新しい自転車
1962年頃、父に丸石の自転車を買ってもらった。 3段ギャーのブルーのスポーツ車であった。 はじめのうちは毎日のように油をつけては磨いていた。そして、家の周辺を乗り回していた。ある日、意地悪な生徒が「あいつはいい自転車を買ってもらったので、みんなに見せびらかしをしているのだ」と言いふらしていた。
ある晴れた日曜日、仲の良い木村泰久君と茅ヶ崎の十間坂の自宅から小出方面へサイクリングに出かけた。最初は、なにも異常なく、軽快に走っていたが、甘沼の坂を登ったあたりから、ガツガツと、急に後輪が重くなった。新しい自転車での初めての遠出であったのにこのありさまである。まったく涙が出るような思いであった。ちょうどその近くに自転車屋があったので、店主に見てもらうことにした「後輪の車軸のナットがゆるんでいるだけだ」と言って、モンキースパナで簡単に直してしまった。新品の自転車なのでナットのゆるみがあったのである。
そしてその日は、家に帰っても、丹念にそのようなゆるみがないか調べた。
その後、この丸石のスポーツ車で初めての長距離サイクリングに出かけた。やはり同行は木村君だ。行先は小田原城であった。馬入川を越え、平塚から大磯・二宮と走り、国府津の海岸沿いの石材店に来た時、広い国府津海岸が目の前に現れた。ここで一休み。当時はまだ国府津駅前の国道1号線沿いには看板建築の商店が多く残っていて、大川輪業や石田サイクを左に見ながら酒匂川方面に向かった。そして小田原市内に入り、目指す小田原城へ。
小田原城の天守に上り、ここから360度の景色を眺めていたら汗もひき、疲れも和らいだ気分になった。
しかし、それから数年するうちに、この自転車もだいぶあちこちにサビが出はじめ、あまり手入れもしなくなった。何回かパンクもした。時には フラットバーのハンドルを逆につけたりして乗っていた。
その後、ブロック塀に正面衝突する事故を起こし、フロントホークが曲がりダウンチューブにくっついてしまった。ハンドルも思うように動かなくなった。自分で叩いて戻そうとしたが、直らないでかえって塗装が剥がれるばかりであった。とうとう自転車店に持ち込み修理してもらい、また乗れるようになったが、この自転車にも飽きてしまった。雨ざらしでも平気になった。そのうちあちこちが錆びだらけになり、とうとう廃車にしてしまった。
いまでは、懐かしい思い出になっている。