2011年4月18日月曜日

一名馬鹿車


 これは明治18年4月23日付けの「日出新聞」の記事です。
 大津市街で流行した貸し自転車ははたしてどのようなタイプであったのでしょうか。
 明治9年頃の貸し自転車は木製のラントン型であると推定しましたが、この年代でのタイプも難しい問題です。ダルマ型はトーマス・スティーブンス来日以降に流行しましたので、ここで一番可能性のあるタイプはミショー型です。ミショー型が日本に入ったのが何時頃なのかはっきりしませんが、恐らく明治10年頃ではないかと思っています。現存するミショー型からもそれは推定できます。具体的な根拠資料はいまのところありませんが、そうのように感じています。
 この新聞では単に自転車(一名馬鹿車)と書いてありますので、三輪車ではないはずです。一名馬鹿車とは、非常に差別的な呼称ですが、それほど乗り手を熱狂させたのでしょう。
 「日出新聞」は明治18年4月に浜岡光哲(1853-1936)により京都で創刊された新聞です。明治30(1897)年7月に「京都日出新聞」と改題されています。