2022年3月12日土曜日

長崎金右衛門

 長崎金右衛門

以前から気になっていた長崎金右衛門の自転車関連資料を調べに近くの図書館へ行く。

今日はやっと長崎金右衛門の新聞記事を見つけることができた。この資料はコピー不可なので面倒だが書き写す。このような資料は是非とも今後デジタル化して閲覧またはコピーできるようにして欲しいものである。せめてコピーだけでも取らせて欲しい。

本日調べた長崎については、以下のとおりである。

★長崎金右衛門、足柄上郡圓通寺村(現、神奈川県足柄上郡開成町)

M18.4.4 足柄上郡圓通寺村大工の長崎氏が自転車を製作、横浜~小田原間往復便として神奈川県庁へ出願(小田原地方新聞記事目録、横浜毎日新聞・横浜貿易新報・神奈川新聞、明治4年8月~昭和60年12月・小田原市文化室 平成元年12月1日発行)

この新聞記事の全文は以下のとおり、

一種の人力車

神奈川県下足柄上郡圓通寺村大工職長崎金右衛門(43)と云えるは去る明治6年頃より一種の人力車(同人は之を自転車と名づく)を工夫せんと思い立ち数年間日夜心を此事を潜めしが昨17年7月頃に至り其雛形(6人乗りを2人にて挽くもの)を製造したりに附き試験を行いし處果して予想の如く軽便のものなりしかば始めて安堵の念をなし爾来益々改良に従事し今回は3人にて9人を運搬するものを案出し試験を行いしに悉く意の如くなるのみならず其速力は1時間2里余を走り至極便利のものなるにぞ賛成者も俄かに増加をせしかば先ず第一着手として横浜小田原間を往復するの見込みにて長崎は去月28日県庁へ出願したりとぞ(明治18年4月4日付け毎日新聞)

註、果してこの長崎金右衛門が考案した自転車と称する乗り物はいったいどのようなものであったのか、挿絵など何もないのでいまのところ不明である。

この長崎も貨客運送用の乗り物を構想し、実際に製作した一人である。

以下の資料は大型自転車開発の状況を伺い知ることが出来る唯一の資料である。

〇「明治十年代前半における自転車事情 ー貨客運送用大型自転車開発の動きー」齊藤俊彦著 西南地域の史的展開(近代編)1988年1月5日発行