初めてのサイクリング
初めて自転車に乗れたのは小学校2年生の時である。秦野市立本町小学校の校庭で自転車乗りの練習が始まった。この校庭からは丹沢の表尾根である二ノ塔や三ノ塔などがよく見える。父の大きな黒塗りの実用車を引っ張り出してきて、校庭で自転車訓練の開始である。最初は自転車の後ろ荷台を兄に支えてもらいスタートする。当然、チビなのでサドルには跨げない。そこで当時の子供が誰でもやっていた三角乗りという方法である。最初は自転車のバランス感覚をつかむためペダルは漕がず、後ろから兄に押してもらう。自転車が少し加速したところで、知らない間に兄の手が荷台から少し離れる。転倒しそうになるとまたすぐに荷台を支えてもらう。だが何度も転倒し膝などをすりむく。このような試練を経て練習をかさねるうちに体がバランス感覚を覚え、後ろの兄がいつ手を放しても徐々にその走行距離が伸びてくる。最終的には自分だけの力でスタートできるようになる。これをさらに何度も繰り返すうちに、今度は両足を使って、三角乗りの状態でペダルを回転させる。直進だけであったものがハンドルを少し動かし方向転換もできるようになる。だがやはり何度も転ぶ。
この段階になると自転車に乗れたという感覚になり、楽しさは倍増する。徐々に自転車がコントロールできるようになった証拠でもある。学校から15時ごろ帰ると17時ごろまで雨が降らない限り練習を繰り返す。毎日、3時間以上は練習したはずである。
この練習が日課のようになってから1週間ぐらいして、かなり走行距離を延ばすことができるようになると、いよいよ校庭から一般道路に出ることになるが、自分の家の前の通称「醍醐道」は殆ど車が通らないので危険はない。ただ、水無川の北側方向にはすぐに坂があるので、三角乗りでは登ることができなかった。ここは自転車から降りて押すことになる。また、平たんになったところで自転車に乗る。
自転車に乗れるようになると、大げさに云えば世界が広がったように思えてくる。どこでも行かれるような気分と感覚になる。自転車のすばらしさを初めて体感したのである。
初めてのサイクリングはその翌年に訪れた。季節は7月、小学3年生(9歳)になっていた。西暦で言えば1958年7月である。同級生の相原君と遠藤君を誘い、平塚の七夕祭りを見に行く計画をたてた。そしてその当日がきた。
自転車は相変わらず父の大きな実用車である。自転車の銘柄などは覚えていない。たぶん宮田か山口あたりであったろうか。相原君も同じような自転車であった。遠藤君は自転車に乗れないので徒歩か、時々後荷台に乗ることになる。遠藤君は背も高く体格もよいので、乗るとかなりの負担であった。相原君と交代しながら走っていくことにした。
サイクリングのコースは秦野の本町小学校からスタートし、金目川経由の平塚である。交通量の多い現在では危険なコースと云ったところだが、この時代はのんびりしたもので、たまにオート三輪や定期バスが通る程度であった。
台町から河原町までは下り坂になるので、スピードが出てしまう。恐る恐るブレーキをかけながら下っていく。自転車のブレーキはロッド式なので小さな子供にとっては負担であるし、手が小さいのでブレーキ・レバーが重い。それでも何とか下って行った。
河原町からは金目川にそって平たんな道を進むことになるが、途中に小田急線の踏切がある。ここは自転車から降りてわたる。山側にトンネルが見える。このトンネルの向うは大根駅となる。踏切を渡りさらに進むと二又の分岐が待っている。コースは右側を行くことになる。左側は登りになり秦野高校方面である。右側のコースは平たんな道が続く。そのうちに右側に土屋橋が見えてくる。また、この土屋橋で休憩。既に大汗をかき喉が渇いてきた。また休憩である。もう3度目になる。時間も昼近くになってしました。思った以上に距離は伸びていない。先ほどから休んでばかりいる感じである。遠藤君には何度も降りてもらう。疲れが大分出てきた。腹も減ってきた。だが急がないととても平塚には到達しない。もう少し頑張って走ることにする。青柳まで来たが、もう走ることはできない。店屋の前のベンチに座りこみ腹ごしらい。当時の道はどこも未舗装なので埃まみれの汗で気分が悪い。店の前の小川で顔を洗う。この小川には小魚も泳いでいて、水は冷たい。気分爽快になり、腹も満ち足りて、スタートすることにした。金目までなかなかたどり着かない。時間ばかりが過ぎていく。結局、南原土手まで来たが、16時を回ってしまった。三人で相談したところ、帰りのことも考え、平塚行きは断念することになった。帰路も平坦だが疲れも多くなり、一向に進まない。遠藤君には殆ど歩いてもらうことにする。遅れると彼は駆け足になって後からついてくる。お互い疲れている。
河原町近くまで来ると日はとっぷり暮れ、闇夜になってしました。台町の上り坂に差し掛かるとギブアップ状態になり道に寝転んでしまった。星がキラキラと瞬いている。少し涙もでてきた。
心配した母親はこの頃警察に連絡して、探してもらうことになる。
20時頃にやっと3人は救助され、みんなに叱られる。
この騒動の噂は既に学校でも広まっていて、翌日の登校時も先生に叱られた。同じクラスの生徒からも馬鹿にされた。
生まれて初めてのサイクリングの顛末はさんざんであったが、いまになると楽しいことだけが思い出される。あれからもう64年(2022年)にもなる。既に思い出は遠い彼方になるが、今でも自転車は好きで週に3回は乗っている。1回の平均走行距離は30㎞である。いまなら十分に平塚へ行ける。(オ)
2022年6月11日記
初めて自転車に乗った秦野市立本町小学校の校庭