中の大半はこのように、どうでもよいことで動いている。
本の孫引きやネットからのいい加減な情報でもよいのだが、できるだけ真実に近づけたいと思う。一次資料もよく吟味しないと誤りが多い。歴史のほとんどが半分ウソといっても過言でないかもしれない。後世の人がどうにでも脚色できるからである。一度活字になると、これが真実になり定着してしまう。やはりどうでもよいのであろうか。
全国輪界興信名鑑 昭和12年 205頁
全国輪界興信名鑑 昭和12年 広告
八神史郎氏の本 2013年12月発行
最近見たメヤムのフレーム