2021年7月19日月曜日

ダルマ自転車で大旅行

 ダルマ自転車で大旅行

下の資料は先日に知人からいただいたもので、その一部を以下に抜粋する。

既にこの記事にある森村組の七代目当主森村市左衛門(森村開作、1873-1962)については何度かこのブログでも触れている。

参考までに明治34年10月28日発行「輪友」第1号の記事も一番下に載せたのでこの記事と比較して見て欲しい。これは同じ時のダルマ自転車による旅行譚である。

ダルマ自転車で東海道を大旅行

 お邸は芝車町の電車通り、むかし、ここに牛車の問屋があったので、車町という町名がつけられたのだというが、そんな昔話を思い出させるような塀、古びた門構えの家である。
 森村翁は明治六年の生れ。明治十四年にはじめて輸入された自転車を父上が買われ、小学生のころから親しんだのが、自転車に乗るようになったきっかけだという、もっともその頃の自転車は三輪車。大きな前輪が二輪、後輪は小さいのが一つで、もちろんチェンはないし、サドルは板の上にふとんをしいたといった風なものであった。
 ご自身で乗り始めたのは明治二十一年、十六のとき木製の二輪車でけいこをし、うまくなってから、いわゆる”ダルマ”と呼ばれる車で、学校通いをはじめた。
 「土曜日午後、三田の家から、大磯の親類の家まで自転車ででかけたものです。箱根の湯本あたりにも行った。半日ぐらいかかったかな。いまの自転車とはまるっきりちがいチェンのない背の高い車なので、押しながらかけていってとびのるわけですな」
 アメリカ製のなンとかいう車で銀座のナカジマとかナカムラとかいう店で買ったものだが、六年間乗っていてアメリカに洋行するときに売ってしまった。「惜しいことをしたものですナ、あんなのはいま残っていないでしょうかナ」
 森村老をサイクリスト・プロフィルの第一回にとり上げたのは、しかし、こうした古い自転車に乗った経験のためばかりではない。そんじょそこらのかけだしサイクリストの遠く及にない大旅行を、この旧式自転車で敢行したという輝かしい経歴のためである。
 「神戸まで行こうと思いましてナ、二十才のとき、神奈川まで行きましたら、雨が降ってきまして、どうにもぐしょぬれになってしまったんで、藤沢の駅前の掛茶屋の前で休ませてもらって、かわかしてますと、あの頃の汽車というのはのんびりしたもんで、汽車が駅に着く五分前に、ガランガランと鐘を鳴らすんですわ、丁度名古屋行きの汽車が来たもんで、自転車を荷物車の方に積んでもらいましてな、その晩は名古屋に泊っちまいましたー」
 それから四日市をまわり、鈴鹿峠を越えて京都へ入った。「いやあの鈴鹿は大へんでした。自転車を押して上りましたナ」
 「土地ではみなれない車なんで停まると子供達がわっと寄ってきました。前に一度西洋人が通ったことがあるといっていましたから、はじめて自転車で鈴鹿を越えたというわけではないようですな」しかし日本人でははじめてではないですかときいたら、「さおどうでしょうかな」と謙遜された。
 帰りは神戸から伊勢、山田で一泊して、鳴海、三島、箱根を越えて東京までその間八日間
雨のため一日休んだから、神戸ー東京正味七日間というソロバンになるから、三段変速機はおろかチェンもない車でのこのこ走って行ったと考えるといささか、啞然たらざるを得ない。
 行程で困ったことは?「着替えもなにも持たず手拭に歯ブラシといった軽装でしたが、別に困ったことはなかったですナ、いや、困ったことといったら、犬が珍しがって吠えてくるので、これは怖いので棒切れで追いながら走りましたよ」(森村市左衛門、慶応義塾大学理事、森村学園園長)

①46頁
サイクリング誌 9月号 創刊号
1957年発行

②表紙
資料提供:渋谷良二氏


明治34年10月28日発行「輪友」第1号 10、11頁
 日本に於ける自轉車の沿革より

・・・長距離の旅行をしたのは明治二十六年の五月だったさうです。自轉車は例の高いやつで、米国シカゴ、ゴマリー、アンド、ヂャフリー会社製で、今日なら古物展覧会へでも出るやうな品であったそうです。それで明治二十六年の五月十日に、高輪の八ッ山下を發して藤沢まで行ったそうですが、雨の降るのでやむを得ず汽車に乗って、名古屋まで往き、十三日に名古屋を發して大山に泊り、十四日に石山寺で開帳などを見物して居つた所が、友人に出會ったのでそれから汽車に乗って京都に往くことにした。是は皆な自轉車旅行というよりは寧ろ汽車旅行でありました。併ながら帰りは殆どぶっとうしに自轉車旅行をされたので、五月二十三日に神戸を発し、其の晩は京都に泊り、翌二十四日に京都を發して参宮街道の木樟駅(樟葉駅?)に泊り、廿五日には雨天であったので一行は各々番傘をさしかざいして乘りながら、伊勢の内宮外宮を見物して二見ヶ浦に泊り、二十六日は暴風雨で早朝出發するここが出來ず、午後小降りになるのを待って漸く出發、二里あまりで宮川に出た所が川止であったので、已むを得ず其の處に泊り、二十七日は快晴なので朝六時半に出發して、夕の六時四十分に , 鳴海について其の處に一泊、二十八日は浜松、二十九日は興津、三十日は函根の湯本に泊った。函根を上下するの時、何しろ例の高い一輪半でありますから、それを持ち運ぶのに非常に困難を極めたそうで、三十一日に湯本を發し、江の島で昼食をして、東京に帰られたそうです。

森村開作
自転車は Gormully & Jeffery

2021年7月18日日曜日

自転車関係資料㉘

 自転車関係資料㉘

下の資料は日本が万国郵便連合(UPU)に加盟して25周年を迎えたときの記念絵葉書である。

日本は1877年(明治10年)6月1日に万国郵便連合に加盟している。
一時、太平洋戦争中に脱退していたが、1948年(昭和23年)6月1日に再加盟している。

下の写真のキャプションには「東京郵便電信局舎と郵便発着口」とある。
電報配達員の自転車と郵便馬車が写っている。
使用されている自転車は米国製のウルフ、ウエストフィールド、デートンなどであった。

万国郵便はフランス語が公用語と定められているから、この葉書でもフランス語で同じ内容が併記されている。

万国郵便連合加盟25周年記念絵葉書
1902年(明治35)発行

2021年7月17日土曜日

昭和初期の写真⑦

 昭和初期の写真⑦

下の写真は昭和10年発行の全国製造卸商名鑑、不二商会の広告である。

不二商会は、フレーム、ラグ、その他の小物、組立材料一式
営業所 東京市下谷区入谷町
工場 尾竹橋工場 東京市荒川区町屋三ノ一二五五

とある。
店の外観を見るかぎりかなり繁盛していたことが伺える。極めて不鮮明だが人物も15人ほどが勢揃いしている。従業員と家族であろう。自転車も10台ほど並んでいる。建物もモダンな看板建築のようだ。

入谷町といえば以前このブログで紹介した越川商会(東京下谷区入谷町拾弐番地、現在は台東区)に近い。

③昭和4年度の輪界興信名鑑には製造業の部、ラグ小物として下谷町六九で載っている。

①不二商会の店舗前

②広告の全体
昭和10年発行 全国製造卸商名鑑
国会図書館所蔵資料

③輪界興信名鑑 昭和4年度 東部日本 15頁
国会図書館所蔵資料

2021年7月16日金曜日

老舗さんぽ㊹

 老舗さんぽ㊹

今回の「老舗さんぽ」は自転車店ではない。小田原の老舗である「江嶋」である。

「江嶋」は江戸時代の寛文元年(1661年)の創業で、日本茶と和紙の専門店である。初代の江嶋権兵衛は箱根関所の役人だったという。現在の当主は十七代目の江島 賢さん、2021年で創業360年を迎えた。

①写真の建物は関東大震災により以前の店舗が倒壊し、その後十五代目にあたる江嶋平八が2年の歳月をかけて昭和2年に再建したもの。

この写真をよく見ると店の両端にそれぞれ自転車が2台置いてある。この自転車には荷台も後輪の両立スタンドも付いている。ブレーキはロッド式で後ろはまだバンドブレーキではないはずである。トップチューブには店の看板も下げられている。

③は現在の店舗、平成31年にリフォームしているが、外観は殆どそのままである。

①昭和2年に再建 昭和4年撮影

②店内にあったパンフレット

③現在の店舗

④店内の上に掛けてある螺鈿の大きな看板
株式会社 江島平八商店
と書いてある

2021年7月15日木曜日

ローマ・オリンピック

 ローマ・オリンピック

昨日、知人から1960年のローマ・オリンピックに出場した自転車競技選手の大沢、大宮、斎藤の各選手の写真と記事が届いた。

この記事は、1960年10月発行の「サイクル」誌で、ローマから帰国したばかりの3選手に編集部が取材。帰国したのは、9月16日で、記事の内容は座談会形式でローマ大会での土産話しを東京・本郷の清水旅館で3氏が語っている。

①この三人の写真を見るとどうやら大沢選手が兄貴分的存在であったことが伺える。大宮、斎藤選手は新進気鋭といったところであろうか。

③は「サイクル」誌の表紙で、4000m団体追抜で活躍した齋藤勝也選手。

④は、「サイクル」誌の同じ号にあった写真。平塚競輪場のバンクを疾走する大沢鉄男選手。この写真のキャプションには、
1000m独走、数少ない競技者の中にあって代表的な存在の大沢選手のラストスパート、1958年7月25日、第12回関東選手権(平塚)

とある。1000m独走とは、1000メートル・タイムトライアルのこと。

①東京本郷の清水旅館にて
左から斎藤、大沢、大宮の各選手
資料提供:渋谷良二氏(以下同じ)

②42、43頁

③「サイクル」誌の表紙
1960年10月号
第8巻第10号 通巻89号
サイクル時報社発行

④1000メートル・タイムトライアル
平塚競輪場のトラックを疾走する大沢鉄男選手
 

●3氏のローマ・オリンピック(Result)
大沢鉄男 1000mタイムトライアル 19位(1分11秒86)、4000m団体追抜 10位
大宮政志 個人ロードレース、194.832km 途中失格
斎藤勝也 4000m団体追抜 10位

以下は当時の日本選手権個人追抜の優勝者(同「サイクル」誌より)
大沢選手は個人追抜でも活躍していたこのが分かる。
 
日本選手権個人追抜      
1958年  全プロ選手権 小倉 ○中野泰満(三重) 
全日本アマ選手権 立川 ○大沢鉄男(東京)

1959年 全プロ選手権 名古屋 ○田中 繁(青森)
全日本アマ選手権  大垣 ○大沢鉄男(東京) 

1960年 全プロ選手権 広島 ○中野 泰満(三重)

2021年7月14日水曜日

自転車関係資料㉗

自転車関係資料㉗

この資料は科学雑誌「自然」1947年3月号の一部である。

三菱十字号に関する数少ない資料の一つ。

このコピー資料は平成4年5月15日に自転車技術史研究家の梶原利夫氏が、村田さん(財、自転車産業振興協会、元生産技術部長の村田兼房氏)から入手したもので、それを私にお裾分け的に梶原氏より頂戴したものである。

タイトルは「自転車の強度 -強度計算の考え方ー」三菱重工技術師 本庄季郎(2頁~11頁)であり。内容は専門的で難しい。さしあたり図表や写真を眺めて欲しい。

以下に項目10と結びの部分を抜粋する。

10、軽合金板製自轉車
十字號の構造
今まで述べたところによつて、従来の自轉車の代表として選んだ商工省規格一般用自轉車の強度がわかったので、次に新しい構造の超合金製自轉車の強度をしらべることにする。それにはまず軽合金製自轉車十字號の構造と、その構成材の寸度および材質を知らなければならない。
第5図は、その骨格であるが、従来の自轉車の骨格と比較するために、点線で一般用自轉車の骨格を重ねて描いておいた。
車体は従来の自轉車の菱形構造のかわりに、十文字に交わる丈夫なアルミニウム軽合金材の箱形材と、同材の円管とからなる。箱形材はヘッド・ベヤリングから後車輪軸を一直線に結び、その前方は左右の軽合金板折曲げ材の上下に板をあてて鋲留めして箱形断面を形成し、後端は2本に分かれてその間に後車輪を収めている。
円管は上部にサドルを支え下部にハンガー・ベヤリングを支えている。
前フォークは2本の軽合金板製チャンネル材からなり前車輪軸からハンドルまで延びている。この前フォークの途中に2枚の鋼板製の軸受取付金具が鋲留めされ、この取付金具の孔を通るボルトによつてヘッド・ベヤリングに取付けられる。各構成材の断面の寸法を述べなければならないが、複雑であるから省略する。

15.結び
以上で大体一般用自轉車と十字號自轉車の強度計算の考えかたと、その計算結果とを述べたが、途中にもっとも骨の折れる計算過程を全部省略した。これらの計算のうち從來形式の自轉車についての計算はすでに渡邊泰男君の論文が日本科学文化協会雑誌創刊号および三菱重工業株式會社技術部発行の技術調査報告第56号に掲載されているし、十字號計算は三菱重工技術部報告第62号に発表してあるから、さらに進んで計算過程をしらべたい方は、これらを参照されたい。
(三菱重工業技師)


科学雑誌「自然」1947年3月号
目次

9、10頁

第5図 9頁上

11頁

2021年7月13日火曜日

老舗さんぽ㊸

 老舗さんぽ㊸

昨日、ほぼ40年ぶりに土方自転車店を尋ねた。

一応、このブログでは老舗の定義とし50年としているが、そろそろ土方自転車店も50年近くになる。頑張ってほしい。
この店のHPには、
スポーツサイクルを製作・販売して35年。豊富な経験とキャリアであなたのサイクルスポーツライフをサポートします。

とあるがこのHPはかなり更新されていないようで、まだ店主の顔写真も若い。
丁度、店を訪ねたとき店主が居て、久しぶりの再会であったが、このコロナ禍でお互いマスクをつけているので誰だか分からないようであった。それほど過去は遠くなっていた。私もあえて記憶を呼び出すような話題を一切口にしなかった。

私がこの店を利用するようになったのは1975年からで、それ以前はもっぱら東京や横浜周辺の店を利用していた。
当時のメモ書きの一部には、
1974年10月1日 ~1975年5月30日までの手帳の電話番号控え欄に、ヒジカタ、・・・
と書いてある。
この手帳の中にアライの競輪用ヘルメット(平塚競輪場を走るときはこれを被った)、チネリ・カスク、Wes Mason のフレーム、その他、チューブラータイヤやリムセメントなどを購入したことが記されている。更に、

1983年10月16日、日曜日曇り、平塚のヒジカタ・サイクルへ。水谷のマウンテンバイクを購入する。代金は8万円、持ち合わせが無かったので、内金として2万円支払い。残金は後日振込予定。
早速、その日の16時から17時半まで試乗、走行距離は休憩を含め20キロほどであった。

1983年10月20日、木曜日晴れ、平塚の土方サイクルへマウンテンバイクの残金を振り込む。平塚信用金庫花水支店の当座に、6万円+手数料800円

などとある。

それ以外にも開店当初から度々訪れている。当時は神奈川県の相模川から西はスポーツ車を扱う店が無く、土方サイクルが出来て便利になったことを覚えている。

忘れていたがスポーツ車を扱う店は相模川から西では無いと書いたが実は老舗が1軒ある。このブログでも登場した宮川サイクルスポーツである。この店は現店主で三代目になり、かれこれ100年近くになる。いずれこの「老舗さんぽ」でも紹介したいと考えている。

土方サイクルの店舗前

店内 デローザ

ずらりとスポーツバイクが壁に並ぶ

右上 Wes Masonのフレーム

水谷のマウンテンバイク
1983年10月16日購入