自転車関係資料-173
この本は「自転車で世界一周」カイ・トーレンフェルト著、1928 年発行
Jorden rundt på Cykle
Kai Thorenfeldt 1928
カイ・トーレンフェルト:自転車で世界一周
デンマークからインド、日本とオーストラリアへ。
そして標高 7000 メートルのアンデス山脈を越え、最後にアメリカ大陸を横断する。
(日本での滞在部分を一部抄訳)
日本
自転車で 12,654 キロの距離を走行した後、4 月 27 日に日本の首都、東京に着いた。
その後、いくつかの海運会社を訪問した。O.S.K. (大阪商船)には見事に私の計画にあった船があった。 13,000 トンのラ・プラタ丸は、 6 日後に南アメリカへの処女航海に出発し、神戸、門司、香港、サイゴンを経由してシンガポールに向かう予定だ。そこからオーストラリアに行く可能性が高かったので、シンガポール行きの便を予約した。この三等船の船旅は、日本食を含めて 16 日間の航海としては最も格安な船賃であった。
横浜の一角にある小さな茶屋で魅力的な芸者に出会い、お互いの魅力を感じ親しくなる。彼女は蓄音機の音楽に合わせて日本舞踊を教えてくれた。私がテーブルに座ると、彼女は2本の指を赤い唇に押し付け、その後、私の唇に触れた。日本の小さな蓮の花である彼女を愛することを恥じなかった。
その夜眠りにつく前に、自分に言い聞かせました。別れは悲しいものになることはわかっていた。
私は彼女に3、4 回会い、最後の夜、私に三つお土産をくれた。クローバー (幸運のシンボル) が置かれた紙切れと、赤い紙の小さなハート、黒髪(愛の象徴)と「親愛なるカイ・トレンフェルトさんへ」と書かれた彼女の写真。その夜、満月の淡い光を浴びた庭を彼女と一緒に歩いた。
静かな夜にはロマンスがある。彼女は置き去りにしないように頼んで、目は涙で溢れていた。私はできる限り彼女を慰めようとして、連れて行くことがどれほど不可能であるかを説明したが、小さな蓮の花を慰めることはできなかった。下宿に戻る途中、彼女が家に向かって悲しそうに消えていくのを見た。
翌朝早く、私は港に行きラ・プラタ丸に乗船し、そこで移民の中に自分の寝台を見つけた。旅の同行者はみな南米に移住する若者たちだった。
さよならを言いに来ると約束していた彼女は友人2人を伴って大きな花束を抱えながら波止場に来た。
ホイッスルはすでに2回吹かれていた。 3回目が鳴り響き、船が日本の土地から離れようとしたとき、波止場では、移民の友人や親戚が最後の別れを告げていた。
すぐに密集した人混みの中に彼女を見つけ、別れるときの日本の習慣に従って、紙のテープを投げた。小さな彼女はそれをつかんだ。私は赤いバラを手に取り、彼女に投げた。彼女はそれをすぐに拾い上げ着物の下に隠した。
汽船は岸壁からゆっくりと離れた。最後に聞こえた言葉は「横浜に戻ってきてくれませんか?」、まだ桟橋の一番遠いところに立って、私に手を振っているのが見えた。
私の心はしばしばあの美しい太陽の国にさまよって、彼女のことを考えていた。彼女はどこにいて、何をしているのだろうか・・・・・。