明治後期の写真
下の写真は、明治40年6月発行の「東京模範商工品録」中山安太 編、東京模範商工品録編纂所からのもの。
店の概要を抜粋、
東京市芝區本芝二丁目十一番地エナメル及ペンキ塗 間宮重次郎
君は今を距る三十年前より佛塔、佛具、堂宮の塗方を以て業とし習得する處甚だ多し、後ち業を轉じて人力車を製造して支那方面に輸出し、或は東京機械會社製造車の塗方を担当せり、其の間エナメル塗を我が國に於て創製することの必要を感じ、苦心に苦心を重ね、遂に能く之れを案出せり、今やエナメル塗を業とするもの各所に起れりと雖も、君は實に之れが創製を為せしものにして、我がエナメル塗の元祖たり・・・
・・・日露戰爭に際し砲兵工廠の御用命に接し一千台の軍用自轉車を一ヶ月に塗り上げ引き続き其の方法を同廠員に練習せしめしか如く。將た又た東宮御所御造営に就エナメル塗方一切の御用命を辱ふするの光榮を荷ひしか如き、君のエナメル塗が精巧にして他に抜きんするにあらざるよりは曷んぞ斯の如くなるを得んや、第五回內國勧業博覧会に於て自轉車エナメルに於て二等賞牌を受領せしがり如き豈に偶然ならんや・・・
今まエナメル塗の主なる用途を示せば左(下)の如し
一汽船
一車輛
一諸機械
一建築
一自轉車
一諸看板
一家具
一硝子金看板
一室內装飾用美術和洋画
一車輛
一諸機械
一建築
一自轉車
一諸看板
一家具
一硝子金看板
一室內装飾用美術和洋画
註、一時は人力車も製造し、中国にも輸出したことや、日露戦争時には軍用自転車を1か月に1000台も塗装したとある。この写真を見ると確かに多数の自転車やそのフレームなどが置かれている、工場内も同様で、所狭しと塗装待ちの自転車のフレームなどが見える。
店前の写真には不鮮明だが塗装工など20人ほど写っている。2階のベランダにも注目。