雨の高速
1994年9月17日、渋谷氏と信州の高遠方面へサイクリングにでかける。秋雨前線が本州の真ん中を横断していて、天気予報ではこの土日、雨だと言っていた。ホテルを予約してなければ延期したいところであるが、一部の望みを託し出発。
ところが雨は益々ひどくなる一方で、中央高速の小淵沢辺りでは車のワイパーが追い付かないほどのどしゃ降りになってしまった。ますます視界も悪くなり、ライトを点けていない車が後ろからくると分からないほどであった。
杖突峠は景色の良いところと聞いていたが、雨とガスでほとんど視界はゼ口。たまにぼんやりと諏訪湖辺りの町並みが見えたが、すぐに厚い雲にかき消されてしまった。見晴らしの良さそうな喫茶店に入ったのだが、結局視界は悪く展望無し。
午後、天気は回復するだろうと、長谷村に向かう。長谷村の仙流荘まで来たが、雨は一向にやみそうにない。遂に諦めることにした。
サイクリングが駄目になったので、二人の知人を尋ねることにした。一人は伊那市の駒村氏。尚古堂という骨董屋の若主人である。この人はクラシック自転車にも興味をもっており、名刺にもダルマ自転車のマークを入れているほど。
「なかなか明治頃の自転車を探しているのだが、見付からない」とのこと。「岡谷の古い蔵にあるかも知れない」とも言っていたが、恐らく難しいだろう。
明治期には岡谷から横浜へ生糸商人が多く行っているので、可能性としてまったく無い訳ではないが。
帰りにもう一人「みすず」というところで自転車店を経営する御子柴氏を尋ねる。ここには古い自転車やパーツがあるわけではないが、フィールドの情報等を聞けると思って立ち寄った。
他に客が二人いたので、長居は失礼と判断し、早々に引き上げた。杖突街道の長藤あたりを通過した時、マルキン自転車のホーロー看板が目に留まり、写真におさめてきた。看板の張ってある小屋の中を、微かな期待を込めて覗いたが、残念ながら自転車とはまったく関係のない、ただの粉挽小屋であった。
雨に散々祟られた高遠行きであった。この高遠行きでの収穫は、駒村氏と御子柴氏、そして、このホーロー看板だろうか。(オ)
註、この記事は日本自転車史研究会の会報「自轉車」第79号、1994年11月15日発行より。