2011年4月30日土曜日

万清

 最近、岩波文庫の「一外交官の見た明治維新」(上)アーネスト・サトウを読んでいましたら、次の記事が目にとまりました。

ここでは、数ヶ月の間全然日本食で過ごしたのだが、食事は、われわれの友人である薩摩の人々が繁く通っている、万清という料理屋から三度ずつ運ばせていた。(249頁)

 この万清(マンセイ)という料理屋は、チャールズ・ワーグマンのジャパン・パンチ(オープニング・オブ江戸 1869年)という画にある料理屋です。
 サトウは、このころイギリス公使館が横浜から高輪泉岳寺前に移転しますと、近くの門良院に二等書記官のアルジャーノン・ミットフォードと同居していました。
 サトウは、当時、ワーグマンとも親交がありました。