2025年6月17日火曜日

スティーブンスの日本旅行記 パート2-6

スティーブンスの日本旅行記 パート2-6

牛津のメインストリートを通り過ぎ、一番いい宿屋を探していたら、中年の女性が「もしもし!ワンチの部屋?ワンチのチャウチャウ?」と声をかけてきた。彼女の母親が宿屋を経営しているそうで、道すがらずっとピジョンイングリッシュ(中国語訛り)で陽気におしゃべりしながら案内してくれた。彼女は片言の英語を披露する機会にとても喜んでいるようで、上海でイギリス人の家庭に数年間住んでいた時に覚えたのだと言う。彼女の名前はオハナ(お花)だが、イギリス人の友人たちは接頭辞なしでハナと呼んでいたそうだ。経験から私が夕食に何を求めているかを知っている彼女は、手際よく美味しい魚、たっぷりの嬉野茶、砂糖、菓子パン、薄切りのポモロを用意してくれた。これとご飯が、牛津の現在のグルメの限界だった。

翌朝は白い霜が降り、道は平坦で快適だった。宿屋の人たちは、この季節にふさわしい、しっかりとした朝食が用意されているのを見て満足していた。ブーツはきれいに磨かれていた。雑巾で拭かれ、オハナはピジョンイングリッシュで「靴ブラシと靴墨がないことを詫びる。”Brusi no have got”と言った。

中国とは対照的に、ここでは「カントニエ(道路人足)」の集団が道路の清掃にあたる。大きな白い「ブルズアイ」のついた青い制服を着た男たちや、天上の友であるヤメニ・ランナーのような人物たちだ。学校へ向かう子供たちの集団が、本やソロバンを脇に抱えて道路を行き交う。彼らは時折、道路脇に列をなし、私が通り過ぎると、一斉に膝まで頭を下げて「オ・ア・ロ」(おはよう)と丁寧に挨拶する。

この辺りの土地は豊かで人口も多く、人々は裕福そうに見える。茶屋、農家、そして小さな稲わらでさえ、芸術的な効果を狙って建てられているようだ。西洋の改良された機械が徐々に浸透してきているのがここでもわかる。今朝、ヨーロッパを出て以来、初めて両手持ちの鋤を目にした。しかしその横では、先祖伝来のような日本の農具を使う男たちがいる。男女ともに上半身裸で、杵で臼搗き、米を脱穀している。しかし、賢明な日本人が古くて不器用な方法をすべて捨て去り、西洋の最新の農業改良を自国に導入するのは、ほんの数年だろう。


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牛津駅
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牛津駅前
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