2021年6月15日火曜日

振れ取り台

 振れ取り台

下の資料は大正3年11月発行の山本タイムスからのもの。
自転車用の振れ取り台である。

この振れ取り台が何時ごろから使用されるようになったかは定かではないが、おそらく車輪が木製から鉄製のリム、スポーク、ハブの構成に進化した時代から間もなくして考案されたはずである。
当初はおそらく自転車を逆さにし、ハンドルとサドルを床に置いて、リムの縦と横の振れを調整したはずで、私も以前そのようにして調整した記憶がある。この方法は振れ取り台がない場合に多少自分でメンテナンスをすような人であれば経験したはずである。なかには自作で自転車のフォークを厚板の台座に取り付けて振れ取り台の代用にしていた人もいた。

私の場合は、その後、大阪城東輪業社製(OSAKA JOTO)振取台を入手し、主にロードレーサー用の車輪を何回も調整した経験がある。ところが素人にはこの調整がかなり難しく苦労したことを覚えている。今はすべてプロショップの店主にまかせている。すこし余談になってしまった。

下の資料の見出しに、
最新式リームクルイ直シ器 特価1個 4円30銭也
鉄鋳物製黒塗

とある。全体を見た感じでは、殆ど現在のものと変わらない。私も以前使用していたOSAKA JOTOも鋳物製の頑丈のものであった。

振れ取り台

ページの全体
山本タイムス 第11号 24頁
大正3年11月発行

2021年6月14日月曜日

自転車関係資料⑲

 自転車関係資料⑲

これは北海道・樺太輪界興信銘鑑の広告の中でひときわ目をひいた写真である。

店舗前にユニフォームを着た選手と新橋号自転車がずらりと並んだ光景は壮観と言っていい。

新橋商会はあまり聞かない名前だが、この写真を見るかぎり当時はたいへん繁盛していたことが伺える。

新橋商会の店舗前

ページの全体
北海道・樺太輪界興信銘鑑
昭和10年度版 48頁
国会図書館所蔵資料

2021年6月13日日曜日

バンドブレーキ

 バンドブレーキ

先般から自転車用バンドブレーキが気になっている。

なぜ取扱いに不便なバンドブレーキがいまだに実用車のスタンダードとして付いているのか、という疑問である。

不便と感じているのは私だけであろうか。前にも述べたように後輪のパンク時の修理やタイヤ交換に厄介と思うからである。キャリパーブレーキであれば、簡単に後輪のタイヤ交換ができるのだが、なぜいまだにバンドブレーキ(サーボブレーキ)なのかよくわからない。利点の一つはメンテナンスフリーともいわれているが、私の自転車は整備が悪いせいかブレーキをかけると時々キーキーと音がするし、ブレーキのききもあまりよくない。

そこで、何時ごろからこのバンドブレーキが現れたのか、少し調べてみた。どうやら昭和初期からで、当時の自転車商名鑑などの広告にでてくる。大正期も当たってみたが、殆どがコースターブレーキで、いまのところバンドブレーキは出てこない。

下に名鑑に現れたバンドブレーキの広告を載せた。

因みにバンドブレーキの製造会社で有名なのは唐沢製作所である。

同社のHPで沿革などを見ると、唐沢商店の創業が1920年(大正9)で、総冠式バンドブレーキを1928年(昭和3)に世界で初めて開発し、特許権取得とある。

しかし、当時の名鑑などを見ると、唐沢の名前は出てこない。

一般の小売り販売の自転車商としては、昭和10年の名鑑に下谷区御徒町3-39、唐沢義之助が出ている。昭和12年の名鑑には下谷区御徒町3-79、唐沢覚司とあり、住所と名前が違っているが、おそらく同じ自転車商と思われる。

バンドブレーキの製作所で名鑑に度々登場しているのがオギタ製作所、東京市浅草区神吉町である。
昭和4年の広告には「旭日昇天 輪界の好評嘖々(さくさく)たる 特許バンドブレーキ」と、大仰に宣伝している。
これがいまのところバンドブレーキで一番古い広告であり、それ以前は出てこない。大正期は勿論見当たらない。しかし、今後も大正期を含め調査したいと考えている。大正期の広告は殆どがコースターブレーキである。

輪界興信名鑑・東部日本
昭和4年発行
国会図書館所蔵資料

同上
コースターと下はバンドブレーキ?

全国製造卸商名鑑
昭和10年度版
国会図書館所蔵資料
以下同じ







コースター・バンドブレーキ
全国輪界興信名鑑
昭和12年版
以下同じ



内拡式バンドブレーキ

輪界興信名鑑・東部日本
昭和4年

全国輪界興信名鑑
昭和12年版

私の買物用ナショナル自転車

2021年6月12日土曜日

丸石の創業年

 丸石の創業年

昨日の続きであるが、丸石の創業年について何か手掛かりのある資料はないか調べたところ、創業三十周年記念誌が出てきた。それによると盛大に祝賀会などが東京で開催されたことなどが載っている、内容は殆どが祝辞と写真で社史の体裁ではない。

この日は1937年(昭和12)2月20日とある。記念誌の発行年は昭和12年5月5日である。

そうすると、創業年を逆算すると1907年(明治40年)となる。

昨日の50周年記念号のMS号の発売日は1957年(昭和32年)でなければならない。しかし、1年前倒しで記念号を出すことはよくある。先般もニューマルキン号自転車の発売日が本来なら2022年であるが、今年発売されいる。したがって丸石自転車MS号(五十周年記念号)昭和31年(1956年)でよいことになる。

なお、一番下の石川商会の創業者である石川賢治氏の祝辞に、
・・・回顧すれば明治27年不肖身を以て海外直輸貿易を企て石川商会を創立・・・
その後病に罹り商会を解散せり・・・

とある。

記念誌の表紙
昭和12年5月5日発行

裏表紙
丸石商会のマーク
米国車ピアス号のマークをアレンジ

三十周年記念の祝辞
昭和12年2月20日
石川商会の創業者である石川賢治氏の祝辞

2021年6月11日金曜日

丸石50周年記念

 丸石50周年記念

この資料コピーは、どなたにいただいたかさっぱり忘れてしまった。

丸石商会が50周年を迎えたときに、記念で発売されたMS号自転車のチラシ風カタログである。発行は㈱丸石商会大阪支店 大阪市福島区下福島一丁目四番地
となっている。

銘柄は、ニューモデルMS号(創業五十周年記念新発売車)、MS号婦人用自転車、MS号男女兼用自転車それに丸石少年号自転車が出ている。

このチラシ風カタログには発行年が記載されていないので、何時ごろのものか少し悩むが、当然決め手は50周年である。ただし、その年数が石川商会も含むのかどうかである。

含めると、下の略歴から1894+50で1944年(昭和19年)とうことになり、丸石商会では1959年(昭和34年)となる。

当時の時代背景を考慮すれば、1959年であるに違いない。昭和19年では、まだ丸石も軍需工場の一つであったはずである。

ところが、最終ページにどなたかのメモ書きで次のように書いてある。

「丸石自転車MS号(五十周年記念号)昭和31年(1956年)5月31日 木村自転車にて五ヶ月分割払いにて購入」

とある。そうなると3年も前にずれてしまう。確かに当時の創業年では数年のずれはままあるものであるから、当然かもしれない。(⑥に明治29年開業とある)この人の評言から最終的には1956年のカタログにしたい。いまは手元にないが、追って社史も調べてみたいと思っている。

略歴、
石川商会
1894年(明治27年) - 石川賢治、貿易商石川商会創業。
1900年(明治33年) - 横浜本店を新築。
1903年(明治36年) - 横浜のボーン商会が輸入したオートバイ「ミッチェル」を販売。
1906年(明治39年) - トライアンフ製オートバイを輸入販売。
1909年(明治42年) - 社主の病気などにより会社解散。

丸石商会
1909年(明治42年) - 石川商会の元社員たちにより丸石商会を創業。
1910年(明治43年) - 本店を旧石川商店本館に移転。
1918年(大正7年) - 株式会社丸石商会とする。
1933年(昭和8年) - 国益チエン株式会社を宮田、アラヤ、丸石の出資により設立。
2004年(平成16年)- 丸石自転車株式会社、倒産。

①表紙

②ニューモデルMS号

③MS号男女兼用自転車

④丸石少年号自転車

⑤MS号のトレードマークを拡大

⑥全国輪界興信名鑑. 昭和12年版
国会図書館所蔵資料

2021年6月10日木曜日

プリミア自転車

 プリミア自転車

このカタログは丸石商会販売の日本プリミア自転車である。

プリミアは、英国の自転車メーカーで世界的な企業に発展したメーカーの一つで、度々このブログにも登場している。

プリミア(Premier プレミアとも表記)自転車の略歴、

1875年、ウィリアム・ヒルマンとウィリアム・ハーバートが自転車メーカーとして英国のコベントリーで創業、社名はヒルマン&ハーバート・サイクル社。

1876年、この年にジョージ・クーパーも参加し、社名をヒルマン、ハーバート&クーパー株式会社と改名。

1902年、プレミアサイクル株式会社と改名。

1914年、プレミアサイクル株式会社をコベントリープレミア株式会社に変更。

1920年、シンガー社に売却、コベントリープレミアの商標は、その後もシンガー社が引き続き使用し、1927年まで製造を続ける。

日本で初めて販売したのは大阪の角商会で、1911年(明治44)にはプリミヤのカタログも発行している。

日本で丸石商会が一手販売したプリミヤは、神戸市筒井町の日英自転車製造株式会社が製作した日本製のプリミア自転車である。
このカタログは1926年3月20日発行で表紙を含め全8頁、したがってすべてを以下に掲載する。

一番下は帝国輪商案内、明治44年発行で、角商会が出ているので参考までに載せた。
大阪市北区上福島二丁目 角商会本店 店主 角 利吉 プリミア、ラシクル
の販売とある。 



トレードマークはカンガルー






帝国輪商案内 明治44年発行
国会図書館所蔵資料

2021年6月9日水曜日

自転車関係資料⑱

 自転車関係資料⑱

この資料は宮澤商報で、1915年(大正4)3月1日発行第108号である。

これも気になった部分のみ掲載する。

①毎月発行されていた商報で大正4年で108号ということは、明治39年から発行されていたことになる。いつまで続いたか定かではないが、それなりに繁盛していたことが分かる。
表紙は3月号なので梅か桜の花と車輪のデザインである。
宮澤商会、東京市下谷区竹町

②大正4年式オリバー号、これにも当時としては珍しい風切りが付いている。よく見るとオリバーと書いてある。やはりスタンドと荷台はついていない。

③ブリッジ型の二重フレームが特徴。

④マスト号、ハンドルに注目した。大正期にはこのようなアップハンドルが一時期流行ったようで、時々当時の写真に登場している。マスト号は船をイメージしたのか、トレードマークもスクリューに車輪である。

⑤自転車用油と油差し、油差しの3種の形状に注目した。

⑥以前にも荷掛けは紹介している。今回は背負網袋に注目した。
通気性が大いにあり、現在でも使用できそうだ。今でも網ではないが似たようなものを時々見かける。私も自転車用のサコッシュを以前使ったことがあるが、すぐに背中から前の方にずれてきて不便を感じたことがある。ツールなどでは一時的な補給食入れに使用されている。
このサコッシュ、最近ではあまり見なくなった。私はカンパのデザインなど3種類のサコッシュを使用していた。

⑦はランプ関係、下に参考までに磯村産業の自転車用アセチレンランプも載せる。
ミラーとミルトンの自転車用アセチレンランプ、火口(ほくち)小物にも注目。
ランプ掛け用の金具部分も注目したい。

⑧ミラーとオリバーのランプ、交換用の凸面レンズにも注目、自転車が転倒した際によくこのレンズ面が破損したり、ひび割れを起こした。ランプ掛け小物の意匠にもいろいの物があった。ラレーなどは例の鳥のマークのデザイン。

⑨は針金製のトークリップに注目した。ストラップも兼ねている。ただし長時間の使用では爪先や足の甲の辺りが痛くなるよな気がする。これもトークリップの発展過程における歴史的な一つである。
因みに私は以前クリストフ・トークリップ(Christophe Toe Clip Mサイズ)とアルフレッド・ビンダ(Alfredo Binda)のストラップ及び三ヶ島などを使用していた。

⑩101頁の後輪スタンドと置台に注目、下の1台用の自転車置台は贅沢な気もする。修理などの作業用だと不安定のようだ。

⑪ワイヤー式後輪ブレーキに注目、当時は前後ロッド式ブレーキが主流であった。現在のもに通じる発展的パーツの一つと言える。ワイヤーはむき出しか、それともビニールのような被覆があったのか、トップチューブに3か所も留め金があるところをみると材質は不明だが今のように何かで被覆されていたと思われる。ゴムとセルロイドの素材はあったのだが、はたしてなにか。 

⑫⑬⑭磯村工業所(磯村産業)は1910年(明治43)の創業と伝えられている。
中央のマークは家紋の三階菱である。確か三菱の創業者である岩崎家も三階菱である。
甲斐源氏武田氏の一族である小笠原氏がこの家紋。

⑮ランプ掛け用の取付金具

①表紙 全108頁

②オリバー号 2頁

③二重フレーム

④マスト号

⑤差し油と油差し

⑥背負網袋

⑦アセチレンランプ 80、81頁

⑧レンズとランプ掛け 82、83頁

⑨トークリップ 92、93頁

⑩スタンドと置台 100、101頁

⑪ワイヤー式ブレーキ 106、107頁

⑫磯村の自転車用アセチレンランプ

磯村工業所のアセチレンランプ自転車用

⑭同上

⑮取付金具