星崎熊治郎
今日も近くの図書館へ。この人物も以前から気になっていた。再度、国民新聞などの記事を確認しようと出かけた。
1時間ほど調べてみたが結果分からず。今日は空振りに終わってしまった。
星崎熊治郎は昨日の長崎同様に神奈川県西部地域の自転車関連職人である。
以前調べた新聞記事には、
1893 年(明治 26 年)7 月 6 日付け 国民新聞、 鉄道人力車の発明
神奈川県下足柄下郡 星崎熊治郎、勾配一間で一寸を登のに運転器を八寸挽くと九尺進む、一人で 四百貫目を載せた列車を運転できる…
とあった。
足柄下郡の星崎と云えば、現在の小田原市矢作を連想する。矢作には現在でも星崎姓が多い。さらに星崎と云う店名の金物屋も小田原市内や山北町にある。関連があるかどうかは不明だが。
1878年(明治11年)には、足柄下郡の郡役所は現在の小田原市本町二丁目あたりに設置された。
この星崎の鉄道人力車もおそらく梶野が明治22年に考え出したような自転車鉄道ではないかと思っている。
梶野の自転車鉄道関連の新聞記事は以下に、
明治22年8月15日付け東京朝日新聞、
●自転車鉄道製造会社 横浜高島町五丁目なる梶野仁之助氏が発明に係る自転車鉄道といえるは蒸気をも馬匹をも要せず一の機械運転するもののよしにて今度東京の財産家松本亥平、田村藤七、、山崎治兵衛、筒井与八郎、西梶元次、山口某、和田義正の諸氏等と諮り標題の如き会社を組織し近々其筋の認可を得て株金をも募集するの都合なりと聞く高架鉄道といひ電気鉄道といひ扨ても鉄道流行の世の中なるかな。