2025年6月2日月曜日

スティーブンスの日本旅行記-㉓

 スティーブンスの日本旅行記-㉓

筋肉質の男性は常に力士の階級に数えられてきた。この排他性と身体的に劣る者との混血から、彼らはまるで別の人種であるかのように、同胞とは明確に区別される一群の人々である。日本のレスラーは同胞の平均よりも頭一つ分高く、体重も重い。彼らは一群として、時折提唱されてきたマルサスの計画によって人類の身体的改良において何が達成され得るかを示す興味深い例となっている。

12フィートの土俵で、屈強な力士たちが勝負し、持てる力と技のすべてを注ぎ込む。「競馬」のような競技ではない。裸一貫の力士たちは、褐色の体に不規則な塊となって突き出た筋肉を前に、互いに体当たりする。侍の紋章をあしらった、きりっとした威厳のある灰色の衣装をまとった行司が傍らに立ち、高位の地位を示すバイオリン型の漆塗りの軍配を振りかざし、威厳に満ちた声で命令や勝敗を下す。

力士は土俵の周りでしゃがみ込み、寒さに震えながら、行司に呼ばれるまでじっと座っている。行司に呼ばれた二人の力士は、柱に吊るされた塩籠から塩を一掴み取り、互いにまく。それから土俵に進み出て、さらに素足で地面を踏み鳴らし、その優れた筋力を見せつけるように、相手に対峙する。軍配を振るう行司が再び号令をかけると、力士たちは激しく突進し、「掴み合い」の相撲を始める。30秒も経たないうちに、たいていどちらかが決定的な勝利を収める。行司は力士たちを土俵からさげ、姿勢を正し、いかにも偉そうな顔つきで、観客に勝者の名前を告げる。

東海道で唯一ダルマ自転車が通行できない区間は、箱根峠として知られる三島から始まる。この峠は、16マイルにわたって険しい岩石を敷き詰めた道が続く。三島の人足は、かご(日本の駕籠)で荷物や乗客を運ぶことで生計を立てている。ダルマ自転車を運ぶ男を数人雇い、肌寒い天候は、かごに乗るよりも徒歩で彼らの後を追うことにした。道幅は広い。馬車を通すのに十分な広さで、軍用の輸送用に建設されたに違いない。長く急な斜面は、人馬の履き古した草鞋で文字通り絨毯のように覆われている。

箱根峠の高台から眺める景色は、まさに息を呑むほど美しく、雄大な富士山の白い頂が、まるで支配するように、辺りを見下ろしている。山中の集落の近くには、「富士見平」(富士を眺める台地)と呼ばれる有名な場所がある。箱根の集落と湖へと続く南斜面の広い石畳の道は、大きなスギの木陰に覆われている。

箱根は大変美しく興味深い地域で、今日では東京や横浜に住むヨーロッパ人たちのお気に入りの避暑地となっている。横浜から芦ノ湖まではわずか80キロほどで、人力車と籠を使えば一日で行くことができる。この芦ノ湖は実に魅力的な小さな湖で、まるで山の宝石のようである。澄み切った水晶のような深みに、周囲の松に覆われた斜面が映し出され、まるで鏡のようである。日本神話は、辺り一面が険しい藪と道なき森に覆われていた初期の日本において、この地域を超自然的な存在で満たしていた。1868年の明治維新でこうした古い封建的な慣習が容赦なく消滅するまで、この地の東海道は「関所」の一つで遮断され、通行手形がなければ誰もそこを通ることはできなかった。これらの関所は封建領地の境界に設置されており、通常は旅人が他に選択肢のない地点に設置されている。

箱根の村から東海道沿いに、見事な杉並木が少しの間、日陰を作っている。左手には、当時の天皇の進歩的で啓蒙的な政策を雄弁に物語る壮麗で近代的な外観の建物の一つ、大きな政府の保養所(箱根離宮)がある。道はその後、突き抜けるような竹林に縁取られた急峻な山の斜面を登っていく。ここから見える富士山は、壮大で不思議な光景だ。風が強まり、円錐形の山頂は吹き荒れる雪煙にほとんど隠れている。遠くから見ると、まるで火山の噴火の蒸気と見間違えるかもしれない。すぐそばでは、風の精霊が竹の枝の間を吹き抜け、霜が乾いた旗をこすり合わせるように、独特なカサカサという音を立てている。山の精霊のささやきである。


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箱根宿 明治期
箱根町立郷土資料館所蔵

箱根杉並木と籠
国際日本文化研究センターDB

箱根離宮
神奈川県立恩賜箱根公園所蔵