輪業世界 - 2
「輪業世界」第40号 大正10年6月15日発行
に以下のような石川賢治の記事があったので、紹介する。
この記事から彼の倹しい意外な一面を知ることが出来る。
或いは記者の創作も一部含まれているか。
私の観た石川賢治氏 光輪生
▼思出日記の一
石川賢治氏は輸入輪業者の覇王と稱せ られた、米國製ビアス輸入元橫濱石川商会主であつて、現丸石商會の専務取締役たる山口佐助氏や、同會取締役深見實氏、同本尾多嘉助氏等の舊主なり舊師なりであることは諸君も御承知であらう、
氏が自轉車の輸入を掌どらるるに至つ た動機に就ては他日詳細に報導する機もあるが、先づ私が始めて横濱の石川商會を訪問した時の感動を一寸茲に御紹介して見やう、夫れは今から十五六年前の二月の初旬であつた、三等列車に乗って神奈川驛に停まると、私の隣りに腰を下した田舎の親爺があつた、其頃ハイカラの最も卑しんだ二十錢位の綿フランの襟卷を無造作に頸に巻いて十錢位の山桐の下駄を穿き、木綿竪縞の和服を着て角帯を締めて居た、丁度朝の十時頃次驛の橫濱(今の桜木町)に着いたので、私は例の鐵の橋の彼方に聳ゆる屋上の自轉車を目標としてコッコッ歩いてゆくと、其親爺さんも後とからついて来る、妙な人だなと思ひ乍ら丸石商會に這入つてゆくと其先生も亦た這入る、ハハア此人は商會の小使さんだらうと思って居た、夫れから山口さんや深見さんに会って色々お話をして居ると、先刻の小使が出て来た、山口さんが「恰度好いから主人を御紹介しませう」と仰しゃるのでゼヒお願ひします・・・・・・」と澄して居たら、「是れが石川さんです……」と前の小使さんを紹介されたので、私はハッと思つた拍子に暫くは口が塞がらなかつた、是れは實際の事である、其次にお茶を運んで来たお婆さんは傭ひ婆さん位ゐに思って平気で頭も下けずに居たら、夫れが石川氏の奥さんであると紹介されてコレはコレはと二度吃驚したが、実に輪業者として偉大な成功をした人として石川氏程の質素な、而も高潔な人格者は無いと今日に及んで切實に痛感せしめられる。