自転車関係資料-58
下の資料は日米商店福岡支店のチラシ。チラシの発行年は昭和11年である。
株式会社日米商店福岡支店 福岡市馬場新町8
籤付きのチラシで、写真入りの観光案内も兼ねている。
サービス期間
自昭和十一年七月一日
至昭和十一年十一月丗日
覇王弐台、富士參台、他車(日號を除く)五台
黒級タイャ三十組、赤級タイャ四十組毎に
補助券一枚、補助券二枚を本券一枚と引換
などと書いてある。
黒級タイャとか赤級タイャとはよくわからないが、単にグレードの違いか。
日米商店福岡支店のチラシ
日米商店及び大日本自転車株式会社の沿革
1899年(明治32)11月 岡崎久次郎、日米商店を創業。
1901年(明治34)10月 米国製レロイ自転車を販売。
1903年(明治36)販売の主力を自転車とカメラに。取扱い品目をウルフアメリカン、スタンホード、スターリングに拡大。スターリング車の特約店を各地に設置。
1904年3月(明治37) 本店を銀座3丁目9番地に移転。
1906年(明治39)1月 店主渡英、ラーヂ自転車の直輸入契約を締結。
1916年(大正5)12月 大日本自転車株式会社創立。国産ラーヂ自転車の生産が目的。
1917年(大正6)2月 業平工場、試運転開始。
1917年(大正6)7月 工場・事務所を全焼。8月末同復旧。
1917年(大正6)11月 チェーンの製作開始。
1919年(大正8)5月 DNB製ケント号発売。
1919年(大正8)8月 リムを生産。日米リム発売。
1919年(大正8)12月 東洋護謨㈱を買収。鬼タイヤなどを生産。
1928年6月(昭和3年)「ラーヂ」を「富士」に商標変更。
1931年(昭和6)6月 低価格実用車「鬼号」を発売。
1937年(昭和12)9月 大日本機械工業株式会社に改称。
1938年(昭和13)12月 業平工場、軍需工場に指定。
1945年(昭和20)8月 終戦により関係会社運営停止。
1946年(昭和21)7月 商号を旧商号「株式会社日米商店」に変更。
1952年(昭和27)4月、ナショナル自転車工業(株)設立。
1961年(昭和36)11月、大日本機械工業(株)と松下電器産業(株)により光自転車(株)を共同設立。
1971年(昭和46)ナショナル自転車が旧光自転車(株)製造部門を継承。
1972年(昭和47)4月 富士自動車と大日本機械工業(株)合併。昭和48年1月ゼノア→昭和54年10月小松ゼノアと改称。
1996年11月(平成8) 株式会社東食に吸収合併。
1997年12月(平成9) 東食が会社更生法の適用を申請し倒産。自転車部門はアメリカのアドバンス・スポーツ(Advanced Sports, Inc. )が引き継ぐ。
2005年(平成17) 株式会社アキボウがアメリカFUJI日本総代理店として取扱い開始。
銘柄、
大日本自転車(東京市京橋区)、愛日号、鬼号、ケント号、富士号、富士スポーツ号、富士宣傳号、富士覇王号、ラージ号、リーフ号
大日本機械工業(台東区)ダヌーブ号、光号、光日本号、鳳鳴号、DNB号、経済光号
大日本機械工業名古屋工場(名古屋市)、 光来号、DNB大日号、光風号