2011年3月20日日曜日

自転車世界一周旅行者

明治32年8月10日付けの東京日日新聞に次のような記事がありました。

〇世界一周の自転車乗り
ウイリル(Willy Schwiegershausen)及びグスタフ・コーゲル(Gustav Kogelのこと)という二人のドイツ人は、6月22日パリから自転車で世界一周の旅に出た。
今回の自転車世界一周旅行は第七回目になるが、これまでの英・米・ドイツ人たちの計画した自転車世界一周は、六回ともその目的を達成できなかった。
かつてレンツというドイツ人は、小亜細亜(地中海と黒海にはさまれた西アジアの半島地帯)のワン(バン又はヴァン)いう湖の近辺で現地人に殺害され、クノーリ(英名不明)というドイツ人はベルジュスタン(アフガニスタン、イラン、パキスタン地帯にあったバルチスタンの事か?)の原野にて、病気に冒されて死亡した。
今回の旅行者 Willyは新聞記者で、その旅行記事を各種の新聞に掲載する事を約束している。
彼の同行者 Kogelは、かつてサンフランシスコから歩いて世界一周する事を企画し、ニューヨークで金塊(賞金だと思う)を獲得した人物である。
二人とも体格が良く元気で、今回は無難に世界一周の目的を、必ず達成するという意気込みが感じられる。
旅の道順は、フランスから始まり、ドイツ南部に入り、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、トルコを経てバグダットに至り、これよりペルシャ、ベルジュスタン、アフガニスタン、インド、ミャンマー、タイ、中国を経て我が日本に渡り、更にアメリカを通過して、翌年のフランス大博覧会があるころパリに帰り着くはずの予定とのこと。
(以上は松島氏からの情報)


明治期の主な自転車世界一周旅行者を列記しますと

1886年(明治19年)アメリカのトーマス、スチヴェンス(Thomas Stevens 1854-1935)

1889年(明治22年)オーストラリアのバーストン George William Burston と ストークス Harry Stokes

1890年(明治23年)ドイツのファニー・ブロック・ワークマン Fanny Bullock Workman(1859-1925)、夫であるウィリアム・ハンター・ワークマン

1892年(明治25年)アメリカのフランク・レンズ( Frank G. Lenz 1867- 1894)

1892年(明治25年)アメリカのアレン Thomas G. Allen 及びサクトルベン William L. Sachtleben

1895年(明治28年)アメリカのロンドンデリー (Annie “Londonderry” Cohen Kopchovsky 1870-1947)

1895年(明治29年)ドイツのハインリッヒ・ホーストマン(Heinrich Horstmann)

1898年(明治31年)イギリスのジョン・フォスター・フレイザーJohn Foster Fraser、サミュエル・エドワード・ランSamuel Edward Lunn、フランシス・ハーバート・ローFrancis Herbert Loweの三人

1899年(明治32年)ドイツのウィリー・シュバイガースハウセン(Willy Schwiegershausen)及びグスタフ・コーゲル(Gustav Kogel)

1899年(明治32年)カナダのカール・クリールマン(Karl Creelman)

1902年(明治35年)広島県出身の中村春吉