スティーブンスの日本旅行記 パート2-5
丘陵地帯を抜け、谷間を下ると嬉野へと続く街道である。鉱泉と温泉で有名な場所だ。途中、苔むした断崖の斜面から小さな滝が流れ落ち、魅力的な小さな渓谷を通り過ぎる。そこには、茅葺き屋根の家々、寺院、森、そして小川が点在している。
小川には、水流を利用して稼働する無数の水車が並んでいる。小さな小屋の中には、米を入れた臼がありる。支点に長い梁が取り付けられており、その片端には杵が、もう片端には桶が付いている。臼の外にある桶に水を満たし、自動的に水を抜くことで、杵は臼の中の米に落下する。水を満たした桶は自重で落下し、水を抜くと、反対側の端も落下する。この動作は一日中、約2秒ごとに繰り返される。
嬉野周辺の丘陵地帯は茶の栽培に利用されており、緑豊かな茶園は、うねりのある均一な低木が連なり、岩肌がむき出しになった崖の麓まで続く、実に美しい景観を呈している。嬉野とその温泉街は下関への幹線道路から少し離れているため、特にそこへ行く気はなかったので、武雄村へと向かった。そこでは雨のため数時間足止めを食った。中国と比べて、すべてが素晴らしく優れているため、日本の村の宿屋は、私が初めて訪れたこの数日間は、まさに楽園のように思えた。中国の宿屋で一週間暮らしたら、平均的なアングロサクソン人の理性は打ち砕かれるだろうが、日本の田舎の宿屋なら、同じ時間をとても快適に過ごせるだろう。武雄のすぐ周囲の地域は、自然の美しさだけではなく、小さな人工湖、島、洞窟、そして、さまざまな珍しい景観で飾られている。
武雄から牛津まで、8本の電信柱が街路を縫うように走り、数多くの村々を通り抜け、町から町へとほぼ一続きの街路を形成している。こうした街には、ヨーロッパ風の制服を着た警察官や電信官がきちんとした事務所に居り、壁には必ずアメリカ製の時計がかけられていること、そして人々が皆親切であることなどを考えると、30年前には中国を旅するよりも危険だったとは想像しがたい。