2025年10月31日金曜日

サイクリング誌

 サイクリング誌

1896年2月1日発行

斬新な三輪車

写真は、最近パリで開催されたサロン・デュ・シクリュに登場した新製品の三輪車である。ハンバー社が、有名なフランスの自転車専門家であるボーディ・ド・ソーニエの設計に基づいて製作したもので、ソーニエ氏によると、雨天や泥濘地での使用を想定している。このマシンは、同じサイズの車輪を持つ空気入りタイヤ付き三輪車である。フレームは取り外し可能なアルミチューブで構成されており、防水素材に覆われている。キャブへの入り口は後部にあるため、乗客と運転手が同時にキャブに乗車できる。


サイクリング誌
1896年2月1日発行

2025年10月30日木曜日

自轉車 第9号 - 6

  自轉車 第9号 - 6

快進社 明治34年4月1日発行

以下は拾い読み、

奥州轉輪記

那珂通世

今年二月下旬、文部省より栃木福島宮城三縣學校視察の爲出張を命ぜられ、三月三日を以て雙輪を轉じて、自宅を出發せり。

余は、奥州の生まれなれば、奥州街道は、明治の初に幾度も往返したれども、近年に至りては、汽車の便にのみ依れるが故に、都邑宿驛の盛衰、道路田野の變遷等、委しく観察すべき機會を得ざりしが、此度は、學校視察の序に、途上の風光を貪り見るも亦一興なりと思ひ、かくて轉輪旅行を擇びたるなり。 轉輪旅行の旅装と云へば、鳥打帽に半ヅボンと定まれる様なれども、余は諸學校臨視の命を受け居れば、かかる略装をなし難し。山高帽に、上下揃へる洋服を着て、鐡の足輸を以てヅボンの裾をくくりたるは、殆ど平日出校の装に異ならず。唯白シャツとカラーとは、いかにも疾走に便ならざれば、これは風呂敷に包みて手荷物とし、チョッキの下にフラネルのシャッ三枚、ヅボンの下に股引二枚をはき、外套を用いず、襟巻を巻かず、腰にピストルを帯び、 手に皮の手袋をはめて、これにて奥州山野の寒風氷雪にも畏れざる覺悟なり。先年岐蘇路播州路北陸道などを巡遊せし時は、手荷物の重さ一貫目に近く、・・・・

8頁

9頁

10頁

11頁

12頁

13頁

14頁

15頁

16頁

17頁

18頁

2025年10月29日水曜日

「ホイール」誌 - 14

 「ホイール」誌 - 14

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第6号

ニューヨーク、1888年10月5日

ロードスカラーの競技

マディソン・スクエア・ガーデンにて、10月7日(日)より開催。

新発明のロードスカラー、または陸上漕ぎ三輪車による6日間のボートレース。

14名の出場選手は、世界の偉大なスカラーたちだ。出場者は以下の通り。

ジョン・ティーマー、ウィリアム・オコナー、ジェイコブ・G・ゴーダー、ウォレス・ロス、ジョージ・ブーベア、ウィリアム・G・イースト、アルバート・ハム、ジョン・マッケイ、ジョージ・W・リー、フレッド・プレイステッド、ジョン・ラーガン、ピーター・H・コンリー、ジェームズ・A・テン・アイク、ジェイコブ・ティーマー

賞金1万ドル

提供される賞金は、これまでのボート競技で競われたものよりも高額で、レースは訓練された選手たちによる真の競争となる。10月7日(日)深夜0時から6時間漕ぎ、その後は毎日午後2時から12時まで、土曜日の深夜0時まで漕ぎ続ける。

入場料50セント、指定席1ドル

148頁
「ホイール」誌
1888年10月5日発行

2025年10月28日火曜日

自轉車 第9号 - 5

 自轉車 第9号 - 5

快進社 明治34年4月1日発行

下は、石川商会神戸支店、石川賢治氏寄贈写真

口絵

ピアス広告

「ピアス」は米國製自轉車中總ての點に於て最も完全なる最も優等なるものなり去ればニュー、ヨーク市及び其附近に散在せらるる、愛輸家諸君にして、昨年一年間に於て、ピアスを其競走用に供して、賞牌を得たるもの實に弐百七拾七人の大多数に達し内壹百名は一等賞を得、九拾七名は二等賞を、而して殘餘は皆悉く三等賞以下を得たるものにして、此内知れ渡りたる重なる人物の姓名は、クラマー、 サリバン、ジョンベタル、ワアーレンバアージャー、ウェルシング、ブロッス、ハンター、エンベルトン、スクレイーバー、ビリングトン、ムーアー、コッフェー、エールス、ウイドナーア等の諸君なるが、殊に著しき例をあぐれば、ニェーブリストンの人なるビー、シー、チャー氏の如きは常に深くピアスを愛乗に供して、今日まで前后得たる賞牌の數、實に四拾六個の多きに及びたる由にて特に本社に向て感謝状を寄せられたり
ピアス製造元、米國バッファロー市
ジョージ・エヌ・ピアス會社

2025年10月27日月曜日

ロンドン・デイリー関連

 ロンドン・デイリー関連

下記はロンドン・デイリー関連の資料、

「少年園」13巻154号 1895年(明治28年)3月18日発行

自轉車世界一週

自轉車に乗じて世界一週を企てたる米国の新聞記者ロンドン、デイリー嬢は、本月五日香港より入港のシドニー號にて神戸に着し、次で横濱に来れり。

註、ロンドン・デイリーについては→こちらを参照


354頁

奥付

2025年10月26日日曜日

自轉車 第9号 - 4

 自轉車 第9号 - 4

快進社 明治34年4月1日発行

下の口絵は、自転車直輸入業横浜石川商会米國支店員、石川健治氏寄贈


口絵

靉晚峰の広告
靉晚峰「アイバンホー」
定価 金百二拾五圓より金百九拾八圓まで
「アイバンホー」自轉車は夙に貴邦人に知られたる彼の「クリーブランド」自轉車と製造所を等くし而かも研究の上に研究を加えたる最近の製出にして出藍の譽れある自轉車なり其構造、極めて精巧にして其速力、頗る迅速なる其上に体裁の優美高尙なるは此車の長所なり又其護謨環は世界有名の「ダンロップ」にして掛け外ずし自在の二重輪なり尤も競走車には競走用護謨環中彼の有名なる「ハートフォルド」を用ゆ
北米トロント市
カナダ、サイクル、エンド、モートル會社


IVANHOE BICYCLESのカタログ
1900年頃

2025年10月25日土曜日

「ホイール」誌 - 13

 「ホイール」誌 - 13

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第6号

ニューヨーク、1888年10月5日

アメリカン・ランブラーの広告
史上最高のヒルクライム・クランクマシン
史上最速のコースター、即納可能
安全、美しい、高速、簡単なステアリング
製造元:ゴーマリー&ジェフェリー・マニュファクチャリング社
イリノイ州シカゴ

表紙

28頁
ゴルマリー&ジェフェリーのカタログ
1888年

ゴルマリー&ジェフェリーMFG社、イリノイ州シカゴ
アメリカン・ランブラー
これまでで最も軽量で、最も独創的、最も楽に走行する後輪駆動
ホイールを除くすべてニッケルメッキ

註、ゴーマリー&ジェフェリー・マニュファクチャリング社(Gormully & Jeffery Manufacturing Company)は、19世紀末のアメリカで活躍した自転車メーカー。
会社概要、
トマス・B・ジェフリーとフィリップ・ゴーマリーにより 1878年に創業。
所在地は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
主な製品は、ランブラー(Rambler)ブランドの自転車

2025年10月24日金曜日

フランク・レンツ関連

フランク・レンツ関連

下記はフランク・レンツ関連の資料、

「少年園」9巻99号 1892年(明治25年)12月4日発行

自転車世界周遊者

米國紐育自轉車俱樂部會員レンツ氏は、自轉車にて世界漫遊を思ひ立ち、此程我が東京に來りしが、是より陸路長崎に至り、香港に航し、印度を経て、歐羅巴を巡廻する目的なりといふ。然るに今一層壮快なる報道は、同國人アレン及ひサクトベンの両氏は、去秋自轉車にて土京コンスタンチノブルを出發して、中央亞細亞を通過し、近頃支那に達したりとなり、両氏が此企は、實に危険なるを以て、之を止めしもの多かりしに、両氏は、物の数ともせず、言語不通不知案内の地に入込み、種々の艱難に打勝ち、其目的を遂げたりといふ。


29頁

奥付

註、当研究会のアーカイブ参照 

106、レンツの日本自転車旅行 


2025年10月23日木曜日

「ホイール」誌 - 12

 「ホイール」誌 - 12

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

自転車特集

最初から最後まで。6章からなるイラスト付きストーリー。

第1章 準備

第2章  旅の「スペシャル」

第3章  バッファロー到着

第4章  パレード(バッファローにて、以下同じ)

第5章  観光

第6章  レース

この物語のイラストは、9月4日から8日までバッファローで起こる出来事を忠実に描いている。

9月2日、3日、4日にバッファローに向けて出発する観光列車に自転車を持って行こう。


35頁

2025年10月22日水曜日

自轉車世界

 自轉車世界

以下は「兵事雑誌」の記事

「兵事雑誌」 26号 1897年9月23日発行

自轉車世界

自轉車流行の氣焰殆ど今日より熾んなるはなし只だ我國に於ていまだこれを以て有益の用途に充つるもの頗る稀れにして多くは遊子の玩具たるに過きず隨て其流行の盛衰は甚しく國家事業と相関係せざるなり余輩は自轉車なるものが將來に於て果して國家事薬と相關すべき資質を備ふるものなるや否やを知らず、今茲に自轉車世界の消息を紹介せむと欲する如きは要するに余輩亦流行風に孕まれたるが爲めならむのみ、乃ち左に列舉せり。

〇水上自轉車の發明

 近世期に至り自轉車世界に流行してより或いは空中自轉車の發明あり水上自轉車の發明あり(水上自轉車の設計一二にして止まらず)中に近頃英人某の工夫に成るものにて(本人自からは)水上自轉車中の完全なるものは本車ありと誇稱するものなり其形状は葉卷煙草に似たるものにて是れにては直ちに顛覆するが如きも下部には深き龍骨ありて其危険を防ぐ・・・


40頁

表紙
「兵事雑誌」 26号
明治30年9月23日発行

2025年10月21日火曜日

フランク・レンツ関連

 フランク・レンツ関連

下記はフランク・レンツ関連の資料、

「少年園」8巻92号 1892年(明治25年)8月18日発行

自転車世界周遊者

北米紐約克州の人フランク、レンズと稱する者、此頃兩輪自轉車に乗りて、世界を周遊せんと思立ち、既に郷地を出發せし由。同人は、亞米利加内地を通過して、我邦に來り、それより支那印度を經て、歐羅巴に向ひ、二ヶ年にして此危険なる長旅行を畢る目的なりとぞ。是又大膽なる企てといふべし。


32頁
「少年園」8巻92号
1892年8月18日発行
国会図書館所蔵

奥付

註、当研究会のアーカイブ参照 

106、レンツの日本自転車旅行 


2025年10月20日月曜日

自轉車 第9号 - 3

 自轉車 第9号 - 3

快進社 明治34年4月1日発行

下の口絵は、

ピーアイ会、メンバーの集合写真

東宮和歌丸氏寄贈

註、東宮和歌丸は石川商会の支配人で雑誌「自轉車」創刊の仕掛け人でもあった。

佐藤喜四郎(佐藤半山)は大正4年、創刊15周年の誌上でつぎのようなことを書いている。

 明治33年の春、ピアス輸入元の石川商会の支配人であり、その代理店四七商店の経営者でもあった東宮和歌丸という人物から呼ばれ「輪界の機関誌になるような雑誌をつくってくれ」と頼まれた。自分は自転車についてまったくの門外漢だったが妻子を抱え浪々の身だったので断わる余裕なく、必死に勉強をして雑誌づくりをはじめたのである。

 そしてさらに「東宮和歌丸はやがて四七商店を手ばなし本誌とは経済関係を絶つことになるが、その後も雑誌を育成するために、各方面に資金援助の斡旋の労をとってくれた」とし「まったくこれは東宮氏の輪界発展のために私財を散らされた任俠のたまもの。後世、輪界史を編むものはこの東宮氏の功を忘却してはならない」と強調している。

「知られざる銀輪のわだち」より


口絵

2025年10月19日日曜日

バイシクリング・タイムズ

 バイシクリング・タイムズ

THE BICYCLING TIMES.

アンド・ツーリング・ガゼット

第6巻第2号 1879年11月27日(木)

スタンリー発、先週木曜日、20日、このクラブはホロウェイのジャンクションロードにあるボストンホテルで「社交会」を開催し、他のクラブのメンバーを招待した。悪天候にもかかわらず、I・ジンガリ・クラブとアイヴァンホー・バイシクルクラブのメンバーを含む数名が招待に応じ、楽しい夜を過ごした。才能を披露してくれた方々の名前をすべて挙げる必要はないが、歌ってくれたのはI・ジンガリのトビアス氏、アイヴァンホーのプライス氏、そしてタム・オシャンターのソルター氏だった。I・ジンガリとベタートン演劇クラブのウェッブ氏は素晴らしい朗読を披露し、マスグレイブ氏とアイヴァンホーのメンバーがピアノを担当した。

会員の皆様へ、本日27日木曜日の夜はクリケットクラブの夕食会で、部屋が予約されているため、懇親会は行わない。-C. M. H. スワン、キャプテン


19頁

表紙
トーマス・スミス・アンド・サンズ
各種ランプ

2025年10月18日土曜日

自轉車瓦版 第42号

 自轉車瓦版 第42号

昭和60年6月27日発行

☆福島の真船氏からの情報、「自轉車」 (No.44、明治37.7.1発行)を読んでいたらP.24に当時の自転車雑誌のことが書かれていた。それによると、 大阪の「猟輪雑誌」は「自転車世界」と合併して「三友雑誌」に、「輪界」は1号で廃刊。 

「三友雑誌」は、東京の「輪友」と合併して「輪友銃猟写真雑誌」に、また当時の雑誌は、自転車商と結びついていたともあり、例えば、双輪商会が 「輪友」とつながっていた。

次に、出版物の情報として、「NHK婦人百科」7/18 “手軽にできる自転車の手入”P.79、380円。

 「30代からの自転車旅行のすすめ」鈴木茂夫著、けやき出版 ¥1300。

「こおりやま情報」(月刊の広報誌6月号」に自転車の記事あり

「ギャンブルドック」黒鉄ひろし、びわこ競輪完敗記、角川書店 s60.5.31発行、¥880-

☆弘南堂書店という古本屋に下記の資料あり、希望者は問い合わせを、

少年自転車競争之図 明治25年、 ¥25,000-

〒001 札幌市北区北12条西4丁目 弘南堂書店 

少年自転車競争之図
明治25年

2025年10月17日金曜日

トーマス・スティーブンス関連

 トーマス・スティーブンス関連

以下は、 トーマス・スティーブンス関連の資料

表紙
「英和商売用会話」
 第4版
明治20年発行
国会図書館所蔵
以下同じ

トーマス・スティーブンス序文



第3版への序文

今日、日本中で英語について少しでも知りたいという願望が広まっている。本書は非常に簡潔で役立つ。会話をしようとすると、発音が通じないことに気づくことがよくある。そして、日本にいるすべての英語を話す人、そして彼らと会話する可能性のあるすべての日本人は、それぞれの言語の活字を知っている。この小さな本があれば、彼らは常に自分の意思を伝え、通訳の助けを借りずに物事をうまく進めることができる。

T. スティーブンス

自転車旅行者

1886年12月、横浜のクラブホテルにて

人力車に乗る時の会話

2025年10月16日木曜日

「ホイール」誌 - 11

 「ホイール」誌 - 11

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

スプリングフィールド・ロードスターの広告

50インチ、ギア比は52インチのオーディナリーと同じ。

1888年6月19日、ボルチモアで開催されたL. A. W. ランで、150台の車のうち、丘を登りきったのはわずか3台。そのうち2台はハリス氏とデッカー氏が乗ったスプリングフィールド・ロードスターだった。1888年6月19日、ボルチモアで開催されたL. A. W. レースで、スプリングフィールド・ロードスターは3勝を挙げた。1マイル・セーフティ(J. フレッド・ミッドリー)、ハーフマイル・ダッシュと3マイル・ハンディキャップ(W. E. マッキューン)。

スプリングフィールド・バイシクル・マニュファクチャリング・カンパニー
マサチューセッツ州ボストン、コーンヒル9番地

46頁

スター自転車の広告
最高の万能自転車、完全に安全、「ヘッダー」なし。スピーディー
最高のヒルクライマーとツーリングマシン
H.B.スミスマシン社
ニューヨーク営業所、リバティ通り115番地
ニュージャージー州スミスビル

註、「ヘッダー」( ”Headers.”)とは、ダルマ型自転車に乗車中、転倒した場合に頭部を打つ危険があったこと。
俗称でダルマ自転車のことを「ヘッダー」とも呼ばれていた。その後の安全型自転車(セーフティ・バイシクル)が登場するまでは、乗車位置の高いダルマ自転車には常に危険が伴っていた。

2025年10月15日水曜日

自轉車瓦版 第41号

 自轉車瓦版 第41号

昭和60年6月26日発行

★須賀氏からの情報

「辞書漫歩」(昭.53.7、惣郷正明、朝日イブニング社発行)を見ていたら、そのページ25に京都で出版された「英字訓蒙図解」(明治4年頃発行) という本が紹介されていた。この本は、小川金助書店から、児童の一般啓蒙書として出されたもので、乗り物や都市、学校その他が図解入でわかり安くと書かれている。これに自在車として自転車の絵が出ている。また、明治4年文部省が発行した、「泰西訓蒙図解」(上下2巻)のP.24でも「英字訓蒙図解」の絵が紹介されている。ここに描かれている絵は錦絵よりもすっきりした絵で馬車、人力事、自在車など当時の乗り物の様子が分かる。明治の初期には、このような図解入りの英単語集や教師の手引書が出ており、このような中からも自転車を見つけだすことができる。

・同じ「辞書漫歩」P.210にサイクリングの移り変わりというのがあり、次のように書かれている。「明治9 年(1876)大阪で刊行された『開明節用集』(山本与助編)には自転車の単語が載せてあり、「明治初年には日本にも現物が渡来した」、「新橋横浜間を汽車と競走して自転車の方が早く着いた、というから自転車はスピードのシンボルでもあった」 自転車と汽車が競争したとは、驚きである。どのような文献からの引用であろうか?

★幕末ごろに翻訳された辞書の中にも或いは自転車という単語が出て来るかもしれない。その辺から自転車という用語がいつごろから使われたか判断できよう。


210,211頁
「辞書漫歩」惣郷正明著
朝日イブニング社
昭和53年
国会図書館所蔵

212頁
同上

19頁
「泰西訓蒙図解」 下巻
 文部省 明治4年
国会図書館所蔵
以下同じ

20頁

21頁

2025年10月14日火曜日

「ホイール」誌 - 10

「ホイール」誌 - 10

サイクリング・トレード・レビュー

第2巻 第1号

ニューヨーク、1888年8月31日

プレミア・タンデムについて(一部抜粋)

先日の土曜日の午後、L・H・ジョンソン氏と共にプレミア・タンデムで3マイル(約4.8キロメートル)を走る。この自転車はイーグルロックからオレンジのメインストリートにあるジョンソン氏の店まで、時速15マイル(約24キロメートル)の速度で走行した。

プレミア・セーフティの重量は85ポンド(約36キロ)、価格は200ドル(ボールペダルは別途)。前部座席のライダーが揺れることはなく、男性でも女性でも前部座席に乗ることができる。


33頁
プレミア・タンデムセーフティ
輸入業者:L. H. ジョンソン
ニュージャージー州オレンジ

2025年10月13日月曜日

自轉車瓦版 第40号

自轉車瓦版 第40号

昭和60年6月25日発行

☆福島の真船氏からの情報。瓦版の15号で紹介した、ダルマ自転車の件でこの度、大阪のサイクルショップ・トモダに問い合せたところ、次のような回答があった。「当時あのダルマ自転車は、全然買手がつかなかった。結局1台だけ入れただけで、その車も現在、店に飾ってある。今はこれを売る気はない」トモダが輸入したダルマ自転車が1台ということになるとあの磐城にあったダルマ自転車は、どこから入てきたのであろうか。あるいはトモダとは別に輸入されたのかもしれない。いづれにしても、当初考えていたより、その台数は入っていないことになる。2~3台と云ったところか。

・郡山の古本屋で「続々世界商買往来、紀元 2533年第2月(明治6年)」を入手した。この本は、英語の辞書のような体裁で、内容は当時の貿易手引書といった感じのもの。項目の中には、自転車もあり、ドライジーネやミショーのような自転車のイラストもある。また、風車自転車といた語句もあり、いったいどのような自転車か興味あるところである。

・バイク・アンド・ライダーズという米国の本に、ラントーンの自転車のイラストが載っていた。恐らくこのイラストは「The Velocipede、1869」から引用されたもののようだ。
ところでラントーンの駆動方式だが、最近いろいろな本を見て考えたところ、足踏みと右手との3点で駆動するものでないかと思われる。左手のレバーは方向転換時に動かすだけで、通常は、 ささえるだけのようだ。しかしまだ結論を出すのは早い。もうすこし研究してみたい。


世界商賣往來 續々
青山堂 1873年(明治6年)発行
表紙
国会図書館所蔵
以下同じ

1頁

13頁
自転車の絵に注目
ドライジーネとミショー型が合体?

ラントーンの広告 1865年 
「イングリッシュ・メカニック」17頁
(ENGLISH MECHANIC、 1865-1870)より

2025年10月11日土曜日

自轉車 第9号 - 2

 自轉車 第9号 - 2

快進社 明治34年4月1日発行

以下は第8号の目次、

口絵 陸海軍連合自転車遠乗会、輪界の大家脇屋三郎氏
自転車百話(其六)
陸海軍自轉車遠乘記
梅津大尉自轉車談
北清派遣軍の自轉車
タイヤーの良否に就て
ワイ、デーリング氏第二信
初乗初失敗の記
経験なるサイクリストに資す
雑報陳列場倶楽部彙報問答各地たより
玉石混合例に依って記事豊富
自転車少年(承前)
詩句

「自轉車」第8号の目次


エルク自轉車の広告、
快速堅牢
優美高尙
千九百一年式新荷着す構造は精巧を極め速力頗る迅速目今米國輪界の王たり殊に婦人乗の
優美なるは貴婦人用として恥ぢず「タイヤ」は世界有名のハートフォルド、ダンロップ式に
て掛け外し自在故實用に適す愛輪諸君是非御試乗之上御愛顧を賜らん事を
実用紳士乗 正価120円
同 婦人乘 正価120円

日本特約店橫濱相生町一丁目公園地前
根津本舖