ダルマ自転車で大旅行
下の資料は先日に知人からいただいたもので、その一部を以下に抜粋する。
既にこの記事にある森村組の七代目当主森村市左衛門(森村開作、1873-1962)については何度かこのブログでも触れている。
参考までに明治34年10月28日発行「輪友」第1号の記事も一番下に載せたのでこの記事と比較して見て欲しい。これは同じ時のダルマ自転車による旅行譚である。
ダルマ自転車で東海道を大旅行
お邸は芝車町の電車通り、むかし、ここに牛車の問屋があったので、車町という町名がつけられたのだというが、そんな昔話を思い出させるような塀、古びた門構えの家である。森村翁は明治六年の生れ。明治十四年にはじめて輸入された自転車を父上が買われ、小学生のころから親しんだのが、自転車に乗るようになったきっかけだという、もっともその頃の自転車は三輪車。大きな前輪が二輪、後輪は小さいのが一つで、もちろんチェンはないし、サドルは板の上にふとんをしいたといった風なものであった。
ご自身で乗り始めたのは明治二十一年、十六のとき木製の二輪車でけいこをし、うまくなってから、いわゆる”ダルマ”と呼ばれる車で、学校通いをはじめた。
「土曜日午後、三田の家から、大磯の親類の家まで自転車ででかけたものです。箱根の湯本あたりにも行った。半日ぐらいかかったかな。いまの自転車とはまるっきりちがいチェンのない背の高い車なので、押しながらかけていってとびのるわけですな」
アメリカ製のなンとかいう車で銀座のナカジマとかナカムラとかいう店で買ったものだが、六年間乗っていてアメリカに洋行するときに売ってしまった。「惜しいことをしたものですナ、あんなのはいま残っていないでしょうかナ」
森村老をサイクリスト・プロフィルの第一回にとり上げたのは、しかし、こうした古い自転車に乗った経験のためばかりではない。そんじょそこらのかけだしサイクリストの遠く及にない大旅行を、この旧式自転車で敢行したという輝かしい経歴のためである。
「神戸まで行こうと思いましてナ、二十才のとき、神奈川まで行きましたら、雨が降ってきまして、どうにもぐしょぬれになってしまったんで、藤沢の駅前の掛茶屋の前で休ませてもらって、かわかしてますと、あの頃の汽車というのはのんびりしたもんで、汽車が駅に着く五分前に、ガランガランと鐘を鳴らすんですわ、丁度名古屋行きの汽車が来たもんで、自転車を荷物車の方に積んでもらいましてな、その晩は名古屋に泊っちまいましたー」
それから四日市をまわり、鈴鹿峠を越えて京都へ入った。「いやあの鈴鹿は大へんでした。自転車を押して上りましたナ」
「土地ではみなれない車なんで停まると子供達がわっと寄ってきました。前に一度西洋人が通ったことがあるといっていましたから、はじめて自転車で鈴鹿を越えたというわけではないようですな」しかし日本人でははじめてではないですかときいたら、「さおどうでしょうかな」と謙遜された。
帰りは神戸から伊勢、山田で一泊して、鳴海、三島、箱根を越えて東京までその間八日間
森村老をサイクリスト・プロフィルの第一回にとり上げたのは、しかし、こうした古い自転車に乗った経験のためばかりではない。そんじょそこらのかけだしサイクリストの遠く及にない大旅行を、この旧式自転車で敢行したという輝かしい経歴のためである。
「神戸まで行こうと思いましてナ、二十才のとき、神奈川まで行きましたら、雨が降ってきまして、どうにもぐしょぬれになってしまったんで、藤沢の駅前の掛茶屋の前で休ませてもらって、かわかしてますと、あの頃の汽車というのはのんびりしたもんで、汽車が駅に着く五分前に、ガランガランと鐘を鳴らすんですわ、丁度名古屋行きの汽車が来たもんで、自転車を荷物車の方に積んでもらいましてな、その晩は名古屋に泊っちまいましたー」
それから四日市をまわり、鈴鹿峠を越えて京都へ入った。「いやあの鈴鹿は大へんでした。自転車を押して上りましたナ」
「土地ではみなれない車なんで停まると子供達がわっと寄ってきました。前に一度西洋人が通ったことがあるといっていましたから、はじめて自転車で鈴鹿を越えたというわけではないようですな」しかし日本人でははじめてではないですかときいたら、「さおどうでしょうかな」と謙遜された。
帰りは神戸から伊勢、山田で一泊して、鳴海、三島、箱根を越えて東京までその間八日間
雨のため一日休んだから、神戸ー東京正味七日間というソロバンになるから、三段変速機はおろかチェンもない車でのこのこ走って行ったと考えるといささか、啞然たらざるを得ない。
行程で困ったことは?「着替えもなにも持たず手拭に歯ブラシといった軽装でしたが、別に困ったことはなかったですナ、いや、困ったことといったら、犬が珍しがって吠えてくるので、これは怖いので棒切れで追いながら走りましたよ」(森村市左衛門、慶応義塾大学理事、森村学園園長)
①46頁
サイクリング誌 9月号 創刊号
1957年発行
②表紙
資料提供:渋谷良二氏
明治34年10月28日発行「輪友」第1号 10、11頁
日本に於ける自轉車の沿革より
・・・長距離の旅行をしたのは明治二十六年の五月だったさうです。自轉車は例の高いやつで、米国シカゴ、ゴマリー、アンド、ヂャフリー会社製で、今日なら古物展覧会へでも出るやうな品であったそうです。それで明治二十六年の五月十日に、高輪の八ッ山下を發して藤沢まで行ったそうですが、雨の降るのでやむを得ず汽車に乗って、名古屋まで往き、十三日に名古屋を發して大山に泊り、十四日に石山寺で開帳などを見物して居つた所が、友人に出會ったのでそれから汽車に乗って京都に往くことにした。是は皆な自轉車旅行というよりは寧ろ汽車旅行でありました。併ながら帰りは殆どぶっとうしに自轉車旅行をされたので、五月二十三日に神戸を発し、其の晩は京都に泊り、翌二十四日に京都を發して参宮街道の木樟駅(樟葉駅?)に泊り、廿五日には雨天であったので一行は各々番傘をさしかざいして乘りながら、伊勢の内宮外宮を見物して二見ヶ浦に泊り、二十六日は暴風雨で早朝出發するここが出來ず、午後小降りになるのを待って漸く出發、二里あまりで宮川に出た所が川止であったので、已むを得ず其の處に泊り、二十七日は快晴なので朝六時半に出發して、夕の六時四十分に , 鳴海について其の處に一泊、二十八日は浜松、二十九日は興津、三十日は函根の湯本に泊った。函根を上下するの時、何しろ例の高い一輪半でありますから、それを持ち運ぶのに非常に困難を極めたそうで、三十一日に湯本を發し、江の島で昼食をして、東京に帰られたそうです。
森村開作
自転車は Gormully & Jeffery