この資料は。明治26年6月発行の「猟の友」猟友社 第2巻21号の記事です。「自転車の効用」と題し、一ノ井顔花(猟夫)という人が書いています。恐らく名前はペンネームでしょう。十文字信介(1852-1908)が、この雑誌にたびたび寄稿していたことは分かっていますが、この記事を誰が書いたかいまのところ不明です。
内容は、
(自転車の隆盛)
欧米自転車製造所にして千人以上の職工を有するもの数百ある
(通勤と健康)
朝に之に乗して出勤し夕べに之に駕して帰宅の間には身体に日々運動を与えたる
(軍用自転車など)
米国の如きは兵卒用の自転車あり(図を看られよ)消火用自転車あり
(会社等の利用)
其他郵便電信等の如き速達を要する者は皆之を利用せざるはなきに至る我が日本にても電信局、銀行、会社、大商店の如きは近日之を利用するに至るも決して偶然に非るべし
(タイヤの種類)
今や流行安全車輪製に3種の差あり、薄ゴム輪(ソリットタイヤー)、厚ゴム輪(クッションタイヤー)、空気入ゴム輪(ニューマチックタイヤー)にして第一は其ゴム薄きの故を以て其回転中ごつごつするの工合あり其速力随て遅し第二厚ゴム輪の方は回転するに際し円滑なれば其速力自ら早し第三空気入輪なれば砂上も水上も走り得べく是を最上等とすると雖ども途中物に触れ其輪を害損ぜば直に空気洩脱するの恐れあり且つ其修復の如きも未だ本邦に於て出来難しと云へば厚ゴム輪を選ぶ事可とす、ここに英人某横浜ガゼットに投寄せし自転車の記を読むに空気入と厚ゴム輪と京浜間を走試するに後車僅2分時間後るるのみと
(乗車方法)
前輪の踏金(後輪の車軸にあり)左足を掛け両手に梶棒を握り右足以て進行すれば・・・
(自転車稽古場)
本邦東京には錦町に梶野自転車稽古所あり一時間に拾銭を出せば乗法を習ぶ
(括弧の項目は便宜的に私が入れたものです)
明治26年代の自転車情報としては、かなり早い時期にあたります。これは日本に安全型自転車が輸入されて間もない記事ということになります。
「猟の友」猟友社発行は、明治24年の創刊です。その後、4年ほどで廃刊になった月刊雑誌です。
編集は、飯島魁(1861-1921)が担当し、十文字信介らが寄稿していました。明治24年に発行された「銃猟新書」は、十文字信介が書いています。