2025年10月6日月曜日

自轉車瓦版 第38号

自轉車瓦版 第38号

昭和60年6月24日発行

★前号からのつづき "BSA"、

BSAはこの当時、バーミンガムのSmall Heathに大エ場を建設する準備を着々と進めていた。手始めに工場用地が確保され、実に10万平方メートル(101.170m²)にも及ぶ用地の買収を終えていたのである。兵器メーカーとしてスタートしたBSAは、国家の保護の元に生産設備を拡張し大規模兵器会社へと発展を続けていた。領土拡張を狙い、貪欲に利権をあさる当時のイギリス国家にとって、兵器の生産は目的達成への不可欠の要素だったのである。この時代のイギリスは、1882年11月のアフガニスタンへの侵略戦争。翌年1月に勃発したズール戦争(英軍のズールランドへの侵入)などに見られるように、世界各地で侵略戦争に明けくれており、大量の武器弾薬を必要としていた。BSAにとっては企業拡大のまたとないチャンスだったわけである。しかし、こうした状況もそれほど長くは続かなかった。1880年頃には戦争も一段落を見せ、兵器の需要は次第に頭打ちとなりはじめていた。この1880年という年は、BSAにとって、記憶せねばならない年とあった。同社のトレードマークであり、白転車のエンブレムともなった、“三丁の小銃”のマークが、この年正式に採用されることになったのである。

兵器生産の停滞に直面したBSAの首脳陣は、新しい分野への進出を計って、積極的に多角経営に乗り出す決意を固めていた。発明家のE.Otto氏は、自身の考案した自転車をたずさえてBSAに乗込み、首脳陣を前に、この自転車のデモンストレーションをして見せたのである。結果は大成功だった。もともと新い事業を模索していたBSAは、この自転車生産に多大の期 待をかけることになった。自転車が当時有望な商品であったのはもちろんであるが、兵器メーカーであるBSAにとって、従来の生産設備の流用が可能である点も、大きな魅力のひとつであった。(次号につづく)


オットー二輪車