自転車関係資料-140
この資料は「技事珍報号外」と題した。瓦版である。
来賓諸君の眼を注記居たる双輪倶楽部自転車競走の勝利は遂に鶴田勝三君に帰したり
次の号外は六百ヤード競走の勝敗決したる時にいたすべし
とある。
記事は極めて簡単でガタクリ車(ミショー型自転車)の絵を含めてユーモアさえ感じさせてくれる。
この「技事珍報」について調べたところ、「慶応義塾百年史」中巻(前)の374頁に、
また、この雑誌は谷河梅人が自分で発行して塾生一般に頒布したという説もあるが(「慶応義塾出身名流列伝」 中「谷河梅人氏」の項)、谷河は明治三十年十二月に大学部文学科を卒業し、この年には「慶応義塾学報」の編集人となっていたので、かりに谷河がこれに関与したとしても、学生編集者の指導に当った程度のものであろう。現に三十一年の春季運動会当日、塾生によって「技事珍報」という速報が出されているが、これは「塾友記者」の玉田広、服部貞郎らの思いつきであったという(「慶応義塾学報」第四号、明治三十一年六月刊)。この玉田広は翌年発行された「三田」創刊号では巻頭社説を執筆し、その後も桜村その他の筆名で活躍している。
註、この一見つまらない一枚の紙きれを裏付ける証拠が見つかったことで、単なる紙切れから自転車関係の貴重な資料に格上げされたことになると思う。
「技事珍報号外」
明治31年頃
「慶応義塾百年史」中巻(前)の374頁