スティーブンスの日本旅行記-㉒
この驚くべき山は日本最高峰であり、現存する円錐山の中でもおそらく最も優れた例と言えるだろう。各地に伝わる伝説は、この山をロマンティックな光彩で包み込んでいる。その起源は京都近郊の琵琶湖の形成と同時期とされ、山と湖は一夜にして形成された。一方は標高12800フィート(現在は3775メートル56センチ)も平地から隆起し、もう一方は海面まで沈下した。
富士山頂は、涅槃(静寂)を求めて山頂に登頂した日本の仏教徒や役行者に倣い、「完全なる平安」を得ようと願う日本の修行僧たちの巡礼地である。正統派の日本では、巡礼者の草鞋から落ちた砂粒が、夜の間に自らの力で再び山頂へと昇っていくと信じられている。
さらに、伝承によれば、六十五日目の数時間、山から雪が完全に消え、翌夜から再び降り始めると信じられている。かつて活火山であった富士山は、今も山頂付近のあちこちの割れ目から蒸気を噴き出しており、いつの日か吉原や近隣の村々の善良な人々に、その力強い感覚を鮮やかに感じさせることだろう。富士山は日本人にとって特別な誇りであり、その美しさは国民的な風景美意識に強く訴えかけている。日本の詩人は富士山についてこう歌っている。
「天にそびえる大伏山よ!汝は人間に与えられた宝であり、日本を見守る守護神である。汝を永遠に私の眼福とさせ給え!」
富士山を過ぎ去り、吉原から16マイルほど進むと、今夜の目的地である三島に到着する。ここでは「山全般」の神である大山祇神(おおやまつみのかみ)を祀る祭りが開かれている。なんと今日は11月15日、「酉の日」で、年に数回行われる大山祇神を祀る祭りの一つなのだ。広い境内は人で溢れ、行商人、香具師、曲芸師、そしてあらゆる種類の催し物が、まるで田舎の縁日のような様相を呈している。
ダルマ自転車を外に置いて、人混みの中をぶらぶらと歩き回る。歩道の両側にある聖なる池には、聖なる魚(鯉)が群がっている。ある老婦人が、お麩をこぢんまりと売って大儲けしている。人々はそれを買って魚に投げ、魚が群がって食べる様子を楽しむのだ。興味を持ったグループも集まっている。
ヤンキーの「街頭商人」の真似事で、騙されやすい村人たちに「銀でコーティングする」ための小さな箱入りの粉(おしろい)を売っている。また、歌集を売っている者もいる。四人組の可愛い少女たちが次々と歌を歌い、斬新で興味深いパフォーマンスで客を惹きつけている。さらに、遠く離れた国の有名な寺院や名所の写真を載せた、小さな巡回覗き見ショーもある。
この社には様々な祠があり、その中には、かつて木こりとして働き、その給料を老いた父のために酒代に費やしていた男を祀る祠がある。父はもはや自分で酒を買うお金を稼げなくなっていた。父の死後、息子は孝行の報いとして「純米酒の滝」を発見した。
この行事のために、華やかに飾られた山車と、古い弾薬運搬車によく似た密閉式の荷車が囲いから運び出されている。小さな鈴の列がぶら下がっており、母親たちは子供たちを抱き上げて鈴を鳴らさせ、賽銭箱に小銭を投げ入れて通り過ぎる。おそらく、これらの山車には神々の聖遺物が積まれているのだろう。
赤く塗られた木馬が、馬小屋の木の柵の向こうに、荘厳で寂しげな様子で佇んでいる。しかし、私は日本の社寺とその付属物に、ほとんど異議を立てたいほどだ。目に映るもののほとんどがあまりにも不可解なのだ。日本神話の神秘を探求した者なら、大山津見神を訪れてきっと大きな満足感を得られるだろうが、平均的な読者は他の社寺を見ただけで、すっかり飽きてしまうだろう。猿虎蛇(さるとらへび)のような恐ろしい神話上の怪物や、台輪の「二十四孝」は、一般人にとって何を意味するのだろうか?しかし、日本の社寺はすべて、こうした装飾で彩られている。芸術作品として称賛に値するものもいくつかあるが、そのほとんどは、醜悪な絵や表現である。
宿の近くの通りの向こうに粗末な囲いの中で、12人の力士が入場料2セントを払った大勢の観客を相手に興行を披露している。日本の力士は、同じ職業の娘以外との結婚を禁じる長年の慣習によって、一般社会から隔離された独自の階級、あるいは身分をなしている。より多くの人が力士として参加している。