2022年5月31日火曜日

自転車関係資料-106

 自転車関係資料-106

この資料は、荒川サイクリングクラブ創立20周年記念誌(2002年6月27日発行)である。
緒言の部分を抜粋、

創立20周年を迎えて

荒川サイクリングクラブ会長 石原政雄

はじめに
自転車税(廃案)や自転車運転免許制度などで一躍有名になった荒川区ですが、かつては大阪の堺市と並び自転車産業で栄えた町です。しかし、メーカーや関連企業の区外への流出、事業者の業種の転換などにより、現在ではあまり元気がありません。こうしたことを知ってか知らずか荒川区は“自転車”には熱心なようで、試行錯誤を続けています。
こうした複雑な土壌を背景に、 荒川サイクリングクラブ (略称・ACC) 及び、荒川レーシングクラブ(略称・ARC)は誕生しました。
20余年前、後藤(中岡)君と君と知り合ったこと(クラブ員名簿 入会した動機参照)かから、近くの自転車好きが集まって「クラブ設立準備会」を発足。実体は飲み会だったように覚えています。
そこで、 LEVELの松田さんに相談したところ賛同をいただき、氏のご厚意で自転車工場をクラブ事務所に快く提供していただきました。何回かの準備会でクラブの骨格がまとまり、1年間の準備期間を経ていよいよクラブ設立の運びとなったのです。
発起人は次の各氏です。
後藤孝尚、盛合博美(ビチスポーツ・モリアイ) 黒田松太郎、成相雅美、石原政雄、松田純夫(LEVEL)。 

名前について
クラブの名称は「かな」 でも 「アルファベット」でも最初の方が気分が良いということから「あらかわ」が浮上。甲武信岳を分水嶺とする“あばれ川・荒川”と定義付け、活動の拠点を荒川流域に置いたのは自然でした。
遊び半分から始まったクラブ活動も、20年も続くと地域とのかかわりができてきて、今では “荒川区”とは、関係がないとは言えなくなってきたのも仕方のないところです。

クラブ活動20年
1982年(昭和57年)に活動を開始した頃はレーシングブームで、ARCが主導権を握っていました。その後、レースにも (ARCの場合) 秋風が吹き始め、1990年代に入ると勢力が逆転しACCが元気を取り戻しました。もともとACCはツーリングを目的として活動を続けてきましたが、20年という歳月がツーリング世代を迎える環境を整えていたということになったのでしょう。
前述した通り、クラブにはサイクリングクラブとレーシングクラブとが同居していますが、いつの間にか一緒になってしまったようです。従って、サイクリングに出掛けるときは“ACC"。 レースの申し込みは “ARC" といった具合です。

【恒例行事】
[1月] 初詣でラン: TCAやNC誌の新春ランに便乗し、終了後は新年会です。
[2月] 早春1拍ラン: 常磐沿線へあんこう鍋を食べに。南房総へ春の足音を求めて。
〔3月〕 荒川区産業展: 1996年よりサイクリング普及のためのイベントなどを企画。
[4月] お花見会ラン: お昼頃から日没までモツの煮込みで・・ 幹事のお手並みを拝見。
[5月] ゴールデンウィークラン: 数年続いた「いわき」が終わり、次はどの地域を・・・
ツアーオブジャパン警備:終了後、大井埠頭周回コースへ移動し昼食。応援。
[6月] タケノコ掘りラン:秋ヶ瀬公園の竹ヤブで、採ったタケノコは刺身に、みそ汁に。
[7月] 花火大会見物ラン: 足立花火大会、 隅田川、 いたばし (8月初め) と続きます。
[8月] 夏合宿: 秩父浦山 (水浴)⇒万場町 (花火大会)が恒例となりましたが、「何も
わざわざ暑い所へ行かなくても」と困った意見も。 夏合宿って、何?
[9月] 秋の1拍ラン:ひと汗ぬぐえば青い海、峠を越えれば鉱泉宿。ビールがうまい!
[10月 11月] 対外行事: 協会主催の大会、クラブラリーなどに参加。
[12月] 忘年会: 尾久、 どん平でオークション。 売れ残ったものは福引の景品に。
年末年始ラン: あわただしい年の瀬に出掛けるのが“ゆとり” ですが、寒いです。

【ミーティング】
クラブ規約では隔月となっていますが、いつの間にか年3回になってしまいまし
た。 遠くから毎回参加する人もいれば、近くに住んでいるのに全く顔を出さない人もいます。 「出てこい」 とは言いませんが、自分たちがクラブを創っていることを自覚してください。 クラブ事務所で開催していますが、かつては日暮里ひろば館に集まっていました。

【会報 「あらかわ」 】
タイトルなどは初代編集長の成相さんがデザインしたもので「あらかわ」 も2002年9月現在で165号を数えます。 月間が理想ですが現実は厳しいものがあります。
編集も手書きからワープロへ、そしてパソコンへと進化してきましたが、書式やまとめの“切り貼り方式”は当時のまま変わっていません。 編集も成相さんから後藤さん、石原がしばらくやって菅沼先生に。 現在は小川さんへと受け継がれています。
足でかせいだものがすべてのサイクリングにとって、 会報 「あらかわ」は、かいた汗のしみ込んだ、かけがえのないクラブの財産なのです。

[朝練]
私(石原)が体をこわし、皆なに追いつくために私的に始めたことでクラブ行事ではありません。 1998年6月から走っていますから丸4年ということになります。
夏はいくら暑くても早朝ですから何とかなるのですが、 荒川土手に霜がおり、河川敷に氷が張っているような日は家を出るのに抵抗があります。相棒の根本さんもよく頑張ヨ。
原則として、クラブ行事のない日曜日。
西新井橋 (町屋側、6:00出発) ~板橋運動場(朝食、雑談) ~朝霞水門 ※往復
※冬季は7:00出発。 すがすがしい空気を吸いたくなったらご参加ください。

【 広報活動】
以下は、ニューサイクリング誌463号(2002年9月号) に掲載していただいたクラブ紹介の“くだり" の部分です。
<現在では、 ACCのようにツーリングを主体としたクラブは珍しい部類に入るのだそうだ。 だとすると、私のような保守的なサイクリストは絶滅危惧種に指定されても不思議ではない。 困った時代になった。
しかし、あきらめてはいけない。 不景気、 高齢化社会、地球温暖化問題と、サイクリングブームを起こすのに十分な条件は揃っている。 恐らく最後のチャンスであろう。「何とかしようよ、 仲間たち!」 >

【肩書など】
□ACC:日本サイクリング協会 (JCA) 公認クラブ。 東京支部 (TCA) に所属。
□ARC:日本サイクルレーシングクラブ協会(JCRC) にクラブ加盟。
□全国サイクリングクラブ連絡協議会にクラブ加盟。
□荒川区社会教育関係団体及び、同スポーツ団体に登録。
□荒川区みなせんまちづくり塾 (自転車とまちづくりワーキンググループ) に参画。

おわりに
20年間の活動記録をまとめていて、もう少し整理をしていたらと反省しています。 皆さんに手伝っていただいても混乱するに違いありません。 そのような理由で一人で創ってしまい、偏った編集になってしまったことをお詫びします。
我々が、先輩たちから脈々と受け継がれてきたサイクリングという遊びを、正しい形で継承し、守っていくのもクラブの使命だと考えています。
「自転車の街・荒川」をスローガンに、 自転車が安心して走ることのできる生活環境を
取り戻し、住みよい町づくりに参画するのもクラブの役割だと思っています。
ACC及び、ARCをあらゆる面でご指導、応援していただいた先輩諸兄の皆さま、友好クラブ、団体の方々に誌上をかりてお礼申し上げるとともに、 今後ともご支援、お付き合いを賜りますようお願い申し上げます。

編集者註、荒川サイクリングクラブ創立20周年記念誌(2002年発行)より。
同クラブは20年前(1982年)の6月に荒川周辺に居住する熱心なサイクリストが中心になり発足したクラブ。
 会長の石原政雄氏は日本自転車史研究会の会員でもあり、会報「あらかわ」をいつも送っていただいた。

表紙
荒川サイクリングクラブ創立20周年記念誌
2002年6月27日発行