2021年7月7日水曜日

達磨自転車の呼称

 達磨自転車の呼称

日本ではペニー・ファージング(penny-farthing)或いはオーディナリー( Ordinary Bicycle)のことを一般的には達磨自転車と呼んでいるが、諸外国ではどのように呼ばれているのか、この程、The League of Ordinary Riders ( International Penny Farthing Group)

のFacebookに以下のような投稿があった。

I was thinking of upgrading the about section and I was looking at what our amazing bicycles are called around the world. If you have any additions, or amendments, please post them below.

イギリス English : Penny Farthing / Ordinary Bicycle

アメリカ American English : Highwheeler / Highwheel Bicycle / Ordinary

フランス French: Grand-bi 

ドイツ German: Hochrad

オランダ Dutch: Hoge Bi、 hoogwieler.

フィンランド Finnish: velosipedi‎ 

スペイン Spanish: velocípedo‎ 

スウェーデン Swedish: höghjuling

中国 Chinese: 大小轮脚踏车‎, 古董自行车‎ 

ポーランド Polish: bicykl‎

ロシア Russian: костотря́с‎  

日本 Japanese: だるま自転車

チェコ Czech: Vysoké kolo

ノルウェー Norwegian: Veltepetter

ハンガリー Hungary: velocipéd

デンマーク Danish: Væltepeter

 その他、「追加や修正がある場合は、投稿してください」

とある。

達磨自転車 明治24年
江戸東京博物館所蔵

2021年7月6日火曜日

西蔵と自轉車

 西蔵と自轉車

先日、青木文教の『西蔵遊記 秘密之国』内外出版、1920年(大正9)を読んでいたら、自轉車という文字が目に留まった。

その182頁に、

・・・昔から車の交通がないところで、往来は歩行でなければ馬か騾馬を用ふる。
最近漸く数台の自転車と驢馬車が貨物を運搬して居るのを見るばかりである。其上何れの街路もひどい凸凹で、雨季になると泥濘と溜り水に満ち、乗馬でなければとても通行できない。

とあり、チベットでの自転車利用の実態を読み取ることが出来る。因みにGoogleストリートビューで最近の様子を見ようとしたら、中国国内同様見ることが出来なかった。当然かもしれない。
青木文教がチベットに滞在したのは1912年(大正元)から1915年(大正4)で、その間に自転車を目撃している。チベットに最初に自転車が持ち込まれたのか定かではないがいずれにしてもその気候風土地形から言って、かなり遅かったのではないかと推察する。この記事が一つの目安になるのかもしれない。

『西蔵遊記 秘密之国』 182頁
内外出版、1920年(大正9)
国会図書館所蔵資料

『西蔵遊記 秘密之国』
国会図書館所蔵資料

拉薩(ラサ)のポタラ宮殿
『西蔵遊記 秘密之国』 213頁
国会図書館所蔵資料

クンバカルナ 標高7.710m
『西蔵遊記 秘密之国』 69頁
国会図書館所蔵資料

2021年7月5日月曜日

老舗さんぽ㊷

 老舗さんぽ㊷

昨日の続きである。丁度ブログをアップした後にS氏からMessengerで大沢選手に関する資料が届いた。

それによると、
1、何故、大沢選手は自転車競技を始めるようになったのか?
2、何故、メルボルン・オリンピック大会の個人ロードレースに於いて棄権したのか?
3、何故、その後サイクル・スポーツの世界から身を引いたのか?
4、その後の消息は?
5、どうしていままで出宮選手や大宮選手よりも知名度が希薄なのか?
6、岩内町の何処の自転車店を主に利用していたのか?

その辺のことについて朧気ながら少し分かってきた。

まずこの資料であるが、著作権等の関係からどこまで公開してよいのか悩む。何れは公開しても良いのではと思っているが、ここでは触れないことにする。

1、大沢鉄男さんは昭和10年に北海道岩内町に生まれ、炭焼き農家の次男であった。中学校の通学には父親の黒塗り実用車で約10キロの道のりを毎日その自転車で通った。余談だが私も自転車に初めて乗ったのは小学2年の時で、やはり父の黒塗りの実用車であった。当然背丈が小さいので三角乗りであった。近くの子供は誰もがその乗り方で覚えた。唯一、近所にいた医者の息子だけが子供用の自転車を持っていた。
おそらく大沢さんも小さい頃はそのような乗り方で覚えたはずである。
この毎日の通学10キロの道のりが、彼の足腰を鍛えたはずで、その素質とともに自転車競技選手としての萌芽が出てきたはずである。
昭和10年の生まれとあるが、私が調べたところでは昭和11年である。どちらが正しいのか戸籍を確認していないので断定できない。
そして、誰が自転車競技選手の資質を見出し伸ばしたかというと、この資料では岩内町で当時自転車店を営業していた河野さんという店主であった。昨日のブログにも載せた河野商会 (代表 河野 隆幸  岩内町大浜17-7)を思い出す。おそらくその河野さんは初代の店主ではないかと推定する。名前は今のところ調査していないので分からない。
この河野さんの指導と薦めもあってに岩内町の運動会で開催された「自転車の遠乗り競争」に出場し中学生ながら見事2着でゴールしたのである。いままで無名であった大沢少年が一躍町内で知られるようになったのである。その後も河野さんの指導で国体にも出場すようになり、昭和29年の北海道国体レースでは9位になっている。このように徐々にその頭角を現してきたのである。
その後に行われたメルボルン・オリンピック日本代表選手選考会(立川競輪場)でも快勝し、ついに1956年の五輪出場のたった1枚の切符を手にしたのである。

2、メルボルン・オリンピック大会の個人ロードレースに於いて棄権、とあるが其の状況はどうであったのか、この資料から見えてきたのは、サポート体制の欠如などであったことが読み取れる。スタートから35キロ地点で運悪く落車、本来ならばすぐにサポートカーが来て素早く自転車を交換して再スタートをするのであるが、まったくそのようなサーポートは得られなかったのである。これが当時の日本の実情を物語っていると言える。自転車競技は北沢監督と大沢選手の二人だけで挑戦したオリンピックのようでもある。不運と言うよりも欠陥だらけの組織体制であったことが分かる。日本では今でも自転車はマイナーなスポーツと言われ、野球やサッカーなどと比べ極めて人気はない。そのようでは強い選手はなかなか輩出してこない。

3、帰国すると昨今と同じようにメダリストだけが優遇され、それ以外は冷たい視線が待っている。それでなくとも本人は落ち込んでいるのである。例えその敗因がサポート体制の不備や欠陥であったとしてもである。本当に選手は気の毒である。

4、その後は片倉自転車工業も辞めたようで、資料によると札幌で自転車以外の仕事をはじめたとある。自転車界から完全に退いたような印象も受けるが、本当にそうであろうか。

5、私は決して知名度が薄いとは考えていない。なぜならメルボルン・オリンピック出場やその後のアジア大会やローマ・オリンピックでも活躍している。当時の一流選手であったことは間違いない。本来ならこのような苦労人選手が監督やコーチ或いは組織委員会に残り後進の指導をすべきであると思う。選手の悩みが一番わかっているはずである。

6、大沢さんの行きつけの自転車店は河野商会であったことが分かった。そしてその店主からいろいろなアドバイスやら支援を受けたのである。下にその店の写真を載せる。
 
河野商会
Googleストリートビューより

2021年7月4日日曜日

老舗さんぽ㊶

 老舗さんぽ㊶

昨日、知人からMessengerで電話があり、その会話の中で北海道の江差、岩内などの話になった。そして、昭和30年代に活躍した大沢鉄男選手(1936年11月14日生まれ)のことも話題になった。私は正直あまり大沢選手に付いては名前ぐらいで詳しい来歴などはさっぱりわからなかった。知人のS氏によると大沢選手は北海道の岩内町出身で、当時地元や道内でのレースで活躍し徐々に有力な自転車競技選手としての頭角を現してきたという。

その来歴を少し見ると、
1956年、メルボルン・オリンピック大会に出場。
監督:北沢 清
大沢鉄男(自営業)
男子1000mタイムトライアル:12位(1分12秒03)
男子187.73km個人ロードレース:途中棄権
(その後、片倉自転車工業に入社)

1958年、東京アジア大会に出場。
1000mタイムトライアル優勝(1分14秒8)

1960年、ローマ・オリンピック大会に出場。
監督:林譲四郎
大宮政志(日立)
男子175.38km個人ロード・レース:途中失格
大沢鉄男(片倉自転車)男子1000mタイム・トライアル:19位(1分11秒86)
男子4000m団体追抜競走:10位(4分53秒87)
大沢鉄男・久保村寛(前橋商)・斎藤勝也(中京大)・高貫亘弘(法大)

など、
日本を代表する一流選手であったことが分かる。

そのようなことで、今回は岩内の自転車店の老舗を尋ねることにした。尋ねるといってもいつものGoogleストリートビューよる散歩である。

 昭和12年版の全国輪界興信名鑑によると、岩内では12軒の自転車店があったことが分かる。

現在は、北海道自転車軽自動車商業協同組合の名簿によると以下の4店舗になっている。 
岩内町
 ●河野商会 TSマーク  代表 河野 隆幸  岩内町大浜17-7
 ●菅原商会 TSマーク 代表 菅原 繁弥  岩内町字大浜3-20
 ●佐藤自転車商会 TSマーク 代表 佐藤 赳夫  岩内町栄4-3
 ●石見サイクル TSマーク 代表 石見 正博  岩内町字御崎2-20

このうちどうやら佐藤自転車店が今でも続いているようであるが、ただ佐藤という名前は全国的に多いので必ずしも同じ店であるか確証はない。当時の住所はその後の町名変更でかわっているからなおさらである。
昭和18年2月1日 町内字名改正。(岩内町公式HP)
「旧字名」 稲穂崎町、三島町、堀江町、吹上町、橘町、御鉾内町、鷹台町
「新字名」 御崎、大和、清住、万代、大浜、高台、栄、東山、相生、宮園

昭和12年では、岩内町鷹台畑四 佐藤賢治 となっている。
北海道自転車軽自動車商業協同組合名簿の佐藤自転車商会は、 岩内町栄4-3 である。

昭和11年生まれの大沢選手が岩内町にどのくらい居たのか分からないが、少なくとも昭和31年のメルボルン・オリンピック大会前の20年間の内には居たはずで、岩内町鷹台畑四の佐藤自転車店にも足を運んだと推量できる。行かないまでも何度もその店の前を自転車で通ったはずであることは間違いない。

昭和12年版 全国輪界興信名鑑
国会図書館所蔵資料

佐藤自転車商会
Googleストリートビューより

2021年7月3日土曜日

昭和初期の写真⑤

 昭和初期の写真⑤

今回も昭和初期の写真、全国製造卸商名鑑 昭和10年度版 日本輪界新聞社より

①②、越川商会、東京下谷区入谷町拾弐番地(現、台東区)
各種オートバイ販売修繕、中古車売買交換致します、中古単車三輪車在庫豊富、付属品並びに部分品の準備、

などとある。

①の写真を見ると人物は5人、左端が店長か、オートバイがずらりと10台ほど並んでいる。建物はモダンだがモルタルの看板建築のようである。オートバイの販売修理などが主流のようでどうやら自転車は取扱っていないようである。因みにこの年度の前後の自転車商名鑑も調べたが、越川の名前は見当たらなかった。そうなると最初からオートバイの販売からスタートしたのであろうか。
現在の状況も住所や店名から調べてみたが見当たらなかった。
③参考までにその付近にある郵便局を載せる。

越川商会

②ページ全体
全国製造卸商名鑑 昭和10年度版
 日本輪界新聞社
国会図書館所蔵資料

③台東入谷郵便局
Googleストリートビューより

2021年7月2日金曜日

昭和初期の写真④

 昭和初期の写真④

この下の写真はかなり不鮮明で而も小さい。やはり同じく北海道・樺太輪界興信銘鑑(昭和10年度版)の広告にあった写真を切り取ったものである。

①齋藤商店、
明治40年創業、自動車・オートバイ・自転車 中古車の売買
各種著名自転車 附属品及びリヤカー商 齋藤健吾商店 札幌市南一東一創成川沿
とある。

不鮮明な写真を見ると、人物は10人ほど、自転車も10台ほどあるのが分かる。中央やや右寄りはオートバイかオート三輪か、いずれにしても不鮮明で分かりにくい。

②はページ全体である。最近の様子を調べてみると、齋藤商店は見当たらない、この辺りは札幌でも中心街であることが分かる③のGoogleストリートビューを参照。
左はさっぽろテレビ塔 、右側に創成川が流れている。

齋藤商店

②このページ全体 370頁
北海道・樺太輪界興信銘鑑
(昭和10年度版)
国会図書館所蔵資料

③創成川通り
Googleストリートビューより

2021年7月1日木曜日

昭和初期の写真③

  昭和初期の写真③

また下の写真は北海道・樺太輪界興信銘鑑(昭和10年度版)の広告にあった写真を切り取ったものである。

軒上の看板に大書された「岩崎自轉車本店」が目を引く。

①子供を含め人物は9人、自転車はずらりと20台以上並ぶ、店に在庫する全部の自転車を並べた様な景観である。一番左にあるのは自動自転車であろうか、不鮮明で良く分からないがタイヤが太い。左端の幟には「東京 山口の自轉車 特約店」などと書いてある。

看板にあるアトラス号はどこの銘柄か、確か丸石商会にそのような銘柄があったような気もするが。

②は全体のページである。

2ページにわたって広告を出している。手広く商いをしていたことが分かる。それとも同じ岩崎商会だが別の商店なのか、並べて載せているところをみると何らかの関係があると推量する。

右ページには、プレス號、マルワイ號、マルワイ経済車、販売
山口自轉車工場、帝国自轉車株式会社、川澄自轉車製作、安達商会 代理店
卸小売 岩崎商会本店 店主 岩崎岩三郎 北海道江差町姥神町

などとある。(左の広告は省略)

③④は現在の様子、

㈲岩崎商会本店 北海道檜山郡江差町姥神町

をGoogleストリートビューで散歩してみると、この界隈の雰囲気は当時の文化が残されているような街並みが続く、江戸時代はニシンの漁港として、また北前船の交易港で繁栄を極めた土地柄らで、いまもその風情が漂っている。

③を見ると一見、自転車店の風ではないが、なんとなく旧店舗の面影を感じる。軒上に大きな看板を掲げれば同じに見える気もする。店内には自転車も微かに見えている。確かに現在も営業を続けている。また道路の反対側には④自転車の資料館か博物館のような倉風の建物もある。よく見ると2階の窓の内にはダルマ自転車のようなものがある。1階も室内に自転車が多数置いてあることがわかる。この建物の左隣は江差郵便局で、この界隈は江差町の中心街であることが分かる。

①店舗前

②346、347頁
北海道・樺太輪界興信銘鑑
(昭和10年度版)
国会図書館所蔵資料

③現在のようす
Googleストリートビューより

④道路の反対側
Googleストリートビューより